鹿肉はもみじというらしい。
キッチンカウンター越しのテレビに映るニュース番組が、ジビエの料理の美味しさをリポートしている。
手に握っていたにんじんのしっぽを取り下げて、おろしがねを下ろす。
おろしがねの下の受け皿の真ん中に、控えめに橙に色付いた、こじんまりとした小山がちょこんと居住まいを正している。
にんじんのもみじおろし。
私のための。
受け皿の中のもみじおろしを小皿に移す。
おろしがねを元の通りに設置して、小皿を避難させて。
冷蔵庫の一番下の段から、大根を取り出す。
ストンと落とされた真っ白で真っ直ぐな切れ目が眩しい。
真っ白に美しい断面を、にんじんの断片を噛んだ、ギザギザのおろしがねにあてがう。
綺麗な断面をささくれだったおろしがねで粉々にする、今からするのはそういう事だ、と意識すると、なんだか気分がスッとした。
おっと、忘れるところだった。
戸棚から例のモノを取り出す。
復讐と恨みを一身に引き受けるには、ちょっと頼りないくらいの重みのそれを、丁寧に下拵えして、真っ白で形の整った大根と一緒に、おろしがねにかける。
奴め、浮気をしやがったのだ。
秋。何かを一生懸命にするにはいい季節だが、こんな事に精を出す季節とは、誰も言ってない。
ザリザリと目減りしていく大根。
ほんのり橙に色付いたおろしがポトリ、ポトリと受け皿に落ちていく。
いや、別に浮気は構わない。
生き物にとって三大欲求の不足は抗い難い苦難だし、第一私は平安や近代の恋物語が好きときている。
プレイボーイや妾、愛妾の多妻婚は別に気にならない。
末摘花とか、個人的には結構良いポジションで、楽しそうな生活だと思うし。
故に、奴に愛する人が幾つあろうと大した問題ではない。
問題は、奴の対応だ。
好きな人はいくらいても構わないが、その人の人生に関わって決して軽くない影響を与えたのなら、その責任はきちんと取るべきだ。
というか、そういう責任が取れる人間じゃないと、そんな色好みな生活はしてはいけないと思う。
恋愛をいくつも平行してするなら、全ての相手に、誠実に、大切に、責任を持って、ちょっと憎めないと思えるくらいに、丁寧に振る舞うのが礼儀だと思うのだ。
これが私の持論で、籍を入れる前に、奴に実際に約束させたことのはずだ。
「この約束が守れなくなって、私があなたを愛せなくなったら、私たちは終わり」
そういう話だった。
だが、奴はやりやがった。
今日は本当は、私と奴で旅行に行くはずだった。
休みを合わせて、奴は記念日に拘るタイプだったから、記念日のお祝いに。
だが、奴は一週間前に「仕事だ」と言って、それをキャンセルした。
そして昨日、そのキャンセルの理由は、実は別の恋人とのデートであると判明した。
…これはちょっとラインを割っている。
私は秋の繁忙期の中、やっとの思いで休みを取ったというのに!
この恨み、はらさでおくべきか。
ということで、私は今日の記念秋刀魚定食、奴の大好物の秋刀魚の塩焼きに、細工を施すことを決心したのだ。
カツン。
爪がおろしがねに当たって、軽い音を立てた。
手を止めて、おろしがねをおろす。
ほのかに橙色をしたおろしが、さっきの二倍くらいの高さの山になっている。
奴は辛いのが苦手だ。
カレーも甘口しか食べられないのだ。
このおろしを口に入れた時の、奴の悶える様子を想像する。ちょっと面白い。
とりあえず、今日はこんなところでいいだろう。
このおろしはかなり辛いはずだ。なんせ、唐辛子をふたつ丸々すりおろしたのだから。
幸いたっぷりある。奴の皿にこんもり乗せてやろう。
そして、話し合おう。
今日のことは約束に違反すること、私にとっては不快だということを伝えて、これからをどうするべきか、話し合おう。
人間関係における感情に任せた突発的な行動は、大抵、理想と現実との乖離を深めて、最終的には取り返しがつかないほど、人生を破壊してしまうのだから。
恵みの秋、とテレビが訴えている。
紅葉した山の、美しい赤橙が映し出される。
テレビの映像から、微かに秋の虫たちの、恋の鳴き声が聞こえる。
開け放した窓の網戸の向こうから、秋の虫たちの、恋歌が聞こえる。
秋だ。
ふた山のもみじおろしは、見事に美しい赤橙で、ちんまりと佇んでいた。
9/26/2024, 2:18:56 PM