オレは10歳の時、突然倒れた。
生まれつきの欠損が発覚したのは、その時だ。
肉体改造のため、ドナー提供用の家畜が飼われる昨今、そんな風潮に異議を唱える“昔カタギ”の人間である、オレの親父とお袋は、息子のそんな知らせを聞いて泣き崩れた。
肉体改造のために発達したバイオ技術を使った移植手術を受けない限り、オレは一生このままだと、医者は脅した。
頑固なことに定評のある姉貴は、「諦めなければ、何か手はあるはず」と、医者を探し回った。
そしてついに、その手を見つけて来た。
親父とお袋は、その手術をオレに受けさせるために、身を粉にして走り回った。
そして、今のオレがいる。
「バカな!こんな型落ちの肉体に私が負けるわけがっ…!」
真っ赤な床の上、目の前に倒れ伏したヒトが言う。
肉体改造を重ねたのだろう、不自然にしなやかで血管の盛り上がった肉体に、異常発達させた爪や武器のために突出した骨が、浮き出ている。
「このバイオ絶縁体を内臓部に合わせれば…右心房の…電気興奮が……阻害され、…心…臓は、動かなくなり、……動きを止めるはず…では…」
ピルケースを握りしめ、絞り出すようにうめく奴の脳天をオレは撃ち抜く。
パァンッと乾いた音が響く。
これだけ肉体改造しているのなら、どうせ脳も2つあるんだろう。
案の定、奴は血まみれの頭をもたげる。
オレはその頭を掴むと、奴の目を見つめる。
「なあ。お嬢さん、一つ教えておいてやろう」
「オレの心臓はここにはねえ。オレの心臓はな…」
驚いたような怯えたような奴の顔を眺めながら、オレは鎖骨のすぐ下を軽く親指で叩いてみせた。
「My heart is here。ここにあるのさ」
肌の上からでも、こつこつと硬い感触とほんのり持った熱が伝わる。
姉貴が見つけ、探し、買い取ったペースメーカー。'24年の年代物だ。
「…よし、連れてけ。お前たち、“家族”の分も、じっくりもてなしてやれ」
オレは顎をしゃくり、若い衆どもに伝える。
奴は引き摺られ、赤い筋を残しながら、消えた。
オレは葉巻の灰を落とし、革張りのソファに腰を沈める。
「時間がかかったが、やっと終わった。…苦労かけて、挙句にこんな待たせて…不甲斐ない弟ですまない、姉貴」
写真立ての中の姉貴は、あの時と変わらない顔で笑っていた。
霧のような雨が降る。
雨のあまりの柔らかさに、雨宿りをする気も起きず、濡れっぱなしで身軽に歩く。
濃霧のように白い水蒸気が立ち込めていて、湿った春の香りがほのかにする。
私はゆっくり辺りを見まわし、跳ねるような足取りで歩き出す。
「出てけ!」と追っ払われた後だし、どうせしばらくは戻れない。
雨だから歩道は空いているし、お散歩にちょうど良い。
車が水飛沫を上げながら、通り過ぎてゆく。
雨の日の環境音は、いつもより耳に響いて、心地良い。
私は鼻歌混じりに適当に歩く。
なんと、ここには空き地があったのか。
でたらめに歩いた道の先に、背の高い草の生い茂る空き地があった。
錆びたベンチが向こうに見える。私はそっちに向かう。
ベンチの上には先客がいた。誰かが忘れていったのだろう、ふかふかのぬいぐるみだ。
大事にされていたのか、赤い首輪までつけている。雨に濡れて、ぴかぴか光るネームプレートには、「コロ」の2文字。
いいなぁ…、思ってしまってから私は、気づく。
これがないものねだりか。
でも、あっちも案外、動く私の方が羨ましいのかもしれない。置いていかれても持ち主を探せる翼が、あっちは欲しいのかも。
雨を含んだぬいぐるみの目が、こちらを向いている。
ないものねだり仲間じゃん。私はぬいぐるみと目を合わせ、苦笑する。
足元でアマガエルがぴょこん、と跳ねる。
…雨もだいぶ止んできた。霧は少しずつ晴れ始めている。
そろそろ散歩も終わりにするか。
私は黒い翼を広げ、靄がかった空へ羽ばたいた。
花弁がふわりと広がるアネモネ。重たそうに首を垂れる鈴蘭。さりげなくちょこんと咲くたんぽぽ。甘い香りを凛と放つ百合…。
私の目の前には、色とりどりの花が並ぶ。
「どうぞ、好きなものを召し上がってください。お嬢さん」
この部屋に私を招待した紳士は、黒い外套をはためかせ、お辞儀する。
シンプルながら美しい形をした外套が、ゆっくりと瞬くと、品の良い紅橙のワンポイントがひらりと目立つ。
「ご親切にありがとう」
私は、口の先まで出かかったため息を飲み込みながらこう答える。
「では、良いお時間を。失礼します」
紳士は、黒い外套を翻すと、青空に向かって、席を外す。
残された私は、目の前に座る青年を見やる。
彼は、プラスチックのように透き通る素材に、アンティークものの額縁のように、縁を彩る赤茶の模様を描いた、見事な外套を纏っている。
小柄な身体をさらに縮こませ、困ったように俯いている。
彼が、意を決したように顔を上げ、口を開く
「こんにちは、モルフォ一族のお嬢様」
「こんにちは。アサギマダラの紳士様。お食事をご一緒に、なんて、こんな忙しい時に、ご迷惑だったかしら」
私が目を伏せつつ答えると、彼は虚をつかれたように私を見つめ、それから慌てたように首を振る。
「そ、そんなことはありません。お目にかかれて光栄です。ぜひ、遠慮せずにお食べください」
「ありがとう。私、お花は好きなの。どれも美味しそうで迷ってしまうわ。貴方はどれがお好き?」
彼は目を白黒させながら、慌てたように目線を走らせ、そして、答える。
「ぼ、わ、わたくしは、フジバカマが好きでございます」
「あらそんなにかしこまらないで。フジバカマ?私も好きよ」
彼は信じられないというように目を見開く。
私はここぞとばかりに二の句を継ぐ。
「あら、モルフォ一族は嘘なんかつかないわ。さあ、ご一緒させてくださらない?」
「わ、わたくしでよければ」
「もちろんよ、お食事を楽しみましょう」
…私と彼はゆっくりと食事を始める。
なんて幸せなひとときかしら…
「好きじゃないのに」
彼と別れ、帰路を歩く私の耳に言葉が止まる。
私はゆっくり振り向く。後ろには、私の御付きであり、従兄弟の、ジャノメが立っている。
「お前は花の蜜なんて好きじゃないのに、」
ジャノメは口元を吊り上げて続ける。
「甘い言葉を添えて、アイツを騙して、なんのつもりだ?」
私はジャノメに笑いかける。
「わからない?」
「私はあの方を手に入れるつもりよ」
ジャノメは顔を顰める。
「アイツとお前じゃ、好みも生態も違いすぎる。花の蜜が好きじゃないお前が、アイツと暮らせるとでも?」
私は微笑む。
「あら。そんなこと、愛の前では無力だわ。確かに私は花の蜜は好きじゃない。でもあの方は好き。だから好きじゃないのに、我慢できるのよ。大好物がなくても、あまり好きじゃないお食事でも。愛とはそういうものだわ」
ジャノメは不機嫌そうに吐き捨てる。
「お前にアイツは似合わない。死骸や腐乱した果実が好きな、お前みたいなやつにはな」
「あら」
私は首を傾げる。私が最も美しく、可愛らしく見える角度で、ジャノメを見つめる。
「貴方はそうじゃないの?」
ジャノメに背を向け、出来るだけ柔らかい優しい声で言う。
「貴方も私の血族よ。あの方と私たちは違うの」
何も言わないジャノメをおいて、私は蒼い外套を広げる。
「でも、貴方とは違って、私は諦めないわ。あの方に『好きじゃないのに、俺と出かけないでくれ』なんてバカなことを言った貴方とは違ってね」
私は青い空に飛び立つ。
好きじゃない花の甘い香りの中に、どこかから、ツンと据えた良い香りが漂ってくる。
私は、その据えた香りに向かって、蒼い羽を羽ばたかせた。
「今日は晴れ、ところにより雨です」
ラジオの天気予報が告げる。
「雨は○△地区、×◎◽︎地区、◎■▶︎地区で、宙時計◀︎時からと予想されており…」
僕は大きく伸びをして、ベッドから半身を起こす。
カーテンを開け、窓を開け放つ。
窓の外には、瞬く星空が広がっている。
「おそよう。良い夜だね」
お隣さんに届くように、大きな声でそう言って、僕はベッドから出る。
タンスを開けて、皮を着替える。久しぶりに着るものだから、節々に動きにくさを感じる。
体に馴染むようにと、僕はラジオのつまみを回す。
「ラジオ体操第一!」
ラジオから軽快な音楽が流れ出す。
僕はそれに従って、関節を回してみたり、腕を伸ばしたり、動きを確認する。
一通り動かして、軽く跳ねてみるところが、僕の一番のお気に入りだ。
体を動かした後は、テーブルに座って、ご飯を食べる。
いつものご飯が、この体にはやけに食べにくい。
ご飯を食べ終えたら、いよいよ今夜のメインの活動だ。
僕は虫取り網とバケツを担ぐ。
今日は、星狩りにピッタリの日だもの。星狩りに行かなきゃ
玄関の扉を開けようとしたところで、僕はふと気づく。
そういやお隣さんは、星が欲しいと言っていた。
僕は窓に駆け戻り(たった二本の肉製の足では、走るのも一苦労だ)、窓に向かって大声で言う。
「これから星狩りに言ってくるよー!場所はもちろん、◎■▶︎地区のいつもの空き地!君も予定がなければ是非おいで!」
それから僕は清々しい夜の空気を吸いながら、歩いて行く。満天の星が重たそうにキラキラ輝いている。
そのうちの一つが、チラチラと揺れたかと思うと、地面に向かって、スーッと落ちてくる。
もう降り始めた!僕は転ばないように急足で、目的地へ向かう。
いつもの空き地には、先客がいた。さっき声を掛けた、お隣さんの、君だ。
君も肉製の二本足で立ち、二本の腕に虫取り網を持っている。
こんな身体も、君にはよく似合っている。
「おそよう。もう降り出してるよ、急いで急いで!」
にっこり笑いかけてくれる君に僕は答える。
「おそよう、来てくれたんだね」
「うん!だって星、たくさん捕まえたかったし、君にも会いたかったから!会うの久しぶりだよね?」
「うん、百十年ぶりかな…僕も君に会いたかったんだ」
僕がそう口にし終わる前に、大粒の星が降り出す。
予報通りの雨だ。◎■▶︎地区による、流星雨。
君は、「降り出した!」と歓声を上げ、虫取り網を振り回して、次々と星を捕まえ始めた。
…僕の言葉はどうやら、最後まで聞こえなかったみたいだ。
でも、君の星に夢中なその仕草が、僕の胸を幸せにする。
「ねえ!雨あがっちゃうよ!早く早く〜」
君に呼ばれて、僕も虫取り網を取って駆け出す。
今日は星月夜、ところにより流星雨の日。
羽根が突き出される。
鯖色が輝く、立派な風切り羽根だ。
「…ん、なんだ?これ。くれるのか?」
私が聞くと、その羽根は机の端に置かれる。
その方へ目線を落とすと、羽根を突き出した張本人ーまだ5歳にも満たない幼子は、ふんわりと笑い、頷く。
「…そうか。ありがとう」
机の上に目線を移しながら、私は言う。
物欲しげな、澄んだ瞳で見上げてくる。その頭を撫で、
「良いものを見つけたな。こんなものを見つけられるなんて、良い目をしてるな。ありがとう」
改めて、瞳を見つめて言うと、彼女は目を輝かせる。みるみる、幸せそうな笑みが広がってゆく。
思わずこちらの顔も綻んでしまう。
笑うのは苦手だ。だから、この子といる時の私の顔は見れたものではないだろう。
それでも、彼女は嬉しいらしく、輝く柔らかい瞳をさらに和らげ、片えくぼを深くして、にっこりと笑う。
切り裂かれるような傷みが、チリッと胸の奥に走る。
彼女は私に向かって、もっと遊んでくるね!というように手を大きく振って、中庭に駆け出して行く。
あの子は無口だ。そして、人見知りも激しかった。
母親が死んでから、…とにかく、今のところは彼女が言葉を発することは、ない。
口を貝のように閉ざしたまま、他の誰にも頑なに表情を見せないまま、それでも私には素直な笑顔を向ける。
その度に私は、胸の奥に、自分の心の裡に、小さく鋭い傷みを覚える。
かつて、私の特別な存在だった、あの人を守れなかったのに。
かつて、あの子の特別な存在だった、あの子の母親すら守れなかったのに。
かつて、私は他人の特別な存在を、少なからずも手に掛けたというのに。
そして、今もあの子を、世界から他人から隔絶して、色々な可能性を潰してきたというのに。
なぜ、私が特別な存在かのように笑ってくれるのだろう。
羽根は、春の日を受けてキラリと輝いていた。
いくら自分の罪悪感を駆り立てる存在だとしても、私にとって彼女がくれたこの羽根は、もう特別な存在だ。
…羽根ペンにでもするか
頬が緩むのを感じる。久しぶりに、心から笑えた気がした。