ずっと好きだった。
ずっと言えなかった。
でも、今日こそ。
そう思っていつもの居酒屋に呼び出した彼は、乾杯する前に言った。
「おれ、やっと彼女できたんだ」
少し照れながら笑う彼に、私はもう何も言えなくなった。
「……おめでとう」
そう言うのが、精一杯。
乾杯して、一気にお酒を飲み干した。
「おいおい、そんなに飛ばして大丈夫か?」
「平気だよ。おめでたいし、飲まなきゃね」
私はちゃんと笑えているのだろうか。
心配になり、空になったグラスに視線を落とす。騒がしい店の中、カランと鳴る氷の音だけが、やけに大きく耳に響いた。
店を出て、夜風に吹かれながら家まで歩く。
足元だけ見て、彼の笑顔を思い出さないようにして。
部屋に着いても、電気はつけなかった。
靴を脱ぎ、鞄を置いて、まっすぐ鏡の前に立つ。
暗がりの中、ぼんやりと映る自分の顔。
その中で、彼が「似合う」と言ったローズピンクのリップだけが、薄く色を残していた。
その言葉を間に受けて、会う日はいつもこれを塗っていた。
季節が変わっても、服の色が変わっても、唇だけはずっと同じだった。
それが今日も残っているのが、なんだか滑稽で、少しだけ痛い。
鏡の中の自分は、何も言わない。
ただ、引き結んだ唇だけそっと動かしてみる。
拭き取る前に、最後に。もう塗ることのないローズピンクの唇が形をつくる。
……すき、だったよ。
それは言葉にはならず、鏡の中で静かに消えていった────
心の羅針盤がぐるぐる回る。
だけど、針がピタリと止まる位置はいつも同じ。
毎度、あの人がいる場所を指してしまう。
どれだけ優しい彼と付き合っても、どれだけタイプな彼と付き合っても、針が示す位置は変わらない。
あの人の羅針盤は、もう私を指していないのに。
早く狂ってしまえ。
こんな羅針盤。
ああ、誰か。
磁石のように私を引きつけて、
早くこの羅針盤を狂わせて。
書きたいと思う日もあれば、書きたくないと思う日もある。
書きたいと思える日が来るまで、またね。
歩く。あなたと手を繋いで。
いつ、この手を離してしまったのだろう。
あの頃は、ただ夢中だった。
自分のことで精一杯で、あなたの痛みに気付けなかった。
気付いた時には、もう遅くて。
伸ばした手は空を切り、呼ぶ声は届かなかった。
でも今、こうして隣にいる。
温もりが、確かにここにある。
大切なものは、いつだってすぐそばにあったのに。
気付けなかったのは、自分の方だった。
もう二度と、この手を離さない。
何があっても、離しはしない。
あなたと私。
あなたがいるから、私が存在する。
あなたは私がいなくても関係ないかもしれないけれど、私にはあなたが必要なの。
あなたは私のすべて。
あなたの笑顔は、私の暗闇を照らす光。
あなたの声は、私の耳に響くメロディ。
あなたと過ごす時間は、この世で一番の宝物。
あなたがいるから、私は生きていける。
あなたがいてくれないなら、私なんていらない。