空模様。
今にも泣き出しそうなそらは
黙々と漂うは灰色。
遠くから怒りをぶつけているのか、
それとも悲鳴なのか。ゴロゴロと泣いている。
ポツポツと頬を滑り、
やがて地面に当たる。
生物は喜びの歌を歌い出し、
束の間の安らぎを得る。
少し時間が経ち
空を見上げると、いまだに悲しんでいる。
時が経つにつれ、より激しく。
夜になると激しさは過ぎ去り、
またポツポツと切なさだけを残す。
その音が眠りを誘い、
目を閉じる寸前で思う、
「どうか明日は、笑顔が降り注いでくることを」
鏡
鏡を見ていると、
ときどきふと思う。
果たして、私たちが見ているこの景色は
本当なのだろうか?
鏡に映るものが全て真実と思う。
自分の目で映す周りの景色がそのままなのだから。
しかし、風と思う。
鏡にはいくつかの種類がある。
屈折しているもの、
見ている風景を拡大したり、縮小したりするもの、
幻影、映すものを一つ以上見せるものと…
なら、いつもしているこの風景が正しいと
果たして言えるのだろうか?
鏡合わせの世界と言われるように、
裏と表があるように、
見ている風景が人それぞれ違うように、
この鏡が映す「世界」は、全て等しく同じなのだろうか?
いつまでも捨てられないもの
大切な人たちからもらったもの、
記憶、
思い出、
それらを忘れないために、
または、大事にするために。
捨てられないものがある。
例えば、初めていった動物園の入園チケット。
例えば、一緒に買ったキーホルダー。
例えば、初めてもらったラムネのビー玉。
何気ない、人から見ればゴミと言われるだろう。
しかし、そのもの自体の価値よりも、
それに込められた想いや、お思い出。
それらが一番大事なのではないのか?
多くのものを持って、先へ進むには重すぎるけれど。
たとえ、重荷になっても、
ハンデのようになっても、
私は、人と人のつながりを、
一緒に過ごしたっていう事実をたいせにしたい。
そいうものは、考え方は間違っているのだろうか?
誇らしさ
誇らしさ、とはなんだろう?
お金持ちだということ?
有名人であること?
親が有名人やお金持ちであること?
自分は勉強していなくとも、成績がいいこと?
友人が多いこと?
私は、誇らしさとは
自分が自分であること。自然と周りに優しくできること。また、人の悲しみに寄り添うことが誇らしいと思う
多くの人々が行き交い、生きるこの地球の上。
自分の存在意義さえ見失い、
お金持ちになることや有名になること。
また成績によって格差が出るこの世の中で、
他人を思いやる気持ちこそが誇らしいと思える。
他人を蹴落とし、揶揄して、自分が上であることを示す
そんなことになんの意味がある?
ただ単に、他の人を傷つけ、時にはその命さえも失わせる。
そんな世の中で生きること、その考えに染まることは果てして誇らしいのだろうか?
少なくとも、私はそうではない。
その中で生きなければならないのなら、
その色に染まらなければいけないのなら、
私は喜んで人の輪から、この世界から消えるだろう。
人の未練さえ残さずに…
だからあなたも、自分にとって何が誇らしいのか考えてみてほしい。
その先が、理不尽な未来につながらないことを願う。
自転車に乗って
どこまで行こう?
あの山の向こうまで、
谷の向こうまで、
東京を超えてさらに先まで…
海さえも越えれば、皆んな同じ。
色んな風景を眺めながら、
少しずつ先へと進むと、
その、行為自体が大切だと気付く。
先へ、たとえ一歩ずつだとしても。
そうやって進めばきっと道は開く。
だから今日も自転車に乗って、
家族と、友人と、進んでいこう。
光に向かって、
ときどき深い闇に呑まれても、
先に行けば、必ず光があると信じて進もう。