獏が来て 食べ残したのね 枕元
夢の断片 落ちている朝
視神経がすり減っていく。
自分の眼球が、そういう状況ということを知ってから、今日で一ヶ月になる。
まだ、視界はそこまで妨げられていない。
世界はまだ、自分の知っている通りに認識できていて、
実感も正直薄い。
それでも私の眼球は、少しずつ視神経がすり減って、少しずつ見えなくなっていくらしい。
完璧な治療法はまだない、とお医者様は言った。
別に悲しさはなかった。
私の家は、下級の大して土地もない農家で、小さな寺で簡単な読み書きを教わったくらいで、学問や絵や本には縁がなかったから、目が見えなくて困る娯楽もなかったし、時折、発作のように気をおかしくする私は、そもそもこの病気が発覚する前から、家の外へ出ることも少なかったからだ。
目が見えなくなろうと、今の暮らしが大きく変わるわけではないのだ。
「盲目になるまでに、暗闇での生活に慣れるように。
暗闇に怖気付いて暴れられると、君のただでさえ脆い精神にも影響がある」と、お医者様はおっしゃった。
別に逆らう理由もなかったから、私は見えない未来へ慣れようと、できるだけ暗い奥の部屋で、手探りという動作を覚え始めていた。
そんな私の新たな暮らしを、家族はどことなくホッとしたような顔で、遠く見守っていた。
こればっかりは、これから見えなくなって良かったと思えた。
家族は嫌いじゃないが、家族が私に向ける表情や感情は、あまり気持ちの良いものではなかった。
それに、近所の人の視線も、私と私の家族にとって、煩わしいものの一つだった。
最近になって、遠い西洋で点字、というものが開発され、日本語版も作りたいと考える専門家もいる、という話も、お医者様から聞いた。
実験段階として、私にも見せてもらえるらしい。
しかし、大して字の読めない私には、関係のない話にしか思えなかった。
見えない未来へ、私は突き進んでいく。
しかし、不安や恐怖はない。
むしろ、今より快適なのかもしれない。
見えない未来に、私はむしろ今までの人生で一番の味気ない希望を感じていた。
暗い座敷牢の中を、手探りで探ってみる。
私は見えない未来へ向いて進んでいく。
晩秋を厳しく吹き抜ける風は、いつだって気味の悪い面倒ごとを持ってくる。
そういうことを知ったのは、私が醜くて冴えない、不細工で自意識過剰な思春期の中学生の頃のことだった。
その日は風が強かった。
私は頼まれた特別教室の掃除を、できるだけサボりながらテキトーに、ダラダラとこなした。
その頃の私は、自分の低いカーストや友人などの現状にだいぶ飽き飽きしていて、自分は特別だと決めつける肥大化した自意識を守るため、一人で行動することが増えていた。
だからこの日も、できるだけ時間をかけて、クラスで一人、ダラダラと時間を潰すことに努めた。
ダラダラと掃除を終え、ダラダラとクラスに帰ると、教室は私を閉め出して、なにやら担任が話していた。
普段は、掃除と放課後の間は、休み時間のような微妙な空白の数分があるのだけれど、今日に限って、その時間を先生が使いたかったようだ。
立ち歩いたり、ふざけたりして見せるのは、上位カーストのお調子者くらいで、あとは皆、授業中のように席に座っていた。
その中に踏み込んでいく勇気を出すのも億劫だった私は、廊下を引き返すことにした。
サボって、保健室にいたことにしよう、そう思った私は保健室へ向かった。
その途中で、廊下に人だかりを発見した。
そして、友人が、先生に根掘り葉掘り聞かれていた。
私はこの友人が嫌いだった。
同族嫌悪みたいなものだ。私も友人も、野暮ったくて、カースト下位なのに、自分は特別だと思い込んでいるバカだった。
それなのに、彼女ときたら「紅茶部」なんて、勘違いも甚だしいような部活で活動していた。
それで、私はいっそう、その友人が嫌いだった。
彼女は、私を見て鋭く目を光らせ、私に話しかけてきた。
強引に、私を引き込むことで先生を振り切ることに成功した友人は、今日の紅茶部の紅茶会に誘ってきた。
数分後、私は友人と共に保健室にいた。
紅茶部は、めちゃくちゃなことに、顧問が養護教諭だったことを思い出しながら、私は甘ったるい茶菓子に口をつけた。
保健室は忙しそうだった。
さっきのあの人だかりの先の友人の教室で、どうやら事故があったようだった。
私たちよりは確実に楽しい学校生活を送っているような生徒たちが、担架で、保健室に運び込まれていた。
こういう時でも私は特別に、「部室」に入れてもらえるのだ、と、友人は得意そうに言った。
私は黙って紅茶を啜った。
そういう傲慢さが私は嫌いだった。
自分にも身に覚えがあるから、余計に。
ふざけていた男子生徒が、落ちたのだ、と友人は説明した。
あの廊下の先には、確かに友人のクラスの教室があった。
窓を開けていたら、風が吹きつけてきて、それで近くにいた男子が落ちたのだ。あの顔が整っていて、勉強もスポーツもできる私の憧れのあの〇〇くんが、と友人は言い募った。
風が吹きつけてきたのなら、男子生徒は外へは落ちないはずだ。なぜなら、風は窓から入ってくるのだから。
教室内に転倒するはずだ、と私は思って、浅ましい友人が余計に嫌になったが、私は黙って紅茶を啜った。
換気のために隙間ばかり開けられた窓から、風が吹き抜けていった。
友人は、甘ったるい茶菓子を齧り、貪りながら、上品のひったくれもなく、話続けていた。
ジャックは彷徨っている。
ジャックは彷徨っている。僕を騙したから。
僕にいじわるをしたジャックは、地獄にすらいけなかった。
だからジャックは彷徨っている。
真っ暗な闇の中を彷徨っている。
だから僕はあげたんだ。
ジャックの記憶の灯火を灯した、カブのランタン。
本当はどてカボチャにしたかったけど、あまりいい色がなかったからね。
僕はジャックにあげた。記憶のランタンを。
こうしておけば、ジャックはいつでも記憶を辿れる。
永遠にひとりぼっちでも、自分を忘れてしまうことはない。
これでジャックは大丈夫。
でもジャックは大丈夫じゃなかった。
ジャックは変になっちゃった。
だから僕は頭を取り替えてあげることにした。
灯を持っていても迷ってしまうなら、いっそ灯を頭にしてしまえばいい。
ちょうどその日はカボチャがいっぱい。
僕はとびきり上等なカボチャでとびきりかっこいい顔を作ってあげた。
そうしてジャックの頭につけた。
ジャックの記憶のランタンを。
ジャックの頭は悪魔特製記憶のランタン。
これでジャックは大丈夫。
こうしてジャックは彷徨っている。
ジャックは彷徨っている。僕を騙したから。
記憶のランタンの頭をふりふり、ジャックは今日も彷徨っている。
冬へ
秋の風にまぎれて北風がぴゅうと吹いた。
それで、僕は思い出す。
僕の友達、冬のこと。
クールで厳しい冬だけど、
そのぶん、飼い猫があったかい。
冬は僕に命のぬくもりをくれる。
みんなを眠らせちゃう冬だけど、
そのぶん、朝焼けが綺麗。
冬は僕に朝の美しさをくれる。
そっけなくて乱暴ものの冬だけど、
ほこほこ肉まん、ぐつぐつお鍋はとても美味しい。
冬は僕に芯からあったまる、をくれる。
身なりを気にしない冬だけど、
ほんものの姿があちこちに転がっている。
冬は僕に発見をくれる。
冬は菌とも仲良しだけど、
きっと僕とも仲良しだよね?
冬へ
毎年ありがとう。
今年もおいで、北風と。