大切なものは 壊れないように そっとしまっていた
なにひとつ 失くしてしまわないように
あなたがくれた ほんのりあたたかい 大切なこの想い
あの日 そっと しまい込んだんだ
いつか離れてしまったって
いつか遠くに行ったって
このあたたかさはいつだって
私が大事にしまってる
だから きいて
踏み止まらないで
もう一度 あなたと歩きたい
大事なものは 盗られないように そっと隠していた
なにひとつ 傷つけてしまわないように
あなたがくれた じんじんあつい 大切なこのぬくもり
とっておきの 場所に 隠したんだ
いつか触れられなくなって
いつか笑い合えなくなって
それでもこのぬくみはいつだって
私がきっと覚えてる
だから きいて
諦めないで
もう一度 あなたと笑いたい
あなたにもらった思い出も
あなたに教わった楽しさも
あなたがくれたものは なにもかも
私が大切に取っておいているから
だから きいて
そばにいて
もう一度 あなたに呼んでほしい
だから きいて
そばにいて
あなたにこのラブソングを 聴いてほしい
だから きいて
そばにいて
もう一度 あなたに呼んでほしい
立ちのぼる 季節の花の香 君の文字
近すぎて すれ違う瞳 春の寝屋
あの頃は、立ちはだかる壁に対して出した自分の選択は、いつだって青信号に思えた。
そば粉のガレット、なんて洒落た名前のついた生地の欠片を、ホットコーヒーで飲み込む。
その頃なら、値段の割にカロリー不足、という理由で、絶対に頼まなかったメニューだ。
春の霞む空気の中で、信号機はちょっと間抜けな音で自分の存在を主張しながら、青く蛍光している。
その様子を眺めながら、ガレットを一口サイズに切り分けて、また、コーヒーと共に飲み込む。
駅前のカフェの前の交差点は、今日もそれなりに人通りがある。
散歩の犬、少し早い出勤のためにスーツを着こなしたビジネスマン、どこかへ観光に行くだろう老人たちのグループ…。
たくさんの人が、思い思いに通り過ぎて行く。
あの人たちと同じように、あくせくと駅へ向かう日々が懐かしかった。
身の丈に合わない夢も努力をすればきっと叶う、と大真面目に信じていたあの日々が、懐かしかった。
朝の春の空は、ぼんやりと、しかしくっきりと青い。
時間が経って、昼になればもっと青い青い空になって、夕方には赤くなるだろう。
私も、あの空のように、青い青い時があったのだ。
青い青い空の青さに気づかないほど、何かに夢中だった時が。
コーヒーを飲む。
青い青い日々に想いを馳せる。
あの頃は、私は青だった。
5人のグループの中で、青色担当だった私は、毎日、青い青い衣装に身を包んで、歳よりもずっと青い青いセリフを吐いて。
あの時は、青い青い衣装を着た自分は無敵だと、無邪気に信じていた。
私も青かった。
心と足に、再起不能なほど大きな怪我を負ったのは、ひとえに、私の青さからだった。
自分は無敵だと、無闇に信じ込んでいたその慢心からだった。
あの日、観客に囲まれて怪人と戦っていた私は、本当に油断したのだった。
目を離したあの時に、怪人の攻撃が、私たちの戦いを見にきていた、小さな子どもへ向かって、それで…
あの日、私はきっと、赤信号を青だと誤認したのだ。
自分が無敵だと信じきっていた、青い青い油断で。
戦えなくなった私は、青い青い衣装を脱いだ。
金輪際、着ないことを誓った。
給料は他の仕事と比べものにならないくらい良かったし、使う暇もなかったので、辞めたその頃には、この先生きていけるくらいのお金は十分にあった。
ひとりぼっちにはなったけれど。
ひとりぼっちで、もう青くない私は、毎朝、駅前のカフェのこの席に座る。
青い青い日々を、私が青かった日々を思い出しながら、コーヒーを飲む。
やることなすこと全て青信号に見えた、あの日を思い出しながら。
いつの間にか、間抜けな音が鳴り止んでいた。
青信号がチカチカと点滅する。
もうすぐ、赤信号に変わるのだ。
ガレットの端を切り分けて、コーヒーと一緒に飲み込む。
青い青い空が、窓の外で、外を歩く人々を見守っていた。
「Roses are red,
Violets are blue.
Sugar is sweet,
So are you. 」
活版印刷がウリのお店で、刷った。
初めて使った型落ちの活版印刷機は、刷ったというより、押印した、みたいな感じだった。
正方形のメッセージカードに、印刷機に並べた文字列を押し付けて、刻んだ。
図書館の分厚い本で長いこと読むには読みづらい書体も、こんなに単純短文な詩だけを印刷するなら、かえってロマンティックで美しく見えた。
このカードを目にすると、頭に浮かぶ思い出は、みんな甘くてまろやかな風味を纏っている。
あなたが淹れるホットチョコレートの、あの優しく甘ったるい、あの味だ。
砂糖よりも、練乳に近い、あの甘さだ。
長いこと、一緒にいた。
恋愛なんて、お互い性に合わなかった。
ただ、二人きりでいる時間が、他のどの時間よりも甘美で、安らいでいた。
甘くて、自然で、優しくて、私たちはずっと繋がっていて一続きなんだ、と、二人で一組なんだって、確信を持ってそう思えた。
私が出かける時は、いつもあなたは眠っている。
あなたが出かける時は、私がいつも眠っている。
でも、私たちはお互いに、唯一無二の存在で、
いつも三時のおやつの時間に揃って、あなたの淹れたホットチョコレートを飲みながら、のんびり考えに耽るのだ。
あなたと考えごとをするのは楽しかった。
本当は昨日も、今日だって、そうするつもりだった。
でも、できないのだ。
あなたが帰ってこないから。
あなたと出会ったのは、空から落ちてくる冷たい雨と、湿った水飛沫を跳ね上げるアスファルトの混じった空間だった。
その日、私はあなたに会った。
二人一緒に、アスファルトの上に、くたびれた雑巾か、何かの部品みたいに、放り出されていた。
ずるずる引きずられた私の体と、潰れたあなたの胴の間に、あなたはいた。
ぼんやりと霞んでいた。
あなたの外見の様子や顔を見たのは、それが最初で最後だった。
雨と鉄分が混じり合ったような湿った血の匂いと、冷たい雨の降り頻る音だけが、ハッキリとしていた。
次に目が覚めた時は、真っ白い清潔な病室だった。
白い床と天井の、薬品の匂いがする部屋で、白いシーツに包まれて、私は目を覚ました。
その時にはもう、あなたがいた。
あなたが、私の体にいた。
私のズルズルの身体に、パーツとしてツギハギに縫い付けられたあなたがいて。
私の意識の中にも、ちゃあんと別人のあなたがいた。
それが、私とあなたの始まりだった。
あなたが私に馴染むのに、そして、私があなたに慣れるのに、ずいぶん時間がかかった。
その間は退屈だった。
だって何しろ、私もあなたも、怪我が治り、そしてリメイクした体に慣れるまで、体を動かすことは禁じられていたから。
退屈だったから、私とあなたは話すようになった。
お互いの意識で繋がり合って、お互いの考えを伝え合った。
血液型やパッチテスト以外は全然違う私たちだったけど、本当に気が合って、すぐに誰よりも仲良くなった。
けれどそのうち、周りが気味悪がり始めた。
精神科医を連れてきて、どちらかを消そう、そんな乱暴な話までされるようになった。
だから、私たちは取り決めた。
話し合い、意見や意識を交換し合うのは、三時のお茶の時間。
誰もいない秘密の時間だけ。
あとの時間は、どちらか片方だけがいるようにしよう、って。
それで上手くいっていた。
私たちはこの五年間、いろんなことを一緒にした。
リハビリも、外出許可で出かけた時も、読書も。
疲れたら交代して、他の人にはバレないように、でも、楽しく。
あなたに、ホットチョコレートの分量を、作り方を、教えてもらった。
読書や絵やお菓子の作り方なんかも。
私は、ゲームの仕方や、暗号やなぞなぞの解き方や、公式を、あなたに伝えた。
ところが今日、あなたは行ってしまった。
病院にいる五年の間で、あなたの体が私に馴染んできていた。
ゆるやかに、けれど確実に。
もうすぐ、元から私の体だったみたいに使える気がしていた。
そんな日だった。
昨日の早朝、私の夢の中であなたは言った。
あの日の、ぼんやりと見えたあなたの顔で、あなたは笑って言った。
「私たちもそろそろ一人に戻る時間だね。とても楽しかった。バイバイ」
「ありがとう」とかじゃなくて、「バイバイ」なのが、あなたらしかった。
あなたを見送った。
目が覚めた。
目が覚めて分かった。
あなたはもういない。あなたはもう、私になってしまった、と。
三時のお茶の時間は、今となっては、甘い、一続きの、長い、思い出になってしまった。
より正確にいうならsweet memories。
よくよく考えれば、甘いというより、sweetなのだ。
あなたと私のあの時間は。
私たちの思い出は、甘くて、優しくて、まろやかで、そして何より、私たちはずっと一続きで、二人で一組だったのだから。
そして、私に残ったあなたの記憶は、私だけでなく、あなたの記憶でもあるのだから。
だからsweetでmemoriesなのだ。
甘さだけじゃなく、思い出も一つじゃない。
私たちだけの、sweet memories。
昨日あなたを見送ってからすぐ、私は外出許可をとった。
そして、活版印刷機のある印刷屋に連れて行ってもらった。
あなたとの、sweet memoriesを忘れないようにするために。
読書を覚えてから、マザーグースは知っていた。
あなたもこの詩は知っていた。
だから私はメッセージカードを作った。
あなたの記憶に向けて。
私の意識に向けて。
「Sugar is sweet,
So are you. 」
最後の一文を撫でた。
外は、気持ちよく晴れていた。