空を見上げると、うっすらと月が見えた。
童話に出てくる猫が笑っているような、細く弧を描いた月。
(お星さまに願い事をすると叶うとよく聞くけれど、月に願い事をするとどうなるのかしら?)
数時間後に夜を連れてくるための標のように空に笑う月は、ともすれば嘲笑しているようにも見えた。
(今日の月は本当にあの猫みたい。あれで本当に願いを叶えてくれるのかしら?)
心持ちの問題だとは思うが、一度そうだと思ってしまうと本当にそう見えてしまう。
(――けど)
ニヤニヤとこちらを見下してくる笑みに一瞬心を逆撫でされた気がしたが、
(けど、それくらいのいい加減さがちょうどいいのかもしれない。“彼”は気まぐれだもの)
ふと思い直し、肩の力が抜けた。
「お月さま、どうか私の願いを叶えて」
人知れず呟いて、少し白が濃くなった月に祈った。
(些細なことに捕われない、強い心を持てますように)
/『月に願いを』
境内にお邪魔して身を寄せ合った。
突然降り出した雨は私たちの行く手を阻むようにどんどん強くなり、とうとう前が見えなくなるほどのゲリラ豪雨と化した。
折りたたみ傘は持っていたが、雨足の強さに歯が立つほどではなく、通りがかりの神社で雨宿りをすることにした。
「で、なんだったっけ?」
帰路の途中でしていた話を蒸し返す。
彼女から話したいことがあると呼び出されたが、カフェに寄るほどでもないと言っていたので下校時間を使ったのだ。
悩みのきっかけとなる話を聞いていたはずだったが、どこまで話していたか。思案しつつ彼女を見ると、濡れた靴先を見るように俯いていた。
制服のプリーツを指でいじりながら、彼女はぽつりぽつりと話し出す。
(あぁ、しまったなぁ――)
先程まで聞いていた明るめの話とは流れが変わったことに気付く。これまでの経験上、彼女のネガティブな話は始まるとなかなか止まらない。一言出た単語から芋づる式に記憶を掘り起こし、最初の話とかろうじて関連しているような話を延々と続けるのだ。
(今日の紐は、たぶんトラウマに繋がっているだろうから、きっと――)
思った束の間。案の定、ぽろりぽろりと彼女の目から涙がこぼれた。
それはだんだん勢いを増し、先程の空模様を再現したようだった。
(あーあぁ……)
読みが当たってしまったことに肩を落とし、こんなことなら素直にカフェに寄るんだったと後悔した。それも後の祭り。
ここによる理由となった当初の目的は果たされようとしている。
(ASMRなら、とっても素敵な環境音なのになぁ)
巷で人気の耳心地のいい環境音は、素敵なサムネイルさながら、今まさに風景と共にリアルに味わえている。
現実逃避をするように向けた先の景色は、人気動画そのものだ。
さて、雨宿りが終わるまで、あと何時間掛かるだろうか。
/『いつまでも降り止まない、雨』
大丈夫。
漠然としたブラックホールのような不安の
真っ只中にいるけれど、
その真っ黒の奥に微かな光があるのもわかっているでしょう?
それがいつ光ってくれるのかわからないまま
本当に光るのかも信じられないまま
ぐるぐると闇が渦巻いている今は
不安で不安でしょうがないけれど
大丈夫
もうすぐそれは輝きだして
後ろから背中を押して、闇から出してくれる
一歩踏み出せば、あとは歩けるでしょう?
まだ闇は背後にいるかもしれないけれど
少しずつ小さくなっていって、
こんな風に悩んでたなって
思い出のひとつの小石になるよ
/5/24『あの頃の不安だった私へ』
彼女は、僕のことが好きだ。
僕のことを好きだと言って、よく身を寄せてくる。
「わたしはあなたのためなら、なんだってできるの」
「あなたのためになるのなら、なんだってしてあげたいの」
口癖のように言っては、僕に尽くしてくれる。
「あなたが大好きだから、わたしの何を差し出してもいいの」
甲斐甲斐しく世話をしてくれたり、僕の行動を読んで先回りしたり色々フォローをしてくれる。
ただ、時折――
「それがあなたの糧になるのなら」
そう言って彼女は涙を流す。
尽くしているのが辛くなることがあるらしい。
僕のために、僕のことを考えすぎて、パンクしてしまうのだそうだ。共通の友人が言っていた。
(そんなに辛いなら、僕から離れればいいのに)
どんなに辛くても、彼女は僕から離れようとしない。
僕が大好きだから。
『あなたのために』
いつからか、僕は彼女のその言葉が重荷になっていることに気づいた。
彼女は隠しているのだろうが、微笑みに少し苦しそうなのが混ざっていることがある。
どうしてそうまでしても離れないのか。
それは僕が好きだから。
僕が例え彼女のことを思って苦しいと感じているのだとしても、彼女はその苦しんでいる僕を支えてあげることを喜びとしている。
彼女が原因の苦しみを、彼女自身が癒そうとしているのだ。
僕のために心身を捧げることが、彼女の生きがいだから。
本当なら感謝しないといけないのかもしれない。
彼女をそんな風に言うなんて罰当たりだと思われるかもしれない。
身勝手な男だと思われてもいい。
「あなたのために」とつきまとう彼女は、重荷でしかない。
これはもはや呪いだ。僕たちは呪いに囚われている。
僕は友人の域を超えてしまった彼女に。
彼女は、僕への好意が肥大した彼女自身に囚われている。
/5/23『逃れられない呪縛』
「おやすみなさい」
カーテンをしめる
夜の帳とともに今日に終わりを告げる
よかったことも
よくなかったことも
夜の闇に閉じ込めて
昨日に持っていってもらおう
目を閉じて、昨日となった日にさようなら
カーテンを開けたら
明日になった今日に出会えるんだ
/『昨日へのさよなら、明日との出会い』
コップにいっぱいの水がある
それはあなたの心模様
透明に見えるその水は何色?
/5/21『透明な水』
昼の音をすべて吸いきってしまったような空
それぞれの音が小さく囁くように瞬いている
「ただいま」
「おはよう」
「今日もおつかれさま」
「明日ね、遠足があるんだ」
「わたしのパジャマ知らない?」
「いってらっしゃい」
「昨日の話考えてくれた?」
吸い上げた音をチカチカと静かに
君だけにわかるようにささやく
「ぼくはここだよ」
ささやかなざわめきにまぎれて
かすかな光を放ち続ける
(きみが見つけてくれるまで)
/『真夜中』
愛があれば、何でもできる
たとえ崖から飛び降りろと
君に言われたって
喜んで飛んでみせるよ
もちろん死ぬことだって
君のためなら怖くない
愛があってもできないことは
たったひとつくらいではないかな?
来世もまた、君のそばに生まれ変わると
約束すること
/『愛があれば何でもできる?』
あの時ああしていれば――
後悔はたくさんある
私の中で今でも燻っていることは
あの時相手を殴らなかったこと
殴ってさえいれば
泣き寝入りすることも
その後もやもやが続くこともなかったのに
理不尽に負けてもやもやするくらいなら、
殴ってスッキリしたほうがいいよね?
/『後悔』5/15
隔てるものが何もない屋上は
青い空がよく映える
眼下に広がる町並みは
今日も大して変わらない風景が流れている
そう、変わらない
何も変わらないのだ
だから自分自身が変わることにした
邪魔をするものはなにもない
あとは、風に身を任せて
この何もない景色に一石を投じるだけ
/『風に身をまかせ』 5/14