みとり

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お題:太陽のような
タイトル:太陽の代わり

 空に太陽があると、人は自然と元気になれるものだ。その程度には個人差があるかもしれないし、あまりに強い日差しを浴び続けることは健康によくないという人もいる。それでも長雨が続いた翌朝に雲一つない青空が水たまりに映って見えると、誰だって清々しさを感じるだろう。
 その理由を考えるに⸺これは私の想像でしかないのだが⸺狩猟や採集をしてその日の糧を得ていた時代から、人々は太陽に元気づけられていたのではないだろうか。曇っていては視界が悪く、狩猟や採集の効率が落ちてしまう。雨が降っていては尚更だ。だから晴天というのは人々にとって貴重で、まさに「ありがたい」ものだったのだと思う。その気持ちが遺伝子によって、あるいは生活形態や文化として、またあるいは伝説や神話の一部となって受け継がれ、現代に生きる私たちの心情に繋がっているのだと私は思う。
 太陽でなくても、見るだけ、聞くだけ、触れるだけで元気になれるものには、どんなものがあるだろうか。推し、家族、自然や生き物…様々あるだろうが、その一つが、宗教だと思う。日本では熱心な信仰心を見せる人はあまり多くないと感じるが、国によってはそうとは限らない。私はまだ海外に行ったことがないので、テレビや本から得た情報に基づいての推察となってしまうが、宗教というのは人の精神的な支えに十分なり得ると思う。実際に信仰する宗教の教えに従って救われた人もいれば、他人を救うために努力した人、あるいは救った人(キリスト教でいう聖人が代表例だろうか)も歴史を振り返るとかなり多いことがわかる。そういう善行を人々に奨励する上で、宗教は昔から重要な役割を担ってきたと思う。一方で、宗教は様々な争いの火種となってきた。意見の対立に信仰の違いが拍車をかけ、やがて大きな争いとなる例は数えきれない。今も世界中でそうして始まった紛争が絶えず続いている。また苦悩の最中にある人が信仰するときの藁をもすがる思いを悪用しようとする人もいる。そういった悪いイメージが、日本人に影響しているのかもしれない。
 しかし、太陽はどんな地域の、どんな境遇にある人も遍く照らし、いつも私たちを元気づけてくれる。そこには意見の対立も邪な心も関係ない。そういう点では太陽と宗教は異なっている。同様に、誰かにとっては何の面白みもない推しや、時にプレッシャーになり得る家族、人に牙をむくこともある自然とも、異なっているといえる。太陽はもはや人類にとって特別な存在だ。代わりなどないのかもしれない。
 私の住む地域では残念ながら今日明日と雨が続くようだが、次に太陽を見るときはその恵みに改めて感謝し、一日を生きる元気を貰おうと思う。

2/22/2024, 2:04:53 PM