愛があればなんでもできる?
できないけど、愛は原動力にはなるんじゃないか?
ちなみにここで言う愛は、広い意味での愛ね。
友愛、家族愛、恋愛、自己愛、趣味やアイドルへの愛。
愛を人として良い方向の力に向けたいよね。
なんでもと言って、悪に走る人もいるから怖い。
なお愛があっても力になるけど、愛がないのもそれはそれで影響があるよな。良くも悪くも。
愛の有無・多い少ない、さまざまな経験を通して、いろいろ起きる。
なんであれ優しさを発揮して、人に手を差しのべる人もいたりする。
人として生きる限り、愛とは切っても切り離せないよな。行動の端々に、見えない力として存在してるようだ。
愛を育てたりコントロールするのも、一種人間力なのかも。
後悔。体調悪かったり鬱状態だと、たくさんたくさん思いつく。
そうなるとありすぎて、現在進行形でありすぎてもはや、何が何だかわからないカオス、のように感じられる。
しかし、気分が変わればそうでもない気もしてくる。
実際取り返しがつかないほどの後悔って、実際はなかなかない。事件とか事故以外に。
だから基本安心して現実のことに取り組めば良いと思う。あくまで今の自分にできることを。
荒唐無稽な、実際やる気も起きないような目標立てて、その上でああできなかった、と後悔するのは精神衛生上良くない。
現実的でないし、独り相撲になってしまう。
日々できることを実際に手をつけて、地に足つけて行きたい。
そういう姿勢があれば、大きな後悔は減るんじゃないかなぁ。
風に身を任せ、スカイダイビングとかやりたい。
一旦飛んだら、もう任せざるを得ないよね、風に。
スカイダイビング、何か精神が鍛えられそうな気はする。
でも実際生きてても、こんなふうに風に任せてるようなところあるよな。
寝て起きて世の中どうなってるかわからんし、人生もどうなるかわからんよね。
杞憂って言葉あるけど、実際は心配してる暇もないほど、危険と紙一重、と言うかもはや危険の中や、上で生きてるから。
日本は地震大国だしさ。地震大国に生きてる時点で、日本人はそう言う精神面、鍛えられてるはずだけど…。
それでも一見平和な時でも、心配性が多い。(自分含め)
よく考えたら不思議なことだよ。
平和な時くらいはもっと風に身を任せ、楽に生きたい。
おうち時間でやりたいこと…。
まず部屋を、ちょっとした綺麗なホテルみたいにアレンジしたいよー。
理想高すぎか笑。
まぁ少なくも、居心地良くしたい。
まずは家事を、もっとキチンとやらないとな。行き届いてるとはいえないので。
おうち時間の前にやることありすぎて。
結局部屋にいたら、気詰まりで気晴らしで外出ちゃうこと多い。
綺麗な部屋にしたら…、コーヒーなんか入れたりして、のんびり過ごしたいよな。
お気に入りのものをおしゃれに陳列したりしてみたい。
あと新たに資格勉強とかやって、結果残して自信つけたい。
忙殺されたり、現実逃避してる日々だけど、本当はやりたいことたくさんあるんだ!
子供のままでいることは、時に残酷だ。
やむを得ぬ事情がない限り、ある程度だったら独り立ちできるよう、子も親も動いていけたら良いね。
年相応ってものがあるし、程よく社会性を身につけるのが幸せよな。
子供も大人も時に世知辛いけど、バランス崩さない程度に人生やっていこう。
子供時代が終わっても、何層にもわたり人間性が追加されるだけの話で。子供の核は無くならないかならねー。そう考えたら変容も怖くないよな!
意外と大人になって楽になったりとかも正直あったりする。
さらに年取っても今が1番良い時って思えるように、生きてきたいものだ…