心と心。
書けない。心なんて分からないから、書き出しすら浮かばない。自室の椅子で天井を仰ぎながら考えても、首を左右に振って沈黙を守ったとしても、ココロなんてモノは分からない。ましてやそれが二つ、三つ、四つと増えていけば、解読不可能なスパイ暗号のように、テレビつけて映る開かずの金庫のように、頑として打ち付けられているから。分かるはずもない。
冬になり寒さの理由が分からなくなった。体外的なものなのか、体内間のものなのか。腰の痛みも、目の腫れも、肩の重さも、足のむくみも全て含んで自分だから。私の中ですら繋がっていないココロが、誰かの中に溶け込んでいくなんて想像がつかない。
ココロ。どうか楽しんでくれ。これから生きる君だから、頼みたいんだ。ココロの心で楽しんでくれ。
何でもないフリ。
隣で、もしくは後ろで、斜め前で、教室の隅っこで、眠気と戦う君を見ている。時々目が合って、何でもないって感じでそっぽを向く。まるで玉子を包んで保冷剤で冷やすように、机とシャーペンの格闘を楽しむように、何でもないように、何にもないように。
一度声を掛けてしまうともう戻れないから。黒板に向かって説教する教師から目を逸らし、あなたの姿を写す。今日はよく描けているだろうか。その存在を壊さないように、ゴリラのような気高さと、渡り鳥のような柔軟さで、手を動かす。そうするうちに一年経ち、二年経ち、三年が過ぎる。青い海に浮かぶ不確かな春はもう終わる。何もしないふりをして、何でもないように、病に蹂躙されようと、空虚に囚われた猫であろうと、ものともしなかった自分はいつに置いてきたのだろう。そしてもう忘れた。
なんにも出来ないフリをして。
仲間。
そんなものはいない。親でも、兄弟でも、友達でも、後輩でも、先輩でも、恋人でもない。それは数ある困難を共に乗り越えた乗組員のような、ただ堕落した生活を送る放浪者のような、何とも言えない絆で繋がってしまった者たち。好きとか嫌いとかそんなものは床の下に埋めて、四方を火山ほど高い壁で覆った内に集まってしまう。
目的は様々だろう。仕事だったり、学校だったり、サークルだったり。残業だったり、補習だったり、集団自殺だったり。何でもいい。とりあえず、何かの意識が一つだけ合致すれば、私は君たちと仲間になれる。そのはずなのに。
自分は仲間を欲するのだろうか。今はもう全て揃っているのに。親も友も恋人も。
仲間とは、こんなにも焦がれてしまうモノ。
手を繋いで。
繋がっている。産まれた時から、外に出て友となった日から、あなたを慕うあの日から、尊敬する君と。醜く歪み愛想を浮かべるように、決して痛みを見せぬように、喜びを分かち合うように、いつも一緒にいるために表情を浮かべる。それは雲の上より高く跳ね上がり、自分の中に帰って来る。そして、君に寄り添おうとする。
隣に居て、手を繋いで、笑い合って、涙を呑んで、看取る。このどれを共にしても決して相容れない人もいる。けれど、君とはこのどれも一緒に育みたい。だからまず、手を繋ごう。
一度繋がればきっともう戻れない。それでも、自分と生きていこう、君と生きていこう。
ありがとう、ごめんね。
この言葉を言うと涙が出てくる。あぁ、自分ってこんなに素直になれたのかって。あの、目の前が全て崩れ落ちて、全てが敵に見えた時も、笑いかけてくれた友達に笑顔を作れなかった時も、この言葉さえ伝えられていれば後悔しなかった。心の臓がきゅっと締め付けられるような感覚を、毎日のように感じることは無かった。
寒気がする。手先や足先は布団の中でポカポカと温まっているのに、身体の中心の奥の下の方が熱を失っていく。ありがとう。ごめんね。この言葉がどれほど私の感情を揺さぶるのか。分かりたくない。だけどきっと、これからも長い付き合いとなるだろう。
ありがとう。ごめんね。よろしくね。