「温泉旅行行きたいなあ」
親友のカナちゃんと、最近疲れててさあ、と愚痴を言い合っていたとき、カナちゃんがポロリと呟いた。
「温泉良いねえ!一緒に行こうよ!」
一瞬で2人でゆったり温泉に浸かってじんわりあったまる想像をして、すごくいいなあと思った私は、間髪入れずにそう返した。
「うん。私もアキちゃんと一緒に行きたいなあって思ってたの。いつ行く?」
と、カナちゃんは乗ってきてくれる。
ふたりしてスマホのスケジュールアプリを開いて、休みの日を突き合わせる。
「私、この辺繁忙期終わって有給取りやすいけど、アキちゃんはどう?」
「あ、私もその辺休み取れるよ!じゃ、日程はこの辺で……2泊3日?」
「うん、そうだね」
日程は簡単に決まった。問題はどこに行くかだった。
「近場の温泉で有名どころだと草津とか箱根とか熱海とか?」
「私、どこも行ったことないなあ」
「私も!」
どこも行ったことのなかった私達には、どこも魅力的に感じられて迷ってしまう。
スマホで泉質やら周りの観光地やら景色やらいろいろと調べてみて、ああでもないこうでもないと検討する。
ふたりとも「うーんうーん」と唸りながらも、なんだか楽しくて、笑顔がこぼれる。
どこへ行こう?ってふたりで頭を悩ませているこの時間が一番楽しい説あるかもな、ってちょっと思ってみたりして。
どこへ行ったって、この相手となら絶対楽しいってお互いに確信がしてるから、逆にこんなに悩むのかもしれない。
なんだかんだで行き先も決まり、各種予約を済ませて、一段落。
「温泉、楽しみだね!」
「うん。楽しみ」
ふたりで言いあって笑いあう。
ああ、ワクワクする。
旅行の日まで、何があっても頑張れそうな気がした。
玄関を開ければ、白いもふもふが私を迎えてくれる。『サモエドスマイル』と呼ばれる可愛い表情で、フサフサの尻尾をブンブン振って駆け寄ってきて、全身で「おかえり」を表現してくれる。
「わー!ただいまー!会いたかったぞー!」
私は荷物を置いてしゃがみ、愛しいもふもふを腕の中に迎える。もふもふ、ふわふわ、あったかくて、これだけで最高に癒やされる。
「よーしよしよしよし、可愛いなあキミは。本当に最高に可愛い。あー、たまらん。大好きだぞー!宇宙一愛してるぞー!もうbig love!だわ!マジで!」
わしゃわしゃともふもふを撫で回しながら言えば、返事をするように「ワン!」と一声鳴いてくれた。「ボクも大好き!」とか「ありがと!」とかそんな意味かなって勝手に解釈して、また愛しくなる。
「おかえりー!ご飯できてるわよ!早く手洗いしていらっしゃーい!」
廊下の奥から母さんの声がした。
私はそれに「はーい!」と応えて、荷物を手にして立ち上がった。その脇に愛しいキミ。廊下を進めば、夕食のいい匂いが鼻腔をくすぐった。
ああ、幸せだな、大好きだな、って私は思った。
授業中、クラスの皆で薄暗くした教室で退屈な教材のDVDを見ていた時、二の腕にツンツンと触られた感覚があって、僕は左隣の蓮見さんのほうへ目を向けた。蓮見さんは1枚のルーズリーフを僕の方へ差し出している。左上に『しりとり』の文字、その右に『→』があって、さらにその右にはリンゴと思しきイラストが描かれていた。
「絵しりとりしよ」
蓮見さんがささやき声でイタズラっぽく笑った。僕はその様子に少しドキリと胸を鳴らしながら、何事もなかったかのように無言でルーズリーフを受け取った。それを見て蓮見さんがまた満足気に小さく笑った気配がする。僕は蓮見さんの描いたリンゴの隣に、ささっとゴリラのイラストを描いた。上手くはないが、ゴリラだとは伝わるだろう。たぶん。
僕は蓮見さんがさっきそうしたように、彼女の二の腕をツンツンしようとしようとした。けれど、何だかいけない気がして、直前でやめる。そして、隣の彼女へ「ねえ」と小声で声をかけた。
退屈そうに映像の映ったスクリーンを眺めていた蓮見さんは、僕の方へ目を向けて、僕が差し出すルーズリーフを受け取った。僕の描いたゴリラっぽいイラストを見て、
「王道で来たね」
とまたささやき声で笑う。
それから、数秒でラッパのイラストを描いて、僕へ差し出した。
「蓮見さんこそ」
僕がそうささやき声で返しながらルーズリーフを受け取ると、蓮見さんは楽しそうに笑った。
時には笑い、時には「やられた!」と苦い顔をし、時には感心し、僕らは絵しりとりを続けていく。合間で、僕らのささやき声の応酬も続いた。
僕はくるくる変わる蓮見さんの表情に密かに胸を高鳴らせながら、退屈な授業中のふたり遊びを楽しんだ。
前日書けなかった分と合わせて投稿します
(星明かり)
君は、星が好きだった。特に星座が好きで、夜空を見上げては指差して、俺に『あれが〇〇座だよ』なんて教えてくれた。星座の物語もよく聞かせてくれた。
俺は星座をなかなか覚えられず、今何も見ずに分かるのはオリオン座くらいのものだけれども、君が星座のことを楽しげに語る姿がとても好きで、君の話は何だって楽しく聞けた。
そんな君が星になって10年。最初は悲しくて見上げられなかった星空も、今では見上げられるようになった。君が語った星座の物語のように、君がそこにいる気がして、星空を見上げるのは前よりも好きになった。
今日は新月。いつもより輝く星明かり。いっそう君の光を感じる。
君を喪った傷は簡単には癒えてくれなくて、今も心の穴は埋まらないけれど、それでも俺は生きているよ。俺はここにいるよ。
そんな想いを込めながら、星明かりへと手を伸ばした。
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(影絵)
昔、親戚の家に行った時に、知らないお兄さんに影絵を教えてもらったことがある。あの人はたぶん、親戚のお兄ちゃんのお友達とかだったんだと思うけれど、それ以来会っていない。シュッとして、何だかかっこいいお兄さんだったのを覚えている。
俺はお兄さんほど上手くできなくて、何度も何度も教えてもらった。それに根気よく付き合ってくれたのだから、お兄さんはとてもいい人だったのだろう。
強い陽射しの中、すっと手を動かして地面に影絵を作ってみる。いつかの日にお兄さんが作ってくれた影絵には遠く及ばないクオリティだ。言われれば何の動物かギリギリわかる、という程度の。あのお兄さんはもっと綺麗にハッキリ何の動物だかわかる影絵を作ってたのになあ。大人になった俺は、悲しいことに未だに不器用で、こういうことは苦手なままなのだ。
俺もシュッとしたかっこいいお兄さんになりたかったのになあ、と地面に映った歪な影絵を見て、俺は思った。
物語の始まりって言えば、『常識がひっくり返る』とか『日常が非日常に塗り替えられる』とか、何か劇的なものを想像しがちだけど、私たちの人生に潜む物語の始まりは、日常の流れの中ですーっと自然に起こってることなのかもしれない。
例えば、恋物語によくある始まりには、一目惚れだったり、相手に何かから助けてもらったり、大きなイベントが起こる。でも、現実ではそんな大きなきっかけなんてなくて、気づいたら好きだった、ってことがよくある。人生を変える物事の始まりは、意外と些細で何気ない日常の中にあるんだろう。
今も気づいていないだけで、物語の始まりの中にいるのかもしれない。そう思うと、ちょっと人生が楽しくなる気がするんだ。