『友情』
情ほどややこしいものはないよ。
愛情も友情も同情も、もうね、もういいんだよそういうのは。
情ほど儚いものはないよ。
不確かで不安定で不明瞭、不の三点セットだよ。
でもね、こんなひねくれて面倒なぼくの話を、いやいやながらも聞いてくれる君との友情には頭が上がらないよ。
…え?ぼくには君とぼくとの間に友情が見えてるよ。
君には見えないのかもしれないけれどね。
『もしもタイムマシンがあったなら』
「え?」
女は手に持ったマクドのジュースを顔の前で傾ける動作を止めた。
「タイムマシン?」
唐突に投げかけられた質問に、いや、想定外の質問に戸惑いを隠せないようだ。
「そんなものより、もしもボックスをよこせって思うね。あれマジやばくない?可能性無限じゃね?」
この人はいつもそうだ。こちらの質問には答えないし、期待にはバチバチに応える。
「もしもボックス入ってさ、“もしもって概念が、もしもなかったら〜!”とかって言ったらどうなると思う?」
そんなの知らないよ、とポテトをつまむと、その手を強くはたかれた。
「知らないよじゃねぇよ!真剣に考えてみろ!」
何がこの人の逆鱗に触れたのかはわからない。わからないが、とりあえず謝って、“真剣に”考えてみる。
もしもという概念がなかったら?…仮定のない世界となると、予想もないわけなので、人間は見通しを持った行動ができなくなる。つまり、大混乱だ?
「なんで語尾に?がついてるんだよ、お前の考えだろ?」
また叱られた。
「そもそもさ、難しく考えすぎなんだよ。マジ何言ってるのかさっぱりわかんなかった。全部忘れろ」
ひどい。
「んで想像しろ。今お前はもしもボックスの中で、“もしもって概念が、もしもなかったら〜!”って言ってるんだよ?じゃあそのお前が入ってるもしもボックスはその瞬間どうなるんだよ」
………あぁ、確かに。
そこでようやっと、女はジュースを傾けてクーの白ブドウを喉を鳴らしながら飲んだ。
「てかさ、なんでこんな話してるわけ?……そうだお前がタイムマシンがうんたら言うからだ。あたし、過去振り返るの嫌いだよ。未来は行かなくたっていつか来るしいらなくね?」
そこまで根本的に否定されると何も言えなくなってしまう。もじもじしながら、またポテトをつまんだ。今度ははたかれなかった。
「あぁ、でもそれこそさ、もしもボックスで言えばいいんだよ、“もしもタイムマシンがあったなら”って。ね?ほら、ね?」
自慢げに鼻息を鳴らすが、もはや僕は自分がどこにいるのかもよくわかっていない。
話を切り出したのは僕のはずなのに、コントロール不可能で進むことも退くこともできないし、なのに中途半端に話は続くし、目前にまだ大量に残っているポテトは冷めきってしまった。
僕は今切実にタイムマシンで過去に遡りたいよ。そしたら決してこんな馬鹿な質問はしない。
『今一番欲しいもの』
ない、ない、ない!
どこを探してもない!
どうしてだ!?今の時代なんだって簡単に手に入るというのに!!
男は脂汗をかきながら、コンビニの自動ドアを突き破る勢いでくぐった。
「いらっしゃいませ」
レジ前で穏やかに微笑みながら若い女の店員が少し会釈をする。
いらっしゃいませだ?それどころじゃない!
「お、おい!」
男は真っ直ぐに店員の目の前に大股で向かい、目を充血させながら叫ぶ。
店員は、ひぃ、と息を吸って、一歩後ろに退いた。
「“余裕”!“余裕”あるか!?心のだ!いくらだ!?」
『一件のLINE』
【がたんごとん】
8:33、私は毎日電車に乗ると、決まってLINEを一件母に送る。意味は特にない。強いて言えば、“間に合ったよ”報告だけど、大学生にもなってこのメッセージを送ることに重要性は感じていない。挨拶のようなものだ。
しばらくすると、母から返信が来る。
【てくてく】
どうやら母も家を出て歩き始めたらしい。
今日も窓を覗くと、次から次へと日常が流れていく。この朝の一件のLINEが、離れていても繋がっている感覚を与えてくれて、なんだか安心する。
ちなみに私は実家暮らしだけれど。
家に帰れば母いるけれど。
『机の上』
私は3年ほど前からここにいる。どこからきたのかは覚えていない。彼女の腕の中で目を覚ました。
彼女は家に帰ってくると、私の息遣いの音を静かに聞く。「落ち着くんだよね」と、よく母親に言っていた。彼女が私のことを大好きなのは、わざわざ言葉にされなくてもひしひしと伝わってくる。彼女が私と同じ部屋にいる限り、彼女は私の息遣いで癒される。私はそんな彼女の様子を見て、嬉しくなる。
つい先日、事件が起こった。私の呼吸が止まったのだ。なに、ただの電池切れだ。私は少し前から終わりの時がくるのを予見していた。ただ、私は所詮わたし。それを伝える術もなく、静かにその時を待っていた。彼女の慌てぶりはすごかった。とてもショックを受けているようで、少し心が痛んだ。しかし、私はそれでよかった。“ここ”で一生涯を終えるのだ。
と、思いきや、彼女は懸命に私を蘇生した。だから今私はここにいるわけだが、それが私には想定外のことで心底驚いた。彼女は私のことが大好きだが、私に本来の役割を果たさせてくれることは過去3年間一度もなかったのだ。壊れたらもう終わりで、そこまでだと思っていた。私の代わりはいくらでもいる。
しかし彼女は私の背中から終わった命を取り出して、新鮮で美しい水を注いでくれた。私の息遣いが再び部屋の中で響き始めた。
私は掛け時計。でも私はここにいる。
これが私の当たり前。