「あの時はごめんね」
ある日、母に告げられた言葉。
私が年長さんになったばかりの頃のこと。
母と父はよく喧嘩をしていたと思う。
泣く母に対して「大丈夫?」と言いながら、なんで泣いているのかも、なぜ毎日喧嘩しているのかもよく分からず、ひたすらそばに寄り添っていた。
いつかは仲直りできる。
幼い心でそう信じていたのに、
……ある日、母は泣きながら家を出て行った。
その時、悲しかったのか腹が立ったのか。
今となっては何も覚えていないけれど、まだ言葉も話せない幼い妹が玄関先で泣き叫ぶ声と、父が無言で立ちすくんでいたことだけはよく覚えている。
あれから15年ほど経って、私は20歳になった。
離婚してからも母とは定期的に面会していたけれど、もう成人したということもあり、私の好きな時に会えるようになった。
そんな時、誕生日を祝いたいからどこかで食事でもしようと母に誘われた。
ずっと気になっていた、華やかケーキが人気の喫茶店。
そんな憧れのケーキを食べていた時、母はぽつぽつとあの頃のことを話し始めた。
自分ルールが強い父と共に暮らすのが窮屈だったこと。
自由が欲しくて、家を飛び出してしまったこと。
幼い私たちよりも自分を優先してしまったことへの後悔。
数年前に、別の男の人と再婚した時、寂しい思いをさせたことへの謝罪。
そんな話を、涙ながらに聞かされた。
「確かにお父さん、そういうところあるもんね。仕方ないことだし、私は全然気にしてないよ!なんだかんだ今が楽しいから平気だよ!」
我ながら、嘘をつくのが上手くなったなと思う。
ニコニコと表情を崩さず、自分の心に蓋をして、相手の欲しがっている言葉をかける。
それが、20年間生きてきて身につけた生きる力。
確かに小さい頃は寂しかったけれど、今となっては最早“どうでもいい”。
(謝罪の気持ちよりも、自分がそれを伝えて楽になりたいから言ってるんだろうな。謝られたって、過去は変わらないのに)
なんて、素直に受け取れず、こんなことを思ってしまう自分が嫌になる。
こんな自分でごめんね。
お題『ごめんね』
ついにこの時期が来た。
季節の変わり目の小さな試練。
小学生の時はなんの迷いもなく、暑ければ半袖、寒ければ長袖を着ていた。
それなのに中学校に上がってからというもの、みんな変だ。
「誰が最初に衣替えをしてくるか」だなんて、小さなことを気にしている。
「ねぇ、いつ夏服着てくる?」
「衣替え初日に着てくるのは、ちょっと勇気がいるよね」
「みんなで一緒に着てこようよ!」
なんて、こういう話ができるのも今のうちだと思うと悪くないなとも思う。
衣替え初日。
女子たちは全員長袖のままだったが、男子の数人が半袖の制服を着てきていた。
クラスの人気者集団。
ちょっと暑がりそうな見た目の子。
誰が一人でも着て来るとみんな安心するみたいで、数日もすればクラスのみんなが半袖になっていた。
こんなしょうもない迷いもなんだか心地よくて。
次の衣替えも楽しみだなって思った。
まぁ、まだだいぶ先のことだけど。
お題『半袖』
「私はきっと、天国には行けないね」
徐々に薄れていく意識の中、彼女が消え入りそうな声で呟いた。
たしかに、俺たちは大きな罪を犯してしまった。
けれどそれは、自分たちを守るために仕方がなかったことだ。
本当は、彼女はこんな最期を迎えていいような人間じゃないのに。
本当は、誰よりも優しくて、いつも人のために自分を殺して。
そんな優しさに漬け込んだ、アイツが悪かったんだ。
罪の重さに耐えきれなくなった彼女に着いてきたのは、世間が彼女を否定しようと、俺だけは彼女を信じていることを伝えたかったから。
……あぁ、そういえば、他にもまだ言えてないことがあったな。
「天国でも地獄でも、一緒に行ってやるから安心しろよ」
そう言うと、彼女は泣きそうな顔で笑った。
それが、最後の記憶だった。
お題『天国と地獄』
まるで、真っ暗な絨毯に宝石をこぼしたように
夜空に美しく輝く浮かぶ星たち。
その中でも月は一際大きく、明るく輝いていて
何百、何千年も前から、人々の心を奪っている。
そんな、いちばんに目が惹かれる月でも、太陽の光なしでは、その美しさを得られない。
……1人じゃ、ダメなんだ。
いつも周りを照らしていた、太陽みたいなあいつは、もう戻らない。
俺の世界は、もうずっと真っ暗のままだ。
なぁ、月。そんなに眩しく光らないでくれよ。
あいつのことを思い出しちゃうから。
お題『月に願いを』
「うわぁ、すごい雨ですね。体、濡れませんでした?」
「大丈夫です!近くに屋根があってよかったですね」
「ですね。通り雨みたいですし、しばらくここでやり過ごしましょうか」
アルバイトが終わって、片想いの女の子と駅まで歩いていた時のこと。
突然、真っ黒い雲が空を覆い、激しい雨が降り出した。
どんよりとした空に反して、彼女はなぜか嬉しそうに目を細めている。
「雨、好きなんですか?」
「うーん。あんまり好きではないですね、髪がうねっちゃうので。でも、雨の音とか匂いとか、そういうのは好きだなって思います」
「あー。それはちょっと分かります。雨の日特有の趣がありますもんね」
「そうなんです!なかなか理解してもらえないので、共感してもらえて嬉しいです」
楽しそうに笑う彼女を見ていると、こんな天気も悪くないなと思える。
あーあ、このままもう少しだけ、止まないでいてくれないかな。
お題『降り止まない雨』