「半袖」の思い出は…
小学校高学年の家庭科で作った夏服
初めて型を取り、裁断してミシンで縫って
仕上げた半袖の服は、淡いピンク色で
縦に青と白の模様が混じっていた。
小さな四角い襟が可愛くて白い花形のボタンが5つ…
不思議だなぁ〜…何でこんなにハッキリと
覚えているんだろう…
「半袖」と聞かれて溢れるように思いだした…きっと自分の力で作り上げた事がよほど嬉しかったんだろう。
今の私と言えば、しまむら、ユニクロ、GU
季節が変わればお手頃に買って、1〜2年で
処分…有難みなんて買ってからの数日だ…
物は溢れているが、気持ちは貧乏になったのかも知れない…
縫い目も歪んで下手っぴだった初めての
自作の半袖…
あの時の私はキラキラ目を輝かせて、
その夏服を繰り返し大切に身に付けていた…
もう一度、そんなワクワクした服に出会い長い時間大切に着る事が出来たら幸せだろうなぁ…
私は2度死にかけた…
病気でショック状態になりほぼ心臓が止まった時だ…波形は振らずさざ波のよう…
救急車で搬送された時、サイレンの音が急に変わり「死ぬな〜!」そう叫ばれていた。病院について、慌ただしく運ばれた。
すぐに私を取り囲み必死に治療を開始した
何でこんなに詳細にわかるかって…
身体から抜け出した私がずっと見ていたからだ…その時に「幽体離脱」という特殊な体験をした…
そこには、痛くもなんともない私が居た。
むしろぎゅうぎゅう詰めの身体から抜け出し、人生で一番の開放感だった…
「魂は永遠に生き続ける」多分これは事実
なんじゃないかと感じた…
「天国と地獄」とは深いメッセージの様な気がする。
「ちゃんと生きないと地獄に行くよ」って
結局、私はいきなり身体にバン!と戻された…
天国があるかどうかはわからない…
けれど、そこから先の人生を考え直す
大きな転機になったのは間違いない…
4才の頃の記憶だ…私はど田舎育ち…
ある時、隣のじいちゃんが亡くなった。
隣とはいえ、200メートル位は離れていただろう…深夜、私が目を覚ますと
一緒に寝ていたはずの母親が消えていた…
幼い私は不安でいっぱいになった…
母親を探したが家の中にはいない。
そしてピン!と来た…隣のじいちゃんだ!
昔は夜を徹して死者を見守る…
我が家の大人達も例外なく隣に行った。
母親を探しに私は外に出た…
その日は満月だった…雲ひとつ無い空は
ものすごく明るくて、大人が一人通る位の農道がハッキリ見えた…
「母ちゃんとこに行こう!」
夜の怖さより、母がいない不安が勝った。
4才の私の背丈近い草の間を走った!
やや下の方角に明々と灯りのついた家がある…その家を目指して無我夢中で走った!
離れた隣の家に着いて「ガラッと」戸を開けた…「どうやって来た…?」
その時の大人達の驚いた顔を私は今も覚えている…
月灯りは私の足元をしっかり照らし安全に目的地に誘導したのだった…
「月に願いを」した訳ではないが
自分でも気がつかない間に「月は願いを」聞いてくれたのかもしれない…
「誰よりもずっと私は苦労症だ…」
確か、一番最初に投稿した初めの1行だ
ここに来て、自分の人生を振り返る
良い機会になっている…
子供時代…青春時代…社会人…そして今
その時々のアクシデントが目白押しだ…
なかなかスリルがある人生だ…
そして、どの時代も当時はジタバタと
…もがき…なげき…苦しかった…
けれど、結局は全部過去だ…
過ぎ去れば、傷も癒えて心も回復し笑って
話しが出来るまでに変化していく…
そして、その都度ハガネの心を手に入れる
良い意味で、どうでもよくなるのだ。
人間(私)とは、随分としぶとい生き物だ…
大きな嵐がきて、ボロボロになったとしてもまたちゃんと立っている。
まさしく…「降り止まない雨」はないを
実体験し、色々な経験を積み重ねている
明日という新しい日は、私に何を見せて
くれるのだろうか…
2回目の子育てをしている…
娘が双子を連れて帰ってきたのは1歳の誕生日前だった…
双子は男の子で、1人は難病と障害を抱えて生まれてきた
本来なら夫婦揃ってこの大きな困難に立ち向かうはずが父親はあっさり裏切った…
我が子より他の楽しい事に逃げたのだ。
「あんな男顔も見たくない…」
ごもっともだ…私も同感だった。
共に生きる価値などない…だから私が腹をくくった…「一緒に育てよう!」
しかし仕事をしながらの現実は、想像を絶する忙しさ…2回倒れ救急車で運ばれた。
今、双子は小学生になった…
1人は活発で元気で明るい、難病を持って生まれた子も生きていく為に毎日頑張って
リハビリと勉強をしてやんちゃに育っている…
「あの頃の私へ」メッセージを送ろう。
英断だったと思ってるよね…今の経験は、貴方の財産だ…だから素直に運命に従い肩の力を抜いて楽しく生きて行こうよ…