明日といっても寝るだけでしょう
「明日への光」
僕がどれほど偉大になっても
それぞれ108もの他人の煩悩を払おうとは思わないよ。
僕がどれほど分かって欲しくても
栄光を求めて銃声を鳴かせはしないよ。
僕がどれほど優しくても
前世と来世まで今世の君のものとは言わないよ。
今は誰もそんなことしてないか。
「神は死んだ。人間に同情したおかげで、神は死んだのだ。」ニーチェが悪魔からそう聞いた。
「遠くの鐘の音」
寒い冬。短いスカートを履いて待ち合わせの時間より少し遅れて来た君が、腕を取って手を握って、私のダウンジャケットのポケットにつっこんできた時。
いつも恋人ごっこを仕掛けてくるのを辟易した気持ちで受け入れる。
その後身のない惚気を続け、勝手に落ち込み日が沈む。
私を見上げて最後に確認、私たち、友達だよね?
妖怪か何かと鼻で笑いながらそこでははっきり縦に頷いた。いつも別れが待ち遠しい。
下痢みたいなゆるい友情でも、二人で寄り添えばぬくもりと言えるだろうか。
「ぬくもりの記憶」
私はご飯を食べる時に出る空気を飲んで生きている。
そうしないとこの部屋では溺れてしまうのだ。
私は常々目の前に座る母が邪魔だと考えている。人は1日に平均二万八千八百回呼吸を行い、約二十キログラムの空気を吸って約一キログラムの二酸化炭素を排出している。私がここで長く生きていくのにこの人は邪魔だった。私は今日彼女を刺そう。
水の入った銀細工のコップを持つ。側面の彫りの隙間から写った自分の顔を見つめて切りそろえた前髪を少し治す。口をつけて勢いよく吹き込むと、ボコボコ音を立てて気泡が出来上がっていく。ここでの気泡が大きければ大きいほど上手く空気を食べることがてきるのだ。
母よ御覧。決してご飯を食べていない時に息を吐いてはいけません。このようにコップに吐き出すのですよ。そうすれば私たちは空気を作り、食べて生き延びることが出来ますからね。
あとから部屋に入ってきた母に空気の食べ方を教えたのは私だった。
ああ、ハンバーグを食べてもよいですよ。舌に力を込めて先を尖らせ、肉肉の繊維に差し込むようにして隠れた空気を吸い出すのです。
ハンバーグを切るナイフを握る拳が震えるほど力を込めて、目の前の母の首元を睨みつける。ここを…。
「娘よ、呼吸が……コップに吐いてください」
口から息が漏れていたことに気づき慌ててコップを唇に挟む。貴重な酸素が!息が荒い。このままでは酸素が足りない。早く刺さなければ。母を?私が死ねば、いや、ここで生きていく方が辛いのだ。そうでしょう。刺すのだ。これは救済の道である。刺せ。
葛藤が続いて酸素が足りなくなる。食べなければ。どうやって?酸素を、どうやって。
「見なさい」
目の前で母が食事を始める。力が入ってしわくちゃになった上唇をコップの縁につけ息を吐き出している。私はそれにならう。
ゆっくり呼吸が元に戻っていく。
母の手本を見ないと、もう食事の仕方が分からない。
右手に握ったナイフが酷く熱い気がした。
「凍える指先」
恥に塗れたときの罪悪感だけが僕の隣人だった。
初めてその横顔を見たときに僕は、彼女はなんて哀れな人だろうかと思った。彼女なら僕のためにエレベーターを止めてくれると思ったからだ。
少し埃っぽくて小さな箱の中で顔を見合わせてしばらく、いやほんの間だけ止まって、彼女は髪を耳にかけるだろう。照れているわけでもなくその子の美意識からだと思う。少しでも人に綺麗な姿を見せていたいんだ、道を歩く女学生が人とすれ違う前に前髪を直すでしょう、それってね不細工な人の前ではやらないんだってね、、、。僕は何を言うでもなくそっと前に向き直り、六階のランプがすでに点灯していることを確認する。静かに上昇し始めたエレベーターの中で彼女は驚くだろう。僕はそんな妄想を済ませてから、非常階段を使った。登っていくうちに、もし今から急いで彼女に追いついたら運命だと思った。ハアハアと切れる息と力が抜けていく膝よりも胸の高鳴りが僕を後押しした。六階につきそうになって、慌てて呼吸を整えた。多分口を閉じたぶん鼻の穴が広がっていたけど、きっと彼女は目が悪いからそこまでわからないだろうな、自然とそう思った。
六階に到着した時エレベーターは鳴らなかった。足音ひとつしなかった。僕はまた妄想を終え、黙ってエレベーターで降りていった。
「ささやかな約束」