戻りたいのか。
止まってほしいのか。
いっそのこと
ふっ、と消えたくなったりもして。
未来におびえて
未来がくるのを少し遠ざける。
時間は誰にも触れない。
結局、願いは届かなくて
泣いた先の朝空があまりに綺麗で残酷で
思わず笑ってしまうんだ。
叶いもしないのに、願うことをやめれなくて。
ある程度の倫理に則ったルールなら。
親、先生、校則。
私は、守ってさえいれば、従ってさえいれば、
いい子でいられたし楽に生きられた。
もちろん自由は無いし、楽しみや喜びも特に無かった。
でも大きく苦しむことも無かった。
それに比べて、社会は自由だ。
自分で選べるし自分で決めることができる。
しかし、自由を手に入れた分、責任が伴う。
上手くいかないことも多くある。
この選択が誤りだったらどうしよう、と不安で押し潰されそうになることも多い。
子どもの頃は、親や先生、校則、そんなルールが
私を縛ると同時に私を守っていたのだろうか。
楽しくは無かったが楽だったあの頃にふと戻りたくなる。
親や先生、学校、そんなルールがなくなった今では
まるで "俺がルールである" かのごとく
「もっとこうあるべき。」「もっとこういう人間になれ。」
と私を縛る存在が出てきたりもする。
しかし本来、私のルールは私にあり私が決めることである。
私の人生に責任をとれるのは私だけなのだから。
誰かに従い、失敗したとして誰も責任をとらない。
故に、私のルールは私が決めるべきなんだ。
こんな私は
正しいだろうか。正しくないだろうか。
いつか私の人生も誰かにジャッジされるのだろうか。
小学生の頃、水玉模様が大好きだった。
母はチェックが好きだった。
私たちの好みは全く合わなくて、私の好きなものはよくからかわれて
すごくすごく悲しかったんだ。
大人になった私のクローゼットには、無地の服ばかり。
無地は、人を選ばないしセンスも問われない。
否定されることがないから好きだ。
もしあの時、からかわれていなかったら今でも水玉模様が好きなのだろうか。
水玉だって
花柄だってボーダーだってチェックだって
無地だって
どれも可愛いのに。優劣なんてないのに。
いつからか、周りの声が自分の声になって
周りに合わせることが、周りから否定されないことが、
私の正しさになってる。今も。
でも本当は、全部、どんな模様でも、
可愛くて。誰かが愛してる。
笑っている私も泣いている私も、怒っている私も
全部何だって愛おしい。
どんな模様でもいいし、模様が無くてもいい。
どんな形にも表せない唯一無二の私の模様。
きっと歪で誰からも愛されていない。
でも私が愛してる。私だけの形。そんな心模様。