2023/1/24
荘厳な雰囲気に飲み込まれ背中に冷たい汗が一筋つたった。
(眩しすぎてよく見えない。)
神か仏か、眩い後光で輪郭こそはっきりしているが服やら表情やらは全く見えなかった。
(見えないのが正解なのか?)
特に偶像崇拝を禁止している宗教などは神様の顔を描くのもいけないことなのだし…
(神様は見えない)
(神様を見るべきでは)
(神様の姿形を定義してはいけないし)
(神様の姿形を定着させてはいけない)
ならばこの後光で見えないというのは当然の帰結なのだろう。
2023/1/22
最近ニュースで『タイムマシンが完成した』とよく取り沙汰されている。科学の叡智の結晶だそうだ。何でも時間への干渉が…、時空の歪みを人工的に…、相対性理論がなんたらかんたら。そういう小難しい話をしていた。うん。ちんぷんかんぷん!取り敢えず分かったのはタイムマシンに乗ろうとするには莫大な費用がかかるということ。一般人(と言ってもかなりの富裕層)が宇宙旅行に行く並、或いはそれ以上の金額が必要ということだ。
2023/1/22
「今日は特別な夜なんだよ。」父は私の目を見て微笑みながら言った。その声が余りに真摯だったので今でも時折頭の中に蘇る。「イエス様がお生まれになった日なんだ。」「いーすさま?」齢三つ程度の幼子だった私がきちんと理解出来たはずもなく、ただただ父の言葉を聞いていただけだった。しかし母が用意してくれた普段とは違う食卓の風景に『確かに特別だ』と思ったのだった。
2023/1/19
やあ。
「ひっ」
元気だったかい?
「何でいるのよ」
君に会いたくてね。
「あんたなんて見たくもなかったわ」
つれないな。
「さっさとこの家から出て行って!!」
嫌われたもんだな。
「人を呼ぶわよ!?」
ははは。やってみなよ。直ぐに駆けつけてくれる奴なんていないくせに。
「お願いだから出てってよ」
「G!!!」
2023/1/19
閉ざされた日記の中身はいたって平凡だった。しかしこの日記の持ち主の人となりは平凡なのかいまいち判断できない。日付、天気、その日食べた物、予定等。ほぼ毎日書いてあるが持ち主の感想は全く書かれていない。何のおかしみもない。日記と言うよりは備忘録に近い気がする。
ちなみに
私は今その日記の中にいる。そして先客であった紙魚が案内をしてくれているのだが、「いやぁ、結構いるんですよ。ここに迷い込む人って。」「はぁ。」「でね、いつも出口まで案内役を買って出るわけでして」「はぁ。」「まぁ、楽しんでいって下さいよ」「はぁ。(アトラクション感覚?)」この紙魚がよく喋るのだ。矢継ぎ早に話すので相槌を打つぐらいしか出来ない。日記の持ち主の残像を横目にページを進んでいく。「字が…綺麗ですね。」「あ!人間の方も分かってくれますか!?」「はい。」「この日記の中身が淡泊すぎて味はいまいちなんですが見た目が頗る良くてですね」紙魚の感性に触れたのか息継ぎなしでまくし立てられた。「字に癖があり過ぎてもなさ過ぎても…」「ええ。」「すみません。熱くなりすぎました。」若干引き気味の私に気が付いたのか我に返ってくれた。「ああ、あれが出口です。」「?」出口はハガキであった。栞がわりだったのか、単に投函を保留にしていただけかもしれない。日記の字よりもややかしこまった感じがする。「ハガキ?」「そうです。宛先が書いてあるので道しるべになってくれるでしょう。」ここで案内は終わりとばかりに紙魚は身をひるがえして戻っていった。