コンビニのバイトって、極めることがたくさんあって楽しそうだな。
雨足に追い立てられて入った店内で、そう思った。
ビニール傘の場所を目視する。
たまらなく良い香りが鼻腔をくすぐる。
レジ横のホットスナックがオレンジに照らされてアピールしている。
蒸し器でふっくら蒸しあがった、白い生地を見せつける肉まんも魅力的だ。
そしてこの香りの主犯、おでん。
ほかほかと白い湯気を上げながら、肩まで出汁に使っている。
目の端に写るスイーツも、どれも可愛らしくて美味しそうだ。
傘だけ買って出るつもりだったのに、誘惑が尽きない。
他にお客がいないのをいいことに、ビニール傘そっちのけでつい考えてしまう。
ここで食欲に負けてはダメ、欲望のままに振る舞うのは危険と脳が訴えているのに、ついつい手と目は、財布の中の小銭を数えている。
通り雨に降られたのは、二次面接が終わって帰路に着いている途中だった。
駅まであと10分も歩けば着く。そんな折に急に雨粒が落ちてきた。
春先か夏なら、濡れて帰ったと思う。
だが、あいにく今は秋だ。
風は涼しくて寒い、雨粒は一ヶ月前よりずっと冷たい。
これでは風邪をひく。そしたら来週のリクルート面談に差し障るかもしれない。それは不味い。
電車を一本見送ってまで、人入りの少ない辺鄙なコンビニに入ったのは、そういう事情からだった。
ご当地コンビニなのか、聞いたことのないブランドだが、まあとりあえず、傘だけ買えればいいや、そう思ってこの店に入った。
だが、店内に足を踏み入れた途端、イメージは変わった。
鼻腔をくすぐるホットスナックやおでんの美味しそうな香りと、明るい「いらっしゃいませ」の声。
並べられていた商品はどれも個性的で魅力的。
ほんわかとした雰囲気と控えめにかけられたラジオ番組も相まって、店内は、ほんのり温かい雰囲気に包まれている。
極め付けは、レジカウンター周りである。
窮屈そうに2台も並んだ特大ホットショーケースには、所狭しとホットスナックとホットスイーツが並べられ、カウンターに備え付けられた、他の店の二倍はありそうな肉まんスチーマーには、ふっくらとした中華まんが何種類も並べられている。
レジの横腹のあたりのカウンターには、ドリンクバーと見紛うほどの数のディスペンサーが設置されていて、レジ裏には、電子レンジ二台だけでなく、小型の蒸し器と鍋、小さな冷凍庫付き冷蔵庫、ソフトクリームディスペンサーまで見え隠れしている。
ちょっと覗いただけで思わず、ここは飲食店か!とツッコミたくなるような食へのこだわり。
しかし、他の品揃えが悪くなるというわけでもなく、簡単な衣料品からボールペン、ちょっといかがわしい雑誌まで、すっかり網羅されているのである。
そんな中、たった一人でニコニコとレジに立っている店員さん…。冒頭でコンビニバイトが楽しそうだと思ったのは、ここがそういうコンビニだったからだ。
財布と目の前の商品を何度も見比べて、決意を固める。
よし、体も冷えていることだし…あの季節限定ショコラまんとおでん(たまご、だいこん、もちきんちゃく、ちくわぶ、牛すじ…あたりかな?)とポテからセットとかいうやつとやたら美味しそうなあのウィンナーココアと…それから、夕食後のデザート用にあのケーキを買って…うん、これで完璧だ。
意気揚々とレジに向かい、注文を伝える。
にっこりと微笑んだ店員さんは、世間話も交えながら、手早く丁寧に商品を手渡してくれる。
ベテランさんだ。
「お仕事の仕方、楽しそうで本当に素敵ですね。私もこういうところで働いてみたいです!」
思わずそういうと、店員さんはふわっと顔を綻ばせて、「ありがとうございます」
という言葉と一緒に、ビニール袋を手渡してくれた。
幸せいっぱいの袋を抱えて、店を出る。
ウィンナーココアとショコラまんをパクつきながら、駅を目指す。
電車の中でおでんを食べよう。うわっ、贅沢だ。
意気揚々と歩き出した私の肌に、ぽとり、と何かが落ちる。
何だ、水滴だ。雨だ。さっきのような通り雨。…雨?
手元を見る。
手に持っているのは、カバンとビニール袋。傘は持っていない。買い忘れたのだ。
いや、買い忘れただけでは飽き足らず、ビニール傘分の小銭も、さっきの爆買いで使い果たした気がする。
…ということは?
…ヤバい、今通り雨はヤバい。
この幸せフードたちを守らねば。
ウィンナーココアに蓋をして、慌てて走り出す。
雨雲の足音をすぐ真後ろに聞きながら、私は全力でダッシュする。
通り雨は、ふらふらと、もうすぐそこまで通りがかっていた。
鹿肉はもみじというらしい。
キッチンカウンター越しのテレビに映るニュース番組が、ジビエの料理の美味しさをリポートしている。
手に握っていたにんじんのしっぽを取り下げて、おろしがねを下ろす。
おろしがねの下の受け皿の真ん中に、控えめに橙に色付いた、こじんまりとした小山がちょこんと居住まいを正している。
にんじんのもみじおろし。
私のための。
受け皿の中のもみじおろしを小皿に移す。
おろしがねを元の通りに設置して、小皿を避難させて。
冷蔵庫の一番下の段から、大根を取り出す。
ストンと落とされた真っ白で真っ直ぐな切れ目が眩しい。
真っ白に美しい断面を、にんじんの断片を噛んだ、ギザギザのおろしがねにあてがう。
綺麗な断面をささくれだったおろしがねで粉々にする、今からするのはそういう事だ、と意識すると、なんだか気分がスッとした。
おっと、忘れるところだった。
戸棚から例のモノを取り出す。
復讐と恨みを一身に引き受けるには、ちょっと頼りないくらいの重みのそれを、丁寧に下拵えして、真っ白で形の整った大根と一緒に、おろしがねにかける。
奴め、浮気をしやがったのだ。
秋。何かを一生懸命にするにはいい季節だが、こんな事に精を出す季節とは、誰も言ってない。
ザリザリと目減りしていく大根。
ほんのり橙に色付いたおろしがポトリ、ポトリと受け皿に落ちていく。
いや、別に浮気は構わない。
生き物にとって三大欲求の不足は抗い難い苦難だし、第一私は平安や近代の恋物語が好きときている。
プレイボーイや妾、愛妾の多妻婚は別に気にならない。
末摘花とか、個人的には結構良いポジションで、楽しそうな生活だと思うし。
故に、奴に愛する人が幾つあろうと大した問題ではない。
問題は、奴の対応だ。
好きな人はいくらいても構わないが、その人の人生に関わって決して軽くない影響を与えたのなら、その責任はきちんと取るべきだ。
というか、そういう責任が取れる人間じゃないと、そんな色好みな生活はしてはいけないと思う。
恋愛をいくつも平行してするなら、全ての相手に、誠実に、大切に、責任を持って、ちょっと憎めないと思えるくらいに、丁寧に振る舞うのが礼儀だと思うのだ。
これが私の持論で、籍を入れる前に、奴に実際に約束させたことのはずだ。
「この約束が守れなくなって、私があなたを愛せなくなったら、私たちは終わり」
そういう話だった。
だが、奴はやりやがった。
今日は本当は、私と奴で旅行に行くはずだった。
休みを合わせて、奴は記念日に拘るタイプだったから、記念日のお祝いに。
だが、奴は一週間前に「仕事だ」と言って、それをキャンセルした。
そして昨日、そのキャンセルの理由は、実は別の恋人とのデートであると判明した。
…これはちょっとラインを割っている。
私は秋の繁忙期の中、やっとの思いで休みを取ったというのに!
この恨み、はらさでおくべきか。
ということで、私は今日の記念秋刀魚定食、奴の大好物の秋刀魚の塩焼きに、細工を施すことを決心したのだ。
カツン。
爪がおろしがねに当たって、軽い音を立てた。
手を止めて、おろしがねをおろす。
ほのかに橙色をしたおろしが、さっきの二倍くらいの高さの山になっている。
奴は辛いのが苦手だ。
カレーも甘口しか食べられないのだ。
このおろしを口に入れた時の、奴の悶える様子を想像する。ちょっと面白い。
とりあえず、今日はこんなところでいいだろう。
このおろしはかなり辛いはずだ。なんせ、唐辛子をふたつ丸々すりおろしたのだから。
幸いたっぷりある。奴の皿にこんもり乗せてやろう。
そして、話し合おう。
今日のことは約束に違反すること、私にとっては不快だということを伝えて、これからをどうするべきか、話し合おう。
人間関係における感情に任せた突発的な行動は、大抵、理想と現実との乖離を深めて、最終的には取り返しがつかないほど、人生を破壊してしまうのだから。
恵みの秋、とテレビが訴えている。
紅葉した山の、美しい赤橙が映し出される。
テレビの映像から、微かに秋の虫たちの、恋の鳴き声が聞こえる。
開け放した窓の網戸の向こうから、秋の虫たちの、恋歌が聞こえる。
秋だ。
ふた山のもみじおろしは、見事に美しい赤橙で、ちんまりと佇んでいた。
空が果てしなく広がっている。
まだらに浮いている、白い雲の下から、青い、青い海水のかたまりと、豆粒ほどに遠い、人の生活の気配が見える。
身を乗り出す。
手のひらが吸い付くように窓ガラスに貼り付く。
無機質な片翼が、手前に見える。
窓は安全のために密閉されているから、どうやっても開かない。
この旅が無事に終わって、目的地に着くまでは、風も空気も感じることはできない。
この空の空気に触れることはできない。
でも、信じられないほど美しい景色だった。
雲が眼下に見える。
本当に上空の中を飛んでいるのだ。
隣の人が、奇異なものを見るような目で、こちらをチラリと見て、雑誌を投げ出しながら、席につく。
飛行機に慣れている人が殆どなのだろうか。
機内ではみな、端末で映画を見たり、パソコンを触ったり、眠ったり…
飛行機の旅はかなり長い。
みんな思い思いに過ごしている。
長い長い空の旅を有意義に過ごすには、そのような行動が正しいのだろう。そう思いながらも、窓から見える景色から目を離せずにいた。
窓の向こうには、何が広がっているのだろう。
青い空は、雲と一緒にどこまでも広がって、遠くの視界の端は白く霞んで、まだまだ続いている。
奥行きなんて、まるで感じさせない包み込むような空と、ゼリーの中の寒天のように立体的に佇む白い雲。
どこまでも広がる空に包まれ、白い雲の奥と手前に、判を捺した落雁のように広がる人工物は、滑らかで硬い存在感を放っている。
遠近感のスケールと果てしなさに、食い入るように、空の奥の奥に目を凝らす。
視界の限界が、空の白い果ての境界線に見える。
…その白い果てに、ふと、黒い影がよぎった。
空に対してはあまりにも小さく、でもここまでの距離を考えると、そうとう大きい。
それでもそれほど不自然に感じなかったのは、影の形が大きくて当然のものだったからだろう。
鯨だ。
大きな鯨が、空の果てで、身を翻して飛び上がっていた。
ここは空の上。上空何千メートルの世界。
鯨が息継ぎのために跳ねるといっても、ここまで跳ねることなんて不可能だろう。
でも確かに、白い空の果てに、黒い鯨の影が上空に躍り上がって、下空に吸い込まれていった。
見てはいけない、知られてはいけない秘密を見てしまったような気がして、慌てて、機内を見回す。
誰も窓を見ていない。みんな、自分の手元に、自分の現実に向き合っていた。
なんだかホッとして、窓から見える景色に目を戻す。
相変わらず、理解できないくらいの、美しくて果てしない上空が、窓の外に広がっている。
生き物はいない。
見えるのは、果てしない空と、人工物と、遥か眼下に広がる海と陸地。
空が、果てしなく広がっている。
雲が、果てしなく点在している。
右手は貼り付いたように、まだ窓ガラスを触っている。
窓は密閉されている。
視覚でしか感じられない景色。分厚い窓ガラスの触覚だけが、しっかりと感じられる。
窓から見える景色は、いつまでもいつまでも、ただの、窓から見える景色であり続ける。
窓から見える空は、深い青色だった。
見えぬけれどもあるんだよ
見えぬものでもあるんだよ
アスファルトを割ってたんぽぽが咲いていた。
日の光が星に透明マントを纏わせていた。
手入れの行き届いた生垣の足元に首をもたげた白百合の根元に埋まった骨も、その骨を埋めた真珠貝も、白百合のためだけに供えられた墓標の星の破片も、私には見えない。
どこか遠くの星で、ただ一輪だけ、四つの小さな棘を見せつけて咲いているバラの物語も、砂漠の下に隠された井戸も、箱の中で眠る羊も、私には分からない。
満開の桜の太い幹と枝に流れる血の赤さも、太い根に絡みつかれた死体の艶やかさも、私は知らない。
それらを知るのは、当事者たちだけ。
長閑な横道を、ふらり、ふらりと歩いた。
雀の短い泣き声がして、鳩の暢気な世間話が聞こえた。
烏の騒がしい話し声が空にこだましていた。
日光が肌に暖かかった。
水の音と、何かの生きている気配が、道のあちらこちらに溢れていた。
白鷺が黒い脚を伸ばして、音もなく飛び去った。
この世で重要なものの殆どは、形の無いものである。
そよ風がそう囁いた。
ネコジャラシが首肯した。
私も首肯した。
世の中のものの大抵は、形が有る無いに関わらず、変わっていく。
形の無いものによって、少しずつ。
昔よく一緒に遊んだ友人は、私に言った。
「…で、お前が散歩で費やすその二時間には、一体なんの価値がある?しんどいだろうに。車の方が、早く目的地につくし、楽だし、効率的だ」
「見えないからって、形の無いものを無駄に捨てるなんて勿体無い」
「大事なものは見えないし、見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよって言うじゃんか」
私を愛してくれていたあの人は、私に言った。
「もう、やめようよ。そんな意味も目的も分からないもの」
「他の趣味と比べて、生産性がないよ。そんな暇があれば、休んだり睡眠を確保したりする方が、俺は良い。あと、何処かで買い物するとかね。…それは、何を生み出せるっていうんだ?それは本当に君のためになるの?」
子供は、大人になったのだ。
ヤゴはトンボになり、オタマジャクシはカエルになり、ヒヨコはニワトリになった。
良い悪いではなく、それが私たちの重ねてきた時間の作用による変化で、自然なのだ。
みんな変わる。
自然に変わる。
私は幼体。
でも私も変わった。
世の中のものは、大抵変わる。
今は一人で散歩をする。
昔と違って、一人は苦痛じゃない。気楽だ。
私は成熟した。ネオテニーになった。
仕事が休みの時間、私は歩く。
形の無いものについて考えながら、形の無いものに身を預けて、ぼうっと。
形の無いものを浪費する。
時間は流れる。
物語は過ぎゆく。
形無いものだけど、確かに。
大切なものは目に見えない。
見えぬけれどもある。見えぬものでもある。
生き物の気配が、空気に満ちている。
空は青い。星は見えない。
たんぽぽは儚い。強い根は見えない。
どこかで、虫が鳴いていた。
登るって楽しい。
身体全体で身体を引き上げて、その度にグンと近づく空と、その瞬間の軽い浮遊感。
頼りない、でも確かな足場をしっかり踏みつける爪先と、不安定に揺れる上半身。
登るって楽しい。
その足場が、鉄だろうと岩だろうと枝だろうと。
登るって楽しい。
だから、私は今日も、走る。
二時間くらい走る。
夜の公園は、広々と涼しくて、身体を吹き抜ける風が、涼しくて気持ちいい。
子どもや遊具を使う人がいないことを確認してから、遊具に近づく。
障害物競走だ。
タイマーを押して、駆け抜ける。
風を切って、腕を振って、足を跳ね上げて。
掴んで、引き上げて、しがみついて、飛び越えて。
地面を蹴って、壁を蹴って、足を掛けて、腕に力を込めて、速く、高く、軽やかに。
パルクールは楽しい。
どんどん身軽になれる。
どんどん高く登れるようになる。
どんどん空の中に居れる時間が長くなる。
アスレチックは楽しい。
どこまで身軽になれるか。
どこまで高く登れるか。
いつまで空の中に居られるか。
試すことができるから。
ずらりと埋め込まれたタイヤをまとめて飛び越えて、シーソーの上を素早く渡って、身体を翻しながら平均台を渡って、登り棒を蹴って…
跳ね回って、走り回って…
ふっと目線の端に映った遊具に足を止める。
それは、公園の外周を駆け巡る私の視界のはずれ、遊具の真ん中にまるでこの公園の王様みたいに、鎮座している。
ジャングルジム。
そういえば、私が登る楽しさに気づいたのは、ジャングルジムで遊んだ時だった。
足を止める。
初めてジャングルジムを遊んだ時を思い出した。
幼い自分の三倍はありそうにそびえ立つ頂点。
丸くてつやつやした棒に手をかけた時の、あの沸き立つようなワクワク。
意を決して、足の裏の半分もないつるつるの鉄に足を掛けて、身体を引き上げる時のスリル。
一段ごとに、グンと近くなる空と、遠くなる地面。
上半身は、登るにつれ、涼しくて優しい風に煽られて、不安定に心地よく揺れる。
そして、登りきった天辺の、不安定な鉄の棒に尻を預けて、見下ろす公園。
天辺を吹き抜ける爽やかな風。
あの日のあの感覚。
あの日確かに、私はやっと目が覚めたような気がしたのだ。
私はこの風を受けるためにここにいるような気さえした。
だから、私は今でも、登る。
今でも走る。
空の中に居たいのだ。
上半身を揺らして、下半身と四肢を弾ませて、そうして最後に爽やかな風を感じて、空と地面を見つめていたい。
月と街頭のスポットライトに照らされて、ジャングルジムはひっそりと立っている。
堂々と、この公園の王様であるかのように。
汗を拭う。
虫の声と街頭の雑音が、ジーッジーッと聞こえる。
爽やかな夜風が、私の肌に触れて、吹き抜けていった。