みとり

Open App
2/25/2024, 3:17:26 PM

お題:物憂げな空
タイトル:空の気持ち

今日は一日中しとしとと雨が降っていた。
まるで空がしくしく泣いているようだった。
だが、これは私の思う「物憂げな空」とは少し違う気がする。
言葉にするなら、悲しみに暮れる空、とかだろうか。

「物憂げ」のように「〜げ」とつく言葉は、ついていない言葉よりもぼかされた意味合いを持つ気がする。
特に古文を読んでいると、その違いがわかりやすい。
古文では「〜げ」とつく言葉は、現代語に訳すとき「〜の様子だ」とか「〜らしい」とする。
だから「物憂げな空」を言い換えるとするなら、「憂鬱そうな空」とか「空が悲しんでいる気がする」だと思うのだ。

雨粒を涙に例えるなら、雨降りの空は涙が止まらないくらい泣いているように見える。
でももしそんな風に泣いている人を見かけたら、その人には何か悲しいこと、悔しいことがあったのだということは誰が見てもわかる。
そんな人は物憂げには見えない。
物憂げに見えるのは、例えばあまり自分のことを話さず、ふとした時にとても悲しそうな表情をするような、そんな人、そんな空ではなかろうか。

人の感情というのはとても複雑で、喜びや悲しみといった単純な感情も絵の具のように他の感情と混ざり合っている。
時には、様々な理由から感情を押し殺したり、他人に見せないようにしたりすることもある。
他人の感情を推察するのは本当に難しいことだ。
現代の科学力を以てしても完璧な天気予報が難しいのとどこか似ているのかもしれない。

2/23/2024, 2:10:55 PM

お題:Love you
タイトル:月が綺麗ですね

「I love you」⸺そのまま日本語にすると「愛してる」。
けれど、日本人というのは自分の気持ちを直球でぶつけることを好まない。
「愛してる」と躊躇わずに言える日本人はかなり限られると思われる。
そこで編み出された文学的な表現の一つが「月が綺麗ですね」である。

ネットで調べたところ、「I love you」を「月が綺麗ですね」と最初に訳したのは夏目漱石らしい。
文豪らしい感性に溢れた訳である。
いつも見ている月ですら、あなたといるとより美しい。
あなたといることで何でもない世界が彩られていくのだ。
そんな意味合いも込められている気がする。

ネットにはさらに「月が綺麗ですね」に対する返事の表現も書いてあった。
例えば、「死んでもいいわ」。
ロシアの作家ツルゲーネフの小説『片恋』にある「あなたのものよ」という台詞を文豪の二葉亭四迷がそう訳したらしい。
「月が綺麗ですね」と同じくロマンチックで文学的な表現だ。
また、「月が綺麗ですね」の類語もいくつか見つけた。
例えば、「夕日が綺麗ですね」。
あなたの気持ちを教えてほしい、という意味だそうだ。
愛の告白とはまた違った意味だが、気持ちを素直に伝えられない日本人にぴったりの表現だ。
他にも色々と関連語があるようなので、興味があれば一度調べてみると面白いと思う。

さて、残念ながら私はまだ「月が綺麗ですね」なんて言ってくれる相手との縁を持ったことがない。
ただ今回この言葉について調べてみて、人間には様々な関係があることを改めて知った。
愛していても、「愛してる」と言えない人。
まだ恋人ではなくても気になる人。
私にもいつか、そんな人ができるのかもしれない。
今日はもう、寝ることにしよう。

最後にこのアプリで素晴らしい文章を創作なさる全ての方へ。
「星が綺麗ですね」

2/22/2024, 2:04:53 PM

お題:太陽のような
タイトル:太陽の代わり

 空に太陽があると、人は自然と元気になれるものだ。その程度には個人差があるかもしれないし、あまりに強い日差しを浴び続けることは健康によくないという人もいる。それでも長雨が続いた翌朝に雲一つない青空が水たまりに映って見えると、誰だって清々しさを感じるだろう。
 その理由を考えるに⸺これは私の想像でしかないのだが⸺狩猟や採集をしてその日の糧を得ていた時代から、人々は太陽に元気づけられていたのではないだろうか。曇っていては視界が悪く、狩猟や採集の効率が落ちてしまう。雨が降っていては尚更だ。だから晴天というのは人々にとって貴重で、まさに「ありがたい」ものだったのだと思う。その気持ちが遺伝子によって、あるいは生活形態や文化として、またあるいは伝説や神話の一部となって受け継がれ、現代に生きる私たちの心情に繋がっているのだと私は思う。
 太陽でなくても、見るだけ、聞くだけ、触れるだけで元気になれるものには、どんなものがあるだろうか。推し、家族、自然や生き物…様々あるだろうが、その一つが、宗教だと思う。日本では熱心な信仰心を見せる人はあまり多くないと感じるが、国によってはそうとは限らない。私はまだ海外に行ったことがないので、テレビや本から得た情報に基づいての推察となってしまうが、宗教というのは人の精神的な支えに十分なり得ると思う。実際に信仰する宗教の教えに従って救われた人もいれば、他人を救うために努力した人、あるいは救った人(キリスト教でいう聖人が代表例だろうか)も歴史を振り返るとかなり多いことがわかる。そういう善行を人々に奨励する上で、宗教は昔から重要な役割を担ってきたと思う。一方で、宗教は様々な争いの火種となってきた。意見の対立に信仰の違いが拍車をかけ、やがて大きな争いとなる例は数えきれない。今も世界中でそうして始まった紛争が絶えず続いている。また苦悩の最中にある人が信仰するときの藁をもすがる思いを悪用しようとする人もいる。そういった悪いイメージが、日本人に影響しているのかもしれない。
 しかし、太陽はどんな地域の、どんな境遇にある人も遍く照らし、いつも私たちを元気づけてくれる。そこには意見の対立も邪な心も関係ない。そういう点では太陽と宗教は異なっている。同様に、誰かにとっては何の面白みもない推しや、時にプレッシャーになり得る家族、人に牙をむくこともある自然とも、異なっているといえる。太陽はもはや人類にとって特別な存在だ。代わりなどないのかもしれない。
 私の住む地域では残念ながら今日明日と雨が続くようだが、次に太陽を見るときはその恵みに改めて感謝し、一日を生きる元気を貰おうと思う。