花弁がふわりと広がるアネモネ。重たそうに首を垂れる鈴蘭。さりげなくちょこんと咲くたんぽぽ。甘い香りを凛と放つ百合…。
私の目の前には、色とりどりの花が並ぶ。
「どうぞ、好きなものを召し上がってください。お嬢さん」
この部屋に私を招待した紳士は、黒い外套をはためかせ、お辞儀する。
シンプルながら美しい形をした外套が、ゆっくりと瞬くと、品の良い紅橙のワンポイントがひらりと目立つ。
「ご親切にありがとう」
私は、口の先まで出かかったため息を飲み込みながらこう答える。
「では、良いお時間を。失礼します」
紳士は、黒い外套を翻すと、青空に向かって、席を外す。
残された私は、目の前に座る青年を見やる。
彼は、プラスチックのように透き通る素材に、アンティークものの額縁のように、縁を彩る赤茶の模様を描いた、見事な外套を纏っている。
小柄な身体をさらに縮こませ、困ったように俯いている。
彼が、意を決したように顔を上げ、口を開く
「こんにちは、モルフォ一族のお嬢様」
「こんにちは。アサギマダラの紳士様。お食事をご一緒に、なんて、こんな忙しい時に、ご迷惑だったかしら」
私が目を伏せつつ答えると、彼は虚をつかれたように私を見つめ、それから慌てたように首を振る。
「そ、そんなことはありません。お目にかかれて光栄です。ぜひ、遠慮せずにお食べください」
「ありがとう。私、お花は好きなの。どれも美味しそうで迷ってしまうわ。貴方はどれがお好き?」
彼は目を白黒させながら、慌てたように目線を走らせ、そして、答える。
「ぼ、わ、わたくしは、フジバカマが好きでございます」
「あらそんなにかしこまらないで。フジバカマ?私も好きよ」
彼は信じられないというように目を見開く。
私はここぞとばかりに二の句を継ぐ。
「あら、モルフォ一族は嘘なんかつかないわ。さあ、ご一緒させてくださらない?」
「わ、わたくしでよければ」
「もちろんよ、お食事を楽しみましょう」
…私と彼はゆっくりと食事を始める。
なんて幸せなひとときかしら…
「好きじゃないのに」
彼と別れ、帰路を歩く私の耳に言葉が止まる。
私はゆっくり振り向く。後ろには、私の御付きであり、従兄弟の、ジャノメが立っている。
「お前は花の蜜なんて好きじゃないのに、」
ジャノメは口元を吊り上げて続ける。
「甘い言葉を添えて、アイツを騙して、なんのつもりだ?」
私はジャノメに笑いかける。
「わからない?」
「私はあの方を手に入れるつもりよ」
ジャノメは顔を顰める。
「アイツとお前じゃ、好みも生態も違いすぎる。花の蜜が好きじゃないお前が、アイツと暮らせるとでも?」
私は微笑む。
「あら。そんなこと、愛の前では無力だわ。確かに私は花の蜜は好きじゃない。でもあの方は好き。だから好きじゃないのに、我慢できるのよ。大好物がなくても、あまり好きじゃないお食事でも。愛とはそういうものだわ」
ジャノメは不機嫌そうに吐き捨てる。
「お前にアイツは似合わない。死骸や腐乱した果実が好きな、お前みたいなやつにはな」
「あら」
私は首を傾げる。私が最も美しく、可愛らしく見える角度で、ジャノメを見つめる。
「貴方はそうじゃないの?」
ジャノメに背を向け、出来るだけ柔らかい優しい声で言う。
「貴方も私の血族よ。あの方と私たちは違うの」
何も言わないジャノメをおいて、私は蒼い外套を広げる。
「でも、貴方とは違って、私は諦めないわ。あの方に『好きじゃないのに、俺と出かけないでくれ』なんてバカなことを言った貴方とは違ってね」
私は青い空に飛び立つ。
好きじゃない花の甘い香りの中に、どこかから、ツンと据えた良い香りが漂ってくる。
私は、その据えた香りに向かって、蒼い羽を羽ばたかせた。
3/25/2024, 5:07:46 PM