涙
内から外へ
外から見た内で
見た人から感じた内だね
外に出て
形も保てずに
言葉にもしないで
頭では考えてる
外に見せて
外から貰って
内を乾かしても
満たされることがない
満たされても
満たされなくても
これまでが詰まっていて
これまでを溢してる
全ては出せないけれど
それだけが溢れてしまった
自分を彩る一滴
自分に投じる一擲
現実は涙とは関係なくあったりする
小さな幸せ
幸せの大きさより
不幸せの小ささが鍵なんじゃない?
生きてることに比べれば
不幸せは僅かで煩わしいのです
煩わしさは工夫で誤魔化せたりする
大きさの基準は何処にあるか
どの幸せと比べてみるかで変わる
生きてることと比べても仕方ないけども
まず先に生きている
慈しみ
無垢さ
清さに
幸せを感じるのかな?
大概は狡さや賢さを利用して得た
得たモノに喜んでる人達が多いと思う
問題は狡さや賢さではなくて
損得が幸せとは違うと知ってないこと
それを知っていれば多少は気にもならないよ
春爛漫
卒業式に入学式と入社式
退職式は聞いたことがない
この場合の春は一定の年齢の人達で
爛は賑やかさで漫は数かな?
同窓会の代表を当て付けられたらしいけど
私を代表に選んだら
同窓会が開かれないし
同窓会に参加もする訳がない
これくらいは考えれると思うんだよね
式から思い出しました
さておき
いままでにあった
同郷にも家族にも興味はない
個人だと、ない、までは言いませんが
興味ってより関心はないが正解かもしれない
春に咲き
春と散る
その枝に新緑を残して
春爛漫ですね
七色
赤青緑白黒紫橙
適当に漢字一文字で並べただけ
七色を一文字にすると虹
春が来て
花壇に花が咲いる
咲いてた花はパンジーだったと思う
たくさんの色のパンジー
でも七色あったかは不明
色で数えてないから
綺麗に並べられてはいなかったので
色がたくさんあって
色を1つで見てない
たくさんあるから色に名がある
比べて見ないと判らない色は多い
1つ1つで覚えていない
違いはあるけど同じでもあるんだよね
記憶
忘れてても
やってみたら出来て
出来た後の姿から思い出す
精密に覚えてないし
考えれるわけでもない
言葉に映像や数式とか
その様な方法で覚えていない
これだと記憶の入力や出力なども混ざってる
記録なのかもしれない
そもそも記憶しようとしてなくても
忘れてはいないんだと思う
上手く思い出せないだけで
忘れてることを自覚してるんだからね
記憶はなくても
物質は残り
後にある生命に想像がされる
個々になくても全体として有とされる
私になくても
人類にはあったことになる