イルミネーションは好きだ
寒くて暗い夜を綺麗に彩ってくれる
誰と観るわけでもないし、自分一人でわざわざ足を止めて観るほどでもない
ただ毎年やってくる冬の、毎日やってくる夜を綺麗に彩ってくれているから好きだ
冬の澄んだ空気の中、見上げる夜空の星の輝きは普遍的な美しさだと思う
ただそれを模したかのようなイルミネーションは、人が作り出した地上の星なのだ
ともすれば夜空の星の輝きを覆い隠すほど眩いものでもある
ただ、星を見上げる余裕もない毎日に、ただ通りすがるだけでも光に包まれる体験を、人が人のためにしてくれている
その事実がどうしようもなく眩しく思えるのかもしれない
イルミネーションの下を笑顔で子どもが歩く
その輝きは電飾の灯りに勝るとも劣らない
いや、むしろイルミネーションと子どもの無垢な笑顔があって完成するひとつの絶景なのかもしれない
大自然の中で、人の営みの中で、そこかしこに美しい景色はある
それに気づかせてくれるのは、美しく彩ろうとする人の心なのだろう
イルミネーションの下で溢れる人の笑顔で凍えた心が綻ぶから、私はイルミネーションが好きだ
この書類どうすればいいですか?
このメールどうすればいいですか?
なんか先方の要望きついですけど、どう対応すればいいですか?
あいつはああ言ってるけど、俺どうすればいい?
スケジュールきつすぎ、どうすればいいかな?
いつの間にか自分で考える前に聞いてしまう癖ができた
言われた通りにすれば、ひとまずは責任の分散ができるし、自分に失望せずに済むからだ
友人の子どもと遊んだ時、小学校に上がる前の子にも聞いた
この車(のおもちゃ)で俺はどうすればいいの?
その子は笑顔で答える
こっちに来て!ここを走るんだよ!
言われた通りにするとその子はますます笑顔になった
ああ、この子にもきちんとしたいことがある
考えて決めていることがあるんだ
考えて決める、ということが生きるということのピュアな答えなのかも知れない
さすがに悔しくなって、目の前のことを考えて決めようと思った
今日は何を食べようか、どこに行って何を買おうか
...少し考えた結果、1番楽な方法を選んでしまった
それがしたいことだったのか、したくないことを避けたのかはわからない
自分に失望せずに済む、つまらないけど楽な道
癖というのは厄介なものだと思った
生き方に迷って、人気沸騰中のエッセイストよろしく自らの内なるホウプに問いかけてみる
君はどうしたい?
少しの沈黙を置いて彼は言う
「......俺はどうすればいい?」
さて困った
俺はどうすればいいのだろう
自分に失望してやまない
宝物
大人になって自分でお金を稼ぐようになってから、身の回りにあるものの大半は宝物と言えるかも知れない
必要に応じてか、無駄と知りながらも手に入れたかったか、いずれにしても時間を対価に手に入れたお金で買ったものだ
だが、お店で見た時はどうしても欲しかったものがいざ自分の手に馴染むころには宝物には見えなくなる
自分自身の身の回りに宝物なんて似つかわしくないのだ
自ら宝物を宝物で無くしていくのは業の深さか、あるいは向上心か
そうして手放したものがいくつもある
時々あれを捨てたのは失策だったなあと感じることもあるが、そもそも宝物が宝物であり続けていたらそんな目にも遭わない
こうして1日の大半を社会に捧げ、宝物と見紛うほどのありふれたものを求め続けていく
......こんなありふれた日常を宝物と呼べることを願っている