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1/19/2025, 11:24:58 AM


♪ゆーりかごのうーたをー
        かなりあがー
            うーたうよー♪
♪ねーんねこー
    ねんねこー
       ねーんねこよー…


息子が、はじめて、
自分の意思を持って
言葉を発した日。



公園へ行こうと、ママチャリの前に息子を乗せ走っていると、
2歳になるかならないかぐらいだったと思う。

空を指差して、空気の音みたいな感じで、

「ひ、ひ、ひ、ひ、こ、う、き、」

最初分からなかった。

「そうだねぇ、ひこうきだねぇ」
と、言うとニッコリした。

伝えたい…分かり合いたい…
息子は、人として、そういう意思を持った。

わたしは、
決して良い母親ではなかった。
もし、息子から、

生まれてきたくなかった…と、言われたら、心臓を握られ身を引き千切られる…

ただひたすら地に頭を擦りつけ、
許してもらえるかわからないけど、
謝り続ける…しかない………






ゆりかごの唄は、
息子をトントンしながら、
よく歌った。

今でも口ずさむと、
6畳2間のアパートの、
夕焼けを思い出す。
僅かに見えた富士山のシルエットも。
単線が走る、送電線も。


子守唄は、
母としての自分のために歌う…
そういうものだと思う。

息子は、
やっと授かった我が子。

息子が車の免許を取って、
わたしを助手席に乗せてくれた日。

「かぁちゃんの自転車に乗せてもらってたのになぁー」

と、ずいぶんと生意気な事を言っていた。

♪ゆーりかごのうーたを、…


2025/01/19
ただひとりの君へ、

とと様も、
ただひとりの君です……悪態吐いてていいから…ほんとにちんだりなんかしないで………
わたしの、とと様………

1/18/2025, 10:48:13 AM

東に居る頃は、
パートを2つ掛け持ちしてた。
花のボランティアで扱う花も、
訪問する時の交通費も自腹だったから。
あと、短期のアルバイトもしたり、とか。

身体を動かしたり、働くのも好きだったから、何の苦痛もなかったな…

有志で出し合ったお金で花を買って、ブーケやアレンジメントを作って、友達や近所、学校などに配ったりしてた。

それを6年間続けた。

途中、辛くなってやめたくなったのは、
理由は、なんだったけかな…人間関係だったと思う。
忘れた。

〇〇長(教団で立場のある人)に、「やめたいのですが…」と言ったら、
「工夫が足りないんじゃないの? 飽きたんでしょ」と言われて、

「じゃ…どうしたらいいですか…」って、聞いたら、

「そんなんだからだめなんだ、『どうしたらいいですか』ではなくて、『どうさせていただいたらいいでしょうか』、、でしょ?…貴女は言霊がよくないっ」って、叱責。

あのあと、どうしたっけかな。

〇〇長は大ッキライになったけど、
活動は続けた。元来、負けず嫌いだから、いつか、あの〇〇長をぶっとばしてやろうと思ってた。

あの、〇〇長、
定年を前にして、とある理由で、
無職になるらしいとか…聞いた。

『どうさせていただいたらいいでしょうか…』って、今更、
神様に聞いてるのかな。


2025/01/18
手のひらの宇宙、
わたしの手は、
晩飯作って掃除して洗濯して、抱きしめたり握り締めたり、触ったり、耕したり摘んだり手当てしたり、物を造ったり壊したり組み立てたり表現したり…

じゃぁ…手のない人には宇宙はないの?
手の動かない人は、何も創造できないの?

つくるのは、手じゃない、
目を閉じたら開く魔法の目。

1/17/2025, 11:21:46 AM

今日は、

同僚から、
「今日はさー、阪神・淡路大震災の日だよね…」って、話しかけられた。

その話しをしたのは、そのひと、一人きりだった。 

その人は、仕事がいつも遅くてみんなからいつもいつも呆れられている…そういう人。

その同僚は、ほんとにいつも仕事が遅くて、あーもぉ〜って、わたしもいつもいつもイラッとしてしまう。



だけど…、
今日の阪神・淡路大震災の日っていう話題を、わたしは誰かとしようとは思ってなかった…。

その同僚とひとしきり、30年前の話しをした。わたしは、当時電報センターに務めていて、被災した方の家族や友達、親戚や知人の方の、生の声を聞いて仕事をしていた。あの日は、壮絶だった。忘れてはならないのに、忘れようとしている。



帰ってからその話しを夫とした。

「いつもバカにされているような人こそ、
大切な事を投げかけてくれる、大事な人だよね」

そういう話しになった。



2025/01/17
今日は反省と祈りの日。

1/16/2025, 11:16:09 AM

以前、特別支援学校へ、遠足ボランティアに行った時、(今は特別支援学校という呼び方はしないようです)

わたしは、A子さんの車椅子を押す担当になった。遠足はバスで15分くらいの広い公園。地域のボランティアさんや、小学校のPTAボランティアさんも居た。

みなさん手際よく慣れていらして、わたしは車椅子の扱い方や、生徒さんへの話しかけ方などを教えていただいた。

いざ、公園へ到着して、車椅子を押す前に、A子さんにもう一度挨拶しようと思い、前に出て屈んで手を取ろうとすると、サッと手を払われてイヤイヤをする素振り。

嫌われてしまったかな…
と、思ってしまうと、

楽しい遠足が、気に入らない人に車椅子を押してもらうハメになってしまったA子さんに、申し訳ない気持ちになった。

A子さんは、小学4年生で、
わたしの息子は、当時中学生だった。

車椅子を押しながら、花が綺麗ねとか、気持ちがいいねとか、とにかくひとりごとのように、話しかけるでもなく声を出し続けた。黙っているよりいいと思って。

公園の芝生広場まで来ると、
ブルーシートが広げられ、生徒さんたちを車椅子から下ろし、好きな場所に好きなように休ませてあげる時間になった。

わたしもA子さんを抱っこして車椅子から下ろしてあげた。

軽い!!
女の子って、こんなに軽いんだ…
と、思った。

寝っ転がる?
と聞くと、イヤイヤしたので、

じゃぁ、
って、

わたしがリクライニングの座椅子みたいになって、そのままA子さんを休ませてあげることにした。

身体に力が入ってるな…と、感じたので、
「よっかかっていいよ」と言うと、
フッと力を抜いてくれた。

髪の毛からシャンプーのいい匂いがして、ご両親に大切にされてるんだな…と思った。

かわいい…
ツルツルでサラサラの髪の毛、
そっと抱きしめてあげると、
わたしも身体の力が抜けて行くのを感じた。

あんなに手足が細くて、
壊れ物みたいな儚いカラダを
抱きとめた事がなくて…


わたしは、
世の中を知らないょな…って、
A子さんの髪に頬を着けた。
つむじが、温かくて。



今年、
A子さんは22歳くらいだと思う。
わたしのことなど、
もー忘れちゃったかもな…


2025/01/16
昭和のアイドルは、
黒い涙を流してました!!

1/15/2025, 11:28:24 AM

…3年半ほど、訪問奉仕させて頂いたご家族がいた。奥様はわたしより10歳ほど年下で、お子様は幼児から小学生4人。子育ての真っ最中の女性だった。

信徒ではあったけど、引っ越して来たばかりで友達も居らず、子供の頃からの自律神経失調症、鬱、パニック障害などで疲れているとの事だった。

週1回、センター受入れご奉仕当番にあがっていたわたしは、たまたまその方とお会いしてお話しを伺い、すぐに毎週1回の訪問が決まった。

最初は、下のお子さんの相手。絵本を読んだり一緒に歌を歌ったり折り紙をしたり。
そのうちに女性とも打ち解けて、その方は『外へ出て働きたい…』そういう願いを持っていらした。

1年ほど経つと、信仰仲間から、
「あの女性は元気なんだから、センターへ来てご奉仕できるはず、わざわざ訪問する必要ないのでは?」とか、「どうせお茶飲み友達が欲しいだけでしょ」「お喋りしていい気持ちになって帰ってくるだけでしょうよ…」など、言われ続けた。訪問先では、お茶も水もいただかないし、トイレを貸していただくことさえもない、長くても30分以内。

訪問するときは、先生の許可より先に、
必ず神様に祈る。

なので、わたしが行く、行かないを決めるのは神様なわけで、私一存というわけにはいかない。

その女性が、自分から何か行動を起こす…そういう気持ちになるまでは、周りから何を言われても一歩も引くまい。
そう決めてた。

下のお子さんが幼稚園にあがる頃、
もともと世の中に貢献できる資格をお持ちの方だったので、そういう仕事を始める事が決まった。

現在、そのご家族は元気にゴスペルを歌い、奥様はお仕事でも活躍されている。


報告会に出席するたびに、周りからどうのこうの言われ続けた、その、『どうのこうの言われること、』それが、わたしの我慢の学びだったと思う。


自分がなのんために生きているのか、それが分からなくなった人のために、信仰者が居るんだと思う。

その一瞬その一瞬、ご一緒させていただいて、その人が明るい道へ出たなら、それでいい。


わたしは前へ、進もう…
自分のためでもあり、誰かひとりのためでもあり、ただひたすら胸の光の示す方へと。
少しずつでもいいから、前へ前へと、これからも進みたい。


2025/01/15
あなたのもとへ。

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