『君にもしものことがあったら、僕は生きていけないよ』
隣でそう言っていた貴方は、交通事故で死んでしまった。
千秋楽が終わったら、そのセリフを本物にしてもらうつもりだったのに。
「どうして告白する前にいなくなっちゃうのよ……!」
/『失恋』
「入梅の頃。覚えやすかろう?」
彼はそう言って目尻を下げた。チャームポイントの太眉と膝小僧が本日も愛らしい。
梅雨入りを知らせるその日は、彼の誕生日である。
正確に言うと、彼がそう決めた日である。
彼にとって大切な日。眼前にいる彼女に救い出してもらった日。
あの日手を引いてくれた彼女の微笑みは、彼は一生忘れないだろう。
しとしとと遠くの方で雨の降る気配がした。匂いもする。もうすぐこちらにも雨雲がくるだろう。
テレビのニュースで、今年は例年より早く梅雨入りしたと言っていた。
また一年が過ぎた。今年も彼女と共に過ごせることを彼は心から喜んでいる。彼女や同居人は、きっとパーティーとやらもして盛大に祝ってくれるのだろう。
梅雨入りのジメジメとした空気は、昔のことを思い出す彼にとって、彼の心を土砂降りに、そして梅雨明けのように晴れやかにするのであった。
/『梅雨』
あさき、〜の某彼を。
急ぎあげ。
まともな大人になれなくてごめんね
いつも迷惑をかけてごめんね
わがままばかり言ってしまってごめんね
心配ばかりかけてごめんね
近いうちに「ごめんね」を「ありがとう」に変えるから
待っててね
/5/29『「ごめんね」』
今日から衣替えだ。
道行きに合流した男子高校生三人は挨拶を交わした後、口々に言った。
「今日からだな」
「だな」
「去年からこれでよかったんだよ」
「な」
手で顔を仰ぐ青井。
同意する井上。
昨年までを思い出す江藤。
「なんで年々暑くなんのに、日にち基準なんかね?」
「さあ?」
「まあまあ。今年は気温基準で、今日から半袖になったからいいじゃん」
「そうだけどさあ」
衣替えのタイミングについて不満を漏らしていると、三人の横を自転車に乗った同校の女子が過ぎていった。
なんとはなしにそれを見送った三人は互いに口を閉ざし、そして、
「やっぱいいよな」
「半袖」
「うん、いいよな」
頷きあい、視線を交わした。
「うなじがさ、色っぽいんだよな」
「はぁ?ブラチラだろ、やっぱ!」
「そこまでいったらワキのラインだろ、普段見えないエロス……」
口々に性癖を暴露し、
「安直!安直すぎんよ、お前!」
「お前こそ、ブラチラとか夢見んなよ。イマドキみんなキャミくらい着てるだろ」
「そういうお前はマニアックすぎんだよ!なんだよ、ワキのラインて。ワキじゃねぇのかよ!」
「限られた袖口から覗くラインがいいんだよ」
「キモい!」
互いの癖に文句を付けあった。
(……バカばっか)
騒ぐ三人の声を聞いていた女子が内心呟いた。
少し先の横断歩道で信号停止していた先程の自転車の女子である。
/5/28『半袖』
何が始まりだったんだろう。
彼女は突然キレた。
どうやら長らくの不満があったらしいが、それが爆発したらしい。
彼女曰く少しずつ不満を出してはいたらしいが、僕から言わせれば、あれは不満の声には聞こえない。
結局のところ、その不満を喜んで(今思えばそういう風に見せかけていただけだろうが)受け入れていたのも彼女自身だ。
そんなに嫌だったのなら、許容せずハッキリと拒絶すればよかっただけのこと。
それに、僕にだって彼女に対して同じような不満がなかったわけではない。
お互い様でそこを許容した上でのつきあいではなかったのか。
彼女がキレたLINEを寄こした数時間後、「さっきは突然ごめん。でも――」と謝罪と言い訳と縋りつくような言葉の羅列が送られてきた。
(ああ、僕は君のそういうところがキライなんだよ)
情に絆されてずるずると関係を続けていたが、ギリギリで繋がっていた糸がぷつんと切れた音がした。
(もういいや)
指がブロックの文字をタップした。
/5/19『突然の別れ』
僕は向こうの仕事に就きたかった。
僕にここは不向きだ。
僕は門番をしている。
怒号と悲鳴が混じりあう人々をなだめ、別れる道々へ案内する日々。
上から下から文句ばかり言われて、平穏な日々を求める僕にこの仕事は刺激的すぎる。
もっと穏やかに静かに生きていたい。
私は門番をしている。
私はとても退屈していた。
ここの仕事はやりがいも何もなく、従順な人々を導くだけ。
いつもと違うことがあるとすれば、困惑している人を落ち着かせることくらいだ。
それも生来の性格からして大人しい人が多いため、それほど刺激になることもない。
退屈だ。もっと楽しい、激動の何かが欲しい。
遠めではあるが、こちらとあちらの門は互いに見ることが出来た。
下層から分かれていく人々を見送る。
あちらの門へ行く人は、なんて穏やかな顔をしているのだろう。
ぼんやりと見ていると、あちらの門番と目が合った。
何かが走った気がした。
信じられない。あちらの人間がそんなことを考えているとは僕には露ほども考えられなかった。
どうやらあちらも同じ考えのようだ。驚いた顔をしている。
僕たちは、互いの生活を羨んでいることがわかった。
テレパシーとでもいうのだろうか。
彼と目が合った瞬間に彼の意志が流れ込んだ気がした。
彼にもまた、私の意志が伝わってしまったようだ。
少し恥ずかしいな。天国の私がこのような荒々しい考えを持ってしまっているとバレてしまったなんて。
しかしそれは彼も同じだろうな。地獄の者でありながら天国の暮らしを羨むなんて。
自分と同じような者がいたことに、久しぶりに心が躍った。
/『天国と地獄』
私には許嫁がいる。
先日ふらりとやってきた仲介人が言っていた。
川向こうの人と縁を結んでくれるそうだ。
今度、仲介人を介して「指輪」を運んでもらうことになった。
しかし困ったことになった。
たった2〜3度のやり取りしかしていないのに、私は仲介人に恋をしてしまった。
確実に会えるのはあと一度。
指輪を持ってきてもらうその日だけだ。
どうしたらいいのだろう。
また指輪を運んで来てもらうことになればいいのだが、せっかく結んでもらった縁談を断るのも気が引ける。
もし、指輪を受け取る――受粉しなければ、彼はまた私のもとに来てくれるだろうか。
/5/18『恋物語』
空を見上げると、うっすらと月が見えた。
童話に出てくる猫が笑っているような、細く弧を描いた月。
(お星さまに願い事をすると叶うとよく聞くけれど、月に願い事をするとどうなるのかしら?)
数時間後に夜を連れてくるための標のように空に笑う月は、ともすれば嘲笑しているようにも見えた。
(今日の月は本当にあの猫みたい。あれで本当に願いを叶えてくれるのかしら?)
心持ちの問題だとは思うが、一度そうだと思ってしまうと本当にそう見えてしまう。
(――けど)
ニヤニヤとこちらを見下してくる笑みに一瞬心を逆撫でされた気がしたが、
(けど、それくらいのいい加減さがちょうどいいのかもしれない。“彼”は気まぐれだもの)
ふと思い直し、肩の力が抜けた。
「お月さま、どうか私の願いを叶えて」
人知れず呟いて、少し白が濃くなった月に祈った。
(些細なことに捕われない、強い心を持てますように)
/『月に願いを』