生きる意味とは、死ねない理由。
同様にたった一つの希望は、裏を返せば絶望だ。
生きる意味をくれた人がいる。でも、あの人のせいで僕は死ねない。きみが生きている、ただそれだけで。僕は今も、ここに縛り付けられている。
ぼくは音楽をつくっている。このくだらない世の中で唯一、真剣に取り組めたものが、それだ。
いざぼくの音を聴く人間は、ぼくのバックボーンなど何も知らないから、何のためらいもなく、稚拙なメロディだとか、歌詞が青臭いだとか、このフレーズは偉大な音楽家の模倣だとか、一方的にぼくを評する。
ぼくはときどき、そんなやつらの人生を評する曲をつくってみたくなる。ぼくはぼくの人生を曲にしている。おまえらは自分の人生を開示することなく、曲からぼく自身をわかった気になる。音楽から、ぼくのすべてをすくいとり、弄ぼうとする。そんなものが許されてたまるか。
ぼくは、音楽だけの人間じゃない。そう言えたら、どんなに良かっただろう。
音を否定されるということは、ぼくそのものを否定されるということに他ならない。おぞましいのは、ぼくが音楽だけで生きているということを知らずにいるにもかかわらず、平気でぼく自身を否定する言葉を投げかけてくることだ。
そんなぼくを哀れに思ったのか、庇う人間も一定数存在する。
所詮は、現実逃避なのだから良いじゃないか。
若気の至りなのだから、あたたかく見守ってやれば良いじゃないか。
ぼくは、ぼくの音をけなす人間より、なによりも。そういうやつらが、嫌いだ。
知っている。そういうものを創ろうと志す人間が、インターネットの海の中に、収めきれないほど溺れているような気がしてくる。
でも、たぶん、違うんだ。
そんな人間は氷山の一角にすぎない。誰も知らないところで、自分だけの一城を組み上げている人間がいる。私はそういう人になりたい。
ぼくは今、海の底にいる。
身体中がつめたい水に覆われる。着ていた服はへばりつくし、水圧で、腕も脚も重たくなっている。それでも、ここ数年のつまらない人生に比べたら、幾分か軽く思えた。はやく、世を捨てたかった。
息が、くるしくなっていく。
本能的な恐怖に脳が支配されると同時に、こんな身でも生存本能があるのだと、嘲笑する己もいた。
しかし後者は、どんどん隅に追いやられていく。怖い。怖い。怖い。息ができない。息をしたい。馬鹿な身体は、息をしようとする。吸えるのは、海水だけだっていうのに。
死にたくない。死にたくない。ぼくは死にたくない。
救いを求めて、目を開けた。ぼやける視界の、その中心に、ぼくの人生にまったくと言っていいほど似つかわしくない、まばゆい光が見えた。
間違いない。あれは、月明かりだ。
普段は、太陽の陰に隠れているのに、ひとたび夜になれば、陰を照らす光となる。
月光、月影。月は、光であり、影なのだ。そう、ちょうど、誰かの人生みたいに。
ぼくはそのおかしさに、ふ、と笑って、目を閉じた。
その夜が明けるまで、月は彼を照らしつづけていた。
(ヨルシカAL『だから僕は音楽を辞めた』『エルマ』・LIVE『月光』に多大なる影響を受けています)
適当に、堂々巡りの考えでも晒して、「はい、これが迷路です!」なーんてやってみても良いかなと思ったのが最初。やろうと思ったけど、やっぱりやめ。以下、連想ゲームでもしておく。
行き止まりだと来た道を戻って、また行き止まり。しまいには、さっき行き止まりだと思っていたものが、実はあれやこれやを凝らせば、とんでもない近道だった、という事実が判明することもある。私にとっての心の迷路は、こんな感じだ。まあでも、分岐点でうんうん悩むよりは、なんでもいいから歩むのがいいんじゃないかとは思っている。常に右手を壁にくっ付けて進むなんてのは、邪道だからやらない!あ、これこそ邪道か?