「Roses are red,
Violets are blue.
Sugar is sweet,
So are you. 」
活版印刷がウリのお店で、刷った。
初めて使った型落ちの活版印刷機は、刷ったというより、押印した、みたいな感じだった。
正方形のメッセージカードに、印刷機に並べた文字列を押し付けて、刻んだ。
図書館の分厚い本で長いこと読むには読みづらい書体も、こんなに単純短文な詩だけを印刷するなら、かえってロマンティックで美しく見えた。
このカードを目にすると、頭に浮かぶ思い出は、みんな甘くてまろやかな風味を纏っている。
あなたが淹れるホットチョコレートの、あの優しく甘ったるい、あの味だ。
砂糖よりも、練乳に近い、あの甘さだ。
長いこと、一緒にいた。
恋愛なんて、お互い性に合わなかった。
ただ、二人きりでいる時間が、他のどの時間よりも甘美で、安らいでいた。
甘くて、自然で、優しくて、私たちはずっと繋がっていて一続きなんだ、と、二人で一組なんだって、確信を持ってそう思えた。
私が出かける時は、いつもあなたは眠っている。
あなたが出かける時は、私がいつも眠っている。
でも、私たちはお互いに、唯一無二の存在で、
いつも三時のおやつの時間に揃って、あなたの淹れたホットチョコレートを飲みながら、のんびり考えに耽るのだ。
あなたと考えごとをするのは楽しかった。
本当は昨日も、今日だって、そうするつもりだった。
でも、できないのだ。
あなたが帰ってこないから。
あなたと出会ったのは、空から落ちてくる冷たい雨と、湿った水飛沫を跳ね上げるアスファルトの混じった空間だった。
その日、私はあなたに会った。
二人一緒に、アスファルトの上に、くたびれた雑巾か、何かの部品みたいに、放り出されていた。
ずるずる引きずられた私の体と、潰れたあなたの胴の間に、あなたはいた。
ぼんやりと霞んでいた。
あなたの外見の様子や顔を見たのは、それが最初で最後だった。
雨と鉄分が混じり合ったような湿った血の匂いと、冷たい雨の降り頻る音だけが、ハッキリとしていた。
次に目が覚めた時は、真っ白い清潔な病室だった。
白い床と天井の、薬品の匂いがする部屋で、白いシーツに包まれて、私は目を覚ました。
その時にはもう、あなたがいた。
あなたが、私の体にいた。
私のズルズルの身体に、パーツとしてツギハギに縫い付けられたあなたがいて。
私の意識の中にも、ちゃあんと別人のあなたがいた。
それが、私とあなたの始まりだった。
あなたが私に馴染むのに、そして、私があなたに慣れるのに、ずいぶん時間がかかった。
その間は退屈だった。
だって何しろ、私もあなたも、怪我が治り、そしてリメイクした体に慣れるまで、体を動かすことは禁じられていたから。
退屈だったから、私とあなたは話すようになった。
お互いの意識で繋がり合って、お互いの考えを伝え合った。
血液型やパッチテスト以外は全然違う私たちだったけど、本当に気が合って、すぐに誰よりも仲良くなった。
けれどそのうち、周りが気味悪がり始めた。
精神科医を連れてきて、どちらかを消そう、そんな乱暴な話までされるようになった。
だから、私たちは取り決めた。
話し合い、意見や意識を交換し合うのは、三時のお茶の時間。
誰もいない秘密の時間だけ。
あとの時間は、どちらか片方だけがいるようにしよう、って。
それで上手くいっていた。
私たちはこの五年間、いろんなことを一緒にした。
リハビリも、外出許可で出かけた時も、読書も。
疲れたら交代して、他の人にはバレないように、でも、楽しく。
あなたに、ホットチョコレートの分量を、作り方を、教えてもらった。
読書や絵やお菓子の作り方なんかも。
私は、ゲームの仕方や、暗号やなぞなぞの解き方や、公式を、あなたに伝えた。
ところが今日、あなたは行ってしまった。
病院にいる五年の間で、あなたの体が私に馴染んできていた。
ゆるやかに、けれど確実に。
もうすぐ、元から私の体だったみたいに使える気がしていた。
そんな日だった。
昨日の早朝、私の夢の中であなたは言った。
あの日の、ぼんやりと見えたあなたの顔で、あなたは笑って言った。
「私たちもそろそろ一人に戻る時間だね。とても楽しかった。バイバイ」
「ありがとう」とかじゃなくて、「バイバイ」なのが、あなたらしかった。
あなたを見送った。
目が覚めた。
目が覚めて分かった。
あなたはもういない。あなたはもう、私になってしまった、と。
三時のお茶の時間は、今となっては、甘い、一続きの、長い、思い出になってしまった。
より正確にいうならsweet memories。
よくよく考えれば、甘いというより、sweetなのだ。
あなたと私のあの時間は。
私たちの思い出は、甘くて、優しくて、まろやかで、そして何より、私たちはずっと一続きで、二人で一組だったのだから。
そして、私に残ったあなたの記憶は、私だけでなく、あなたの記憶でもあるのだから。
だからsweetでmemoriesなのだ。
甘さだけじゃなく、思い出も一つじゃない。
私たちだけの、sweet memories。
昨日あなたを見送ってからすぐ、私は外出許可をとった。
そして、活版印刷機のある印刷屋に連れて行ってもらった。
あなたとの、sweet memoriesを忘れないようにするために。
読書を覚えてから、マザーグースは知っていた。
あなたもこの詩は知っていた。
だから私はメッセージカードを作った。
あなたの記憶に向けて。
私の意識に向けて。
「Sugar is sweet,
So are you. 」
最後の一文を撫でた。
外は、気持ちよく晴れていた。
5/2/2025, 3:43:27 PM