私は普通の暮らしをしている。最高の出来事はないが、最悪の出来事もない。ただ毎日学校に行って、友達と話したり、遊んだりして夜に眠る。平凡で、平穏な日常だ。
まあつまり、退屈なのだ。平凡で平穏な日常は、確実である代わりに退屈だ。そんな平らな道を進むだけで、私の人生を終わらせてしまっていいのだろうか?
なにか、良い刺激が欲しい。私自身が、唯一無二の存在であると証明できる力が欲しい。何かで1番になった、大切な人ができた。何でも一つ、退屈から抜け出すためのきっかけが欲しい。
平穏な日常は全く悪いものでもなく、むしろ守るべきだと思う。だがそれで退屈してしまうなら、思い切って踏み出して、自分の人生を唯一無二の存在にしたい。
そう思うのは、退屈じゃない。
愛=平和。この方程式は、成り立つ。
始まりは小さな愛だ。誰かが誰かを好きになり、その気持ちが強くなってお互いがお互いを愛し、そして一つの愛として結びつく。世界ではこんな出来事が数え切れないほど起こっている。
そうしてできた愛は、世界中に広がっていく。愛することを知った人々が、他国の人々を、文化を、心を愛する。普通に人ならば、愛するものは傷つけない。だから愛が世界に広がれば、その世は平和と言えるのだ。
しかしこの世界は、どうやら愛に溢れていながら平和ではないらしい。
その原因は、人を愛すことを知っていながら人を愛すことができないからだ。愛することができないから、簡単に傷つけ合い、平和と真逆の道へ進む。
他国の人々を、文化を、心を愛してみるといい。それはまるで波紋のように世に広がり、平和に繋がる。あなたの今持つ愛情が、いつの日か平和をもたらすことを願っている。
過去は変えられない。過ぎ去ったものは、もう手元にない。
やってしまった。そう後悔するのは、いつも過ぎ去ってからだ。あの時こう返せば良かった、あの時こうしておけば良かった。もう手元にない、もう変えることのできない過ぎ去った日々を、私は常に振り返る。
過去は変えられない。だがきっと、その価値は、現在でもその先の未来でも、変えることができる。
過ぎ去ってしまった日々を、現在を生きる糧にするのか、未来を閉ざす錘にするのか。それは、今この時を生きる自分が決めることだ。
過ぎ去った日々の価値は、自分自身の手でどんな形にも変えられる。過去を未来に繋ぐことこそ、現在のあなたがすべきことだ。
お金より大事なもの。それは、お金に換えることのできないもの。お金にかけられた価値ではとても買うことのできない、果てしない価値を秘めたもの。
例えばそこに、一生遊んで暮らせるくらいのお金と、あなたのとても大切な人が、燃え盛る炎の上の天秤にかけられているとしよう。どちらかを選ばなければならない。無論、片方を選べば、もう片方は消し炭だ。
大抵の人は、後者を選ぶのではないだろうか。
お金は自分が頑張れば後からいくらでも手に入る。しかし大切な人は、一度失ってしまえば同じものは何をしても手に入らない。命はお金で買えないからだ。
お金より大事なもの。それは、お金に換えることのできないもの。命とは、お金にかけられた価値ではとても買うことのできない、果てしない価値を秘めたもの。
あなたの周りは、そんな人々で埋め尽くされている。そしてあなたも、その一人であるということを、忘れてはならない。
私にとって月夜とは、今と昔を繋ぐ絶景だ。
千年前。この日本独自の文化が生まれた平安時代から、月に関する和歌が残っている。それを残した彼らは月を見て、己の恋心を詠んだのか、ただ美しいと思い詠んだのか。それはそれぞれで違い、とても素晴らしい。
しかし私たちは、月を見ても彼らのような感情はほぼ芽生えない。美しいと思いはするかもしれないが、その先を考えない。それでも私たちは、千年前から変わらぬ月夜を見ている。
私たちのご先祖様は、私たちと同じものを見ていた。
そして私たちは、ご先祖様と同じものを見ている。
千年の時を経てもなお、私たちは空に輝く月によって繋がっている。そうやって千年後、私たちと私たちの子孫が、繋がっていることを願う。