見えぬけれどもあるんだよ
見えぬものでもあるんだよ
アスファルトを割ってたんぽぽが咲いていた。
日の光が星に透明マントを纏わせていた。
手入れの行き届いた生垣の足元に首をもたげた白百合の根元に埋まった骨も、その骨を埋めた真珠貝も、白百合のためだけに供えられた墓標の星の破片も、私には見えない。
どこか遠くの星で、ただ一輪だけ、四つの小さな棘を見せつけて咲いているバラの物語も、砂漠の下に隠された井戸も、箱の中で眠る羊も、私には分からない。
満開の桜の太い幹と枝に流れる血の赤さも、太い根に絡みつかれた死体の艶やかさも、私は知らない。
それらを知るのは、当事者たちだけ。
長閑な横道を、ふらり、ふらりと歩いた。
雀の短い泣き声がして、鳩の暢気な世間話が聞こえた。
烏の騒がしい話し声が空にこだましていた。
日光が肌に暖かかった。
水の音と、何かの生きている気配が、道のあちらこちらに溢れていた。
白鷺が黒い脚を伸ばして、音もなく飛び去った。
この世で重要なものの殆どは、形の無いものである。
そよ風がそう囁いた。
ネコジャラシが首肯した。
私も首肯した。
世の中のものの大抵は、形が有る無いに関わらず、変わっていく。
形の無いものによって、少しずつ。
昔よく一緒に遊んだ友人は、私に言った。
「…で、お前が散歩で費やすその二時間には、一体なんの価値がある?しんどいだろうに。車の方が、早く目的地につくし、楽だし、効率的だ」
「見えないからって、形の無いものを無駄に捨てるなんて勿体無い」
「大事なものは見えないし、見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよって言うじゃんか」
私を愛してくれていたあの人は、私に言った。
「もう、やめようよ。そんな意味も目的も分からないもの」
「他の趣味と比べて、生産性がないよ。そんな暇があれば、休んだり睡眠を確保したりする方が、俺は良い。あと、何処かで買い物するとかね。…それは、何を生み出せるっていうんだ?それは本当に君のためになるの?」
子供は、大人になったのだ。
ヤゴはトンボになり、オタマジャクシはカエルになり、ヒヨコはニワトリになった。
良い悪いではなく、それが私たちの重ねてきた時間の作用による変化で、自然なのだ。
みんな変わる。
自然に変わる。
私は幼体。
でも私も変わった。
世の中のものは、大抵変わる。
今は一人で散歩をする。
昔と違って、一人は苦痛じゃない。気楽だ。
私は成熟した。ネオテニーになった。
仕事が休みの時間、私は歩く。
形の無いものについて考えながら、形の無いものに身を預けて、ぼうっと。
形の無いものを浪費する。
時間は流れる。
物語は過ぎゆく。
形無いものだけど、確かに。
大切なものは目に見えない。
見えぬけれどもある。見えぬものでもある。
生き物の気配が、空気に満ちている。
空は青い。星は見えない。
たんぽぽは儚い。強い根は見えない。
どこかで、虫が鳴いていた。
9/24/2024, 1:37:34 PM