ボレロの旋律(テーマ:良いお年を)
大晦日の夜は、特別に何もしないのがマイルールだ。家族とどこか旅行に出かけるわけでも、友人たちを誘って遊びに行ったりするわけでもない。年越しジャンプもしないし、カウントダウンもしない。
午後十時には布団に入り、チャンネルをテレビ東京に変える。画面に映し出されるのは「孤独のグルメ大晦日スペシャル」。大晦日にすっかり恒例となってしまった。お使いを頼まれ各地を奔走する五郎さんを見ながら、私はついつい気持ちよくなって眠りこけてしまう。退屈だから、ではない。ただ、気持ちがいいのだ。音楽などを聞いている時とおなじ。
二年前にはついに寝落ちをしたことがある。午後十一時を回ったタイミングでおそらく眠ってしまったらしい。ハッと目覚めた時は七時を回っていた。テレビには、元日の朝から放送されている「孤独のグルメ」再放送が流れていた。でも、その瞬間が幸せだ。
今年は、眠ることなく年越しを迎えることができた。少し嬉しい。年越しの瞬間は、テレ東の「ジルベスターコンサート」を流して過ごした。ラヴェル作、ボレロのオーケストラ演奏は、テレビ越しでも迫力があり圧巻だった。ところで、ボレロといえば同じメロディーが繰り返される曲として有名だ。このメロディーは私の生活にもよく似ている気がした。この大晦日の過ごし方、ここ何年も変わっていない。また、これから変えるつもりもない。私は多分、これからもこのままでいるのだと思う。
〜〜〜あとがき〜〜〜
今年も、どうかよろしくお願いします。とはいっても、小説はほんのわずかしか書いていないのですが。私はこれからも同じように、大晦日に五郎さんを眺めながら眠りこけるのでしょう。私の一年は、いつもと同じような日常から始まります。みなさんのそれぞれの過ごし方が、これからも大切に守られていきますように。気がつけば、これは小説ではなく、ただ私の話になっていました。
河川敷の斜面は、昼間の雨をまだ含んでいた。しゃがんだ拍子に、靴底がぬかるんで少し滑る。コートの裾が草に触れて、もう湿ってしまったけれど、歩道に戻る気にはならなかった。
下まで降りてくると、私はそのまま仰向けに転がった。背中に伝わる冷えが、思っていたよりはっきりしている。首の下の小石が痛い。川の流れる音は単調で、遠くの車の音がときどき混ざる。
星はたしかに多かった。でも、写真で見るほど派手じゃない。白くて、小さくて、輪郭が少し滲んでいる。 今日の仕事は、何から何までうまくいかなかった。メールの言葉を読み違え、先方への電話のタイミングを逃し、「大丈夫です」と上司に言った自分の声だけが、やけに耳に残っている。
コートのポケットに入れた手が、冷えてかじかんだ。吐いた息が白くなる。それを見て、少し安心した。確かに、私は存在している。それだけで、こころが“ここ”に戻ってくる。
この時間に、何かが劇的に変わるわけじゃない。明日も普段と同じ電車に乗って、同じような顔つきで、同じような仕事をする。
それでも、ここに来ると、「全部投げ出したい」から「今日はもう終わった」に、気持ちが少しだけ動く。背中の冷たさも、首の痛みも、星の数がはっきり数えられないことも、今の自分には、ちゃんとした現実だった。
私はゆっくり起き上がる。服についた草を払って、靴底の泥を軽く落とす。空はまだそこにあって、星も相変わらず瞬いている。今日はそれで、十分だった。