あの人は「ずっとこのまま」と笑った。
焼け野原の中にポツンと残った途端屋根の下で自分も怖いくせに強く手を握ってくれて、何だか久しぶりに安心して空を見た気がした。嬉しそうにプロポーズの日を茶化しながら話す祖母の姿を忘れられないんだと、祖父は看護師さんにでも話すように僕に話してくれた。
「乗り降りの為、右の扉が開きます」
そうアナウンスが入ると貴方は立ち上がり荷物をまとめ「じゃあね」と言って扉の外に行ってしまった。
再び動き出すまでの時間、一緒に降りるべきかと考えてると貴方は扉の外から寒そうに肩をすくめ手を振る。「またね」と言っているようで安心した。それでも少し不安で仕方なかったのは扉から入ってくる冷たい空気のせいだとシートの暖かさにかまけてしまった。
成人式は嘘をついて行かなかった。
行きたい気持ちと行きたく無い気持ちでいっぱい。
今の私を見せたくないとか会いたくないとかじゃない。それでも成人式には行けなかった。
理由は今でも分からない。後悔がある訳でもない。
ただ成人式は行かなかった。揺るがない事実。
この事実ともう一つ揺るがないことがある。
それはあの日、嘘をついてまで行かなかった自分が大人となってしまったことだ。小さい頃から重ねた嘘にまた変わらず一つ嘘を重ねてしまった。悔しい。
だからこそ、嘘をついた事実をここに遺したい。
子供の頃は三日月でも満月でもどうでも良かった。
月はそこにあるのが当たり前だから気にもしなかった。でも最近は夜空を見て月を確認している。記録をつけたり意図して見たりはしない。ふと思い立って見上げる。理由は無いけど、それらしき物を説明するとするならば当たり前にそこにあった何かが目の前から消えてしまったから。そう思いたくなるほどに今日の夜空は暗い。多分、今日は新月。もう少ししたらきっと三日月が空に。
ビュッフェに行った時ふと自分の皿とあの子の皿を見比べた時に思った事です。料理は見た目より味。人は外見より中身。そんな風な言い訳を崇拝する私からすれば欲しい物を皿に乗せて食べたい物を乱雑に据えていく。これで十分ビュッフェを楽しめていたのです。しかし、あの子の皿をはため息が出るほど見栄えが良かった。皿の上には薄く切った生ハムでおそらくラディッツであろう食べ物を巻いたものとひどい匂いを放つパクチーやらスプライトみたいな名前の葉っぱをご丁寧にちょこんと乗せてあった。あの子の皿は絵を描き始める前のパレットの如く色とりどりにバランスよく綺麗に盛られていた。でもあの子はパクチーが嫌いです。前にグループ内の他の友達と何人かで行った時は食べれないからといって丁寧に皿の隅に避けてありました。それでも、そんなあの子でもパクチーを皿に盛る日があるらしいです。卓に着くとあの子はパクチー好きの良さげな彼との会話で料理なんて興味も無さげなんです。ここはビュッフェですよ。食事を楽しむところですよー。と。茶々を入れまいと口いっぱいに頬張り自分の口を塞いでやりました。勿論分かってますよ。お皿に盛った時、色とりどりの方が見栄えがよくて美味しそうに見えます。同じ料理で同じ味なら見栄えが良い方がいいに決まってます。私はパクチーを食べれないことは無いけど好き好んでまで食べることもないです。それだから私は今日もあの子に本当に欲しいものと食べたい物をあの子の皿に盛られてしまう。