私は別の命を宿しました。
追記:今年も5カ月生きられました。ありがとうございます。
だんだん寒くなっていく季節ですね。
皆様どうお過ごしでしょうか。
冬至も過ぎたことだし、冬が始まったなぁと改めて思いました。
冬至と言えば蜜柑とか柚子湯とかですね
冬は体調が乱れやすい季節である。
その典型例で、私の友達も半袖短パンで出掛けたことにより風邪を引いていた。まぁこの場合はそれ以前の問題だが。
そんな阿呆な友達と今では親友である。自分でも分からないが、しばらく会っていないとたまに会いたくなるような存在であった。
今年の年末はこんなご時世ということもあり、実家には帰省せず例の友達と過ごすことになった。
12/31、駅前で友達との待ち合わせ場所で久しぶりだなぁと少し胸が高鳴っていた。
そのせいか、よさげなランチをやってそうな店を調べていたときのことだった。
「お待たせぇ~!」
いつも通り馬鹿でかい声がきこえた。
そう、間違いなく友達である。
「お前また半袖短パンで来たのか」
「はっはっはー!今日は上着があるんだなぁ、君~」
成長したなぁと思った。やっぱり変わっているところもあるんだなぁ。
「ちょちょちょっ!泣かないでよ~どうしたんだよー?」
「せ、成長しているなんて…」
「ねぇ、ひどくない?ねぇー」
こうやって騒いでいることが楽しかった。忙しい社会に呑まれているうちにこういうことを忘れていたのかもしれない。色んな感情の涙であった。
テーマからずれたが、まぁいいか!!
ものすごく昔の話をしよう。
私が小学生時代だった時のことだ。
私の席の隣はまわりを察することが難しい子だった。いわゆる問題児、という子どもだろうか。
その子は考えていること、思っていることがとても優しかった。周りの流行っているものや、言葉を取り入れて話しているような気がした。その言葉は陳腐していた。
当然、といわれるかもしれないが社会からは不適合だといわれ嗤われ、標的にされていた。
可哀想とか仕方ないとかいろんな考えがあったけど、私は、それを庇ったことはないし、助けてあげることもしなかった。自分に余裕がないと他人に優しくすることが難しかったのかもしれない。
でも、周りの人より優しいのにナンデ?って思ってた。
大人になって考えたことだが
客観的にみている時点で駄目だろ、と考えることも出来る。そして、ナンデだろうなーと考える。
クリスマスなのにこんなことを考えて25日を使い果たしてしまったがひとりひとりで考えは違うのかな
なお、この文の情報には偽りがある、
私が大人になったのかはわからない
12/25
電車の窓に流れる景色が眩しかった。
気付けばMerry Christmas の文字がひかっている、忌々しくも思えるほどに。
そういえば今年もクリスマスがやってきたらしい。
はぁ、憂鬱だ。今年は妻子と過ごす予定だったのだが…
今日は上司の機嫌が悪く残業、電話がかかってきたなぁと思ったら妻の帰りは遅くなるそうだ。
子が可哀想になる…
そういえば昨日のお惣菜の残りは食べ終わったっけほうれん草のおひたし、意外と不評で残ってた気がしなくもないような…
どうでもいいことが頭をよぎる。逃げたい、現実から。全人類の悩みではないだろうか?
アオストラロピテクスだってアファレンシスだって動きたくないことはあっただろう。
そろそろいつもの駅が見えてきた。
電車から降りても異世界に降り立ったりすることはなかった。いつも通りの駅だ。
「パパぁ~!」
?なんだか子どもの幻聴が聞こえた気がする…つかれているのだろうか?
「お帰りなさい!」
妻の声までも…もう末期か…
「ちょっと早く帰れたんです!どうせなら保育園までよって帰ろうかと…て大丈夫ですか!?」
どうやら意識を失いかけていたらしい。
とても嬉しかったのだろう。
今年のクリスマスのおもいでだった!