じわじわと遠くで蝉が鳴く。
澄み切った空に、青々とした山。
ちりんちりんと涼しげに揺れる風鈴。
今年も帰ってきた。ぴったり8/13に。
いつだって完璧で。
いつだって頼りになって。
いつだってキラキラしてて。
いつだってすごくて。
ここではないどこかで活躍する自分を何度も妄想する。
妄想の中の完璧な自分のつもりで振る舞う。
でも暗い暗い自分の部屋で埋もれている時に、ふっと冷静になる。
馬鹿みたい。ここではないどこかって、そんなのあるわけないのに。いつだって完璧だなんて、そんなの自分には絶対にできっこないのに。
…ああ、もし、『ここではないどこか』が存在するなら、劣等感の感じられない場所がいい。
君と、最後に会った日。
君は棺桶の中で眠っていた。お葬式の最後に火葬場の前でお別れをしたのが、君との記憶で一番新しいもの。あの時のことは正直…あまり覚えてないかな。
唯一覚えてるのが、外で待ってたら花壇の植え込みに咲いてた椿の花が、ぼとんと落ちたこと。その時何でだか、もう君はいなくなってしまったんだって実感して大号泣したの。
椿。椿。
今どこにいるの?どこにいなくなっちゃったの?
私がこれから生きて生きて生き抜いたら、どこかで会うことはできますか?また巡り会ったら最後まで会って、また次も巡り会って最後まで会って。
そうやって、椿が私にくれたものを返していきたいな。
でもきっと返しきれないんだろうな。
「こんにちは、サンカヨウさん」
「あら、珍しいわね。雨が降ったら私は透明になるから、中々気づいてくれる方がいないのに」
「いいえ。分かりましたよ」
ゆずの木が、葉をさわさわと揺らした。
「あなた、ずっとずっとここにいるけれど、どうして今になって私に話しかけてきたの?今までそんなことなかったのに」
「すいません。僕、明日切られてしまうんです。古くなって実も実らないので。だから、思い出づくりみたいなものです」
「…あなたいくつ?」
「木に年齢を尋ねてもしょうがないですよ。まあでも、サンカヨウさんがここに生えてくる前からいます。他の植物の方には内緒ですよ?」
暗に、自分が彼にとって特別な存在であるということを言ったのか。
「…あなた、私のこと好きなの?」
「流石サンカヨウさん。よくお分かりで」
「やめときなさい。私、こう見えて大胆なんだから」
「おや、そうなんですか?どうして?僕にはとっても繊細に見えるのに」
この木は今まで何を見てきたのだろう。
「…私は透けるでしょう。それが他の植物にとっては大胆なのよ。声をかけてきた植物みんな、最後にはそう言ってたわ」
さわさわとゆずの木が笑う。
「それは他の植物達が言っていることでしょう?僕、あなたが生えてきた時から知ってるんですよ?あなたは繊細で優しい、綺麗な花です。サンカヨウさんが、雨に降られて透明な雨色に染まるところ、僕すごく好きです」
意外と詩人なのね、と口を開こうとしたら、どやどやと人間の男達がやってきた。「明日は大雨が降る」とか色々話している。
ゆずの木は、泣き笑いみたいな音をたてた。
「…すいません。今日になったみたいです」
大きくて重そうな刃のついた機械を持って、男達が木を囲む。しばらくしてから、耳が壊れるくらいのうるさい音が響いた。
私、明日もまた綺麗な雨色に染まるわ。今日よりもっと、綺麗に染まるわ。
だけど。
「…そんなこと、言われたの、初めてよ」
サンカヨウがぽつりと言えたのは、それだけだった。
1年後、私は何をしているんだろう。
大切な何かを見つけるだろうか。
人間として大きくなれているだろうか。
でも、絶対に考えることをやめないはずだから。
きっと、【私】をつくってくれるものを選んでる。