ひとりきりの夜には、いつもあの人を思い出す。
ふと思い立って外へ出てみると、夜のせせらぎが静かに流れていた。普段は見えない小さな星たちも、今日は瞬いている。
ああ、そうか。
今夜は月食だった。
無数の星に照らされて、月が赤く染まっている。
この月を、あの人も眺めているだろうか。
同じとき、同じことを思い出しながら、同じ空を眺めていたらいいのに。
少しだけ皮肉に笑うあの薄い唇を思い浮かべながら、私は赤い月が金色に変わるまで見つめ続けた。
ここにあると思っていたものが、ない。ない。ない。
それも決まって、彼が来た日ばかり。
最初はハンカチだった。
次に、ピアス。
そして今日、香水が消えていたことに気が付いた。
全部、元彼がプレゼントしてくれたものだ。
どうして、そればかりがなくなるのだろう。
元彼から貰ったものは確かにこの引き出しに入れておいたのに。
そのことを彼に話したことはないのに。
彼に確かめたい気持ちはあるが、私の中の何かが堰き止めている。
そっとしておいた方がいいと、直感が告げている。
だけど、本当にただの気のせいかもしれない。もしも、あの引き出しから今日も何かがなくなっていたら、その時は彼に聞いてみよう。
だって、あの優しい彼がそんなことをするはずないもの。きっと私の気のせいだ。
──ああ、彼がやって来た。
もう一歩、あと一歩だけ。
そう思いながら歩く。
どこまできたんだろう。
ふと振り返ってみると、長い道のりに足跡が残っていた。
そうか、私はこんなにも歩いてきたのか。
もう一歩だけ。
座り込みたい気持ちを押し殺して、私は再び歩き出した。
「遠雷」
遠くで雷が鳴っている。
そろそろアイツがやってくるのだろう。
いつもいつも雷を鳴らしながら現れて、俺の気持ちを引っ掻き回すだけ引っ掻き回して帰っていく嵐のようなアイツ。
そんなアイツに惚れてしまったのが運のツキなんだろう。
それでも、雷の音が聞こえると胸が弾んでしまう。
「君と飛び立つ」
夜が静かすぎて言葉が出なかった。
君も何も言わない。ただ隣に座って、じっと星空を眺めていた。
もし私の背中に羽があったなら、今すぐ君を連れて飛び立つのに。
あの星まで君を連れて行ってあげるのに。
けれど、羽はどこにもない。
だから私は、この地上で君の手を握りしめる。
腫れ上がった顔を歪めもせず、泣きもせず、ただ星を眺める君の手を。