またね!
通わないとない
次の機会で良いと思うなら
割と...どうでも良い事だから
通う 通われる
このどちらもないと忘れさられる
忘れてはいないけど
優先順位が低い
大体は次の機会があったとしても
別れるまで思いもしない
あえて触れていない可能性が割とある
あえて言うことって
次の機会がなくても良いって感じてるかも?
私としては、またね?で
強調するくらいなら機会は任せる
春風とともに
お題とは関係ないけど
慈悲喜捨が生老病死と重なってる
慈しみに生まれて
老いて悲しむ
喜びが病気の元になって
死とともに捨てる
チグハグだけど
いくつかの内の1つとして
お釈迦様が天才なら先に悟りがあって
悟りを伝える為に後で教えがあるのでは?
自らに悟るだけなら
言葉の説明は要らない
悟らなくても
生老病死は誰もが通る道で
悟ったなら
生老病死を慈悲喜捨と看做すのかも
健康で有ろうとすることが目標なのかもね
涙
内から外へ
外から見た内で
見た人から感じた内だね
外に出て
形も保てずに
言葉にもしないで
頭では考えてる
外に見せて
外から貰って
内を乾かしても
満たされることがない
満たされても
満たされなくても
これまでが詰まっていて
これまでを溢してる
全ては出せないけれど
それだけが溢れてしまった
自分を彩る一滴
自分に投じる一擲
現実は涙とは関係なくあったりする
小さな幸せ
幸せの大きさより
不幸せの小ささが鍵なんじゃない?
生きてることに比べれば
不幸せは僅かで煩わしいのです
煩わしさは工夫で誤魔化せたりする
大きさの基準は何処にあるか
どの幸せと比べてみるかで変わる
生きてることと比べても仕方ないけども
まず先に生きている
慈しみ
無垢さ
清さに
幸せを感じるのかな?
大概は狡さや賢さを利用して得た
得たモノに喜んでる人達が多いと思う
問題は狡さや賢さではなくて
損得が幸せとは違うと知ってないこと
それを知っていれば多少は気にもならないよ
春爛漫
卒業式に入学式と入社式
退職式は聞いたことがない
この場合の春は一定の年齢の人達で
爛は賑やかさで漫は数かな?
同窓会の代表を当て付けられたらしいけど
私を代表に選んだら
同窓会が開かれないし
同窓会に参加もする訳がない
これくらいは考えれると思うんだよね
式から思い出しました
さておき
いままでにあった
同郷にも家族にも興味はない
個人だと、ない、までは言いませんが
興味ってより関心はないが正解かもしれない
春に咲き
春と散る
その枝に新緑を残して
春爛漫ですね