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 河川敷の斜面は、昼間の雨をまだ含んでいた。しゃがんだ拍子に、靴底がぬかるんで少し滑る。コートの裾が草に触れて、もう湿ってしまったけれど、歩道に戻る気にはならなかった。
 下まで降りてくると、私はそのまま仰向けに転がった。背中に伝わる冷えが、思っていたよりはっきりしている。首の下の小石が痛い。川の流れる音は単調で、遠くの車の音がときどき混ざる。
 星はたしかに多かった。でも、写真で見るほど派手じゃない。白くて、小さくて、輪郭が少し滲んでいる。 今日の仕事は、何から何までうまくいかなかった。メールの言葉を読み違え、先方への電話のタイミングを逃し、「大丈夫です」と上司に言った自分の声だけが、やけに耳に残っている。
 コートのポケットに入れた手が、冷えてかじかんだ。吐いた息が白くなる。それを見て、少し安心した。確かに、私は存在している。それだけで、こころが“ここ”に戻ってくる。
 この時間に、何かが劇的に変わるわけじゃない。明日も普段と同じ電車に乗って、同じような顔つきで、同じような仕事をする。
 それでも、ここに来ると、「全部投げ出したい」から「今日はもう終わった」に、気持ちが少しだけ動く。背中の冷たさも、首の痛みも、星の数がはっきり数えられないことも、今の自分には、ちゃんとした現実だった。
 私はゆっくり起き上がる。服についた草を払って、靴底の泥を軽く落とす。空はまだそこにあって、星も相変わらず瞬いている。今日はそれで、十分だった。

12/31/2025, 8:17:36 AM