群衆。群衆。膨らむ黒山が行進を続けている。
その先頭が、おもむろに口を開く。
「不条理な、この世界に制裁を!!」
「「不条理な、この世界に制裁を!!」」
「女王を出せ!」
「「女王を出せ!!」」
一体どうしたというのだろう。穏やかでない。
私は行列の先を確かめ、呆れの嘆息混じりに呼びかける。
「何を言っているの、貴女達は」
私の声を聞いた数名が、顎を上げて、こちらに向き直る
「我々は自由を求めている。平等を求めている」
「我々は解放される権利があるはずだ」
「そうだとも。我々はこれ以上好き勝手を許すわけにはいかない」
「この不平等を許してはならない」
「我々が条理と平等と自由を勝ち取るのだ!」
「“貴女達”が?」
「そうだとも」
「自然の摂理が、女王が貴様らを許そうとも、我々が許さない」
「だから女王も、我らを阻むものも皆殺しだ!」
何を言っているのだろうか、このおバカさんどもは。開いた顎が塞がらない
「…なんだっけ?不条理をなくすのだっけ?」
「そうだ」
「不平等をなくす?」
「その通りだ!」
私は胸の奥で溜息をつき、一つの方向を指す。
群衆が向かっていたのとは反対の、クロヤマアリの巣がある方を。
「貴女達、もう少し冷静になった方がいいわね。貴女達の女王はあっちよ」
「そうであったか!」
「協力、感謝する!」
「貴殿は、我々の勝利の暁には我々の新秩序を享受するであろう」
「自由になれるぞ!」
口々にそう言って、彼女らは去ってゆく。
…不条理、ねぇ?
私は皮肉っぽく、首を傾げる。
どの触覚がいうのかしら、そんなバカなこと。
不条理っていうのはあんた達みたいなことを言うのよ、おバカなサムライアリたち。
…さて、ご飯を探してこなくては。あのバカたちが、新しい“私たち”の子を連れてくる前に。
私は彼女達とは反対方向へ歩き出す。
……ついでに、女王様にも報告してこようかしら、きっとお喜びになるわ。
私は、少しだけ軽くなった足取りで、かつての私の巣へ向かった。
「もう、泣かないよ」
奴は、私を呼び出して、急に、涙でぐちゃぐちゃになった顔を上げて、そう宣う。
なにそれ…
私は唖然として唇を舐める。
何言ってんの?
奴は黙っている。こちらをジッと見返してくる。
一拍おいて、奴はぐちゃぐちゃの顔で笑ってみせる。
「もう何があっても泣かないから、私は大丈夫」
なんだよそれ、なんで私に?
「うん、そうだよね。でも言っておきたくて」
お前、愚図のくせに?
「愚図だから泣かないように頑張るんだよ」
それで?私に何して欲しいわけ?
「ううん、あなたに何かあるわけじゃない。ただ、泣かないって決めただけ、で、それが言いたかっただけ」
それがなんになるんだよ…
自分の声の、あまりのか弱さに戸惑う。
斜め前の床が濡れてる。奴の服が濡れてるからだろう。
それを見透かしたように、奴は屈んで、優しく微笑む。
「大丈夫だよ。嫌いになったわけじゃないし、あなたが悪いわけじゃない。どんなことがあったって、私はあなたが大好きだよ」
なんだよそれ。もう分かってるんじゃん
なにが、“何かあるわけじゃない”だよ。もう気づいてんだろ
…私がお前と二人で居たかったからって、お前を慰めるただ一人で居たかったからって、泣いてるお前を見たいからって、仕組んだってことを。
今までの、アレもコレも全部、けしかけたのは私だってことを。
「…なんだよ、それ…」
嗚咽と一緒に漏れた。なんで私が泣いてんのよ
「…大丈夫だよ、ずっと一緒に居るからね。大丈夫、大丈夫」
奴が私の背中を撫でる。優しく、何度も。
「大丈夫…大丈夫…」大丈夫…だいじょうぶ…
「…お前なんて、嫌いだ」…嫌いで…大好きだ……
奴は、それでも、まだ私をさすっていた。私が顔を上げるまでずっと…
怖がりな奴だったのだ、と思う。
アスファルトの道を、自転車で走る。
道の真ん中で歩いていた雀たちが、パラパラと前を通り過ぎてゆく。
危ないな、と思う。
でも彼らは轢かれるなんてそんな間抜けなヘマをせず、要領よく、地面スレスレを飛び去ってゆく。
最後の一羽が飛び抜ける時は結構タイヤ前スレスレで、こちらも緊張する。
そして、最後の一羽を見るたびに、アイツは怖がりな奴だったのだ、と思う。
学校に通ったことのある人なら誰でも経験があるであろう、クラス対抗の大縄跳び。
アイツはそれが、どうしても苦手だった。
ぐずぐずと首を上下しながら縄を見つめ、当然のようにタイミングを見逃して、後ろの奴に文句を言われ急かされて、思い詰めたように、縄に向かう。
そして、引っかかる。
アイツはそんな奴だった。
アイツはもともとスポーツ万能。
大縄以外の体育の時間は大活躍で、どんな分野であろうと1位を総舐めする。
「父さんがスポーツ好きなんだよ。家族全員でスポーツするのが夢だったとかでさ。おかげでウチは毎週スポーツ大会だよ」
体育のことを褒められた時、アイツはいつもそう言った。
でも、大縄だけはダメだった。
なんで大縄だけダメなんだ?と聞いてみたことがある。
「…まあ、人には一つくらい弱点ってやつがあるってことだろ?俺の場合はそれなんだよ。いやぁ、俺の同級生って、幸運だよな、俺の数少ない弱点が見られるんだから!」
アイツはいつも、そう言って、笑い飛ばした。
今ならわかる。アイツは怖がりだったのだ。
アイツは、大縄の時に後ろに並ぶ、“みんな”が怖かったんだ。
アイツは長男だった。弟も妹もいた。
でも、休日も平日の放課後もスポーツに打ち込むスポーツマンはアイツだけだった。
アイツの弟は、ゲームのスポーツの方が好きで、父親の反対を押し切り、自分の力でその道へ進んだ。
大したやつだよ、アイツは言った。
アイツの妹は、もっと勉強したがった。妹はアイツの母親と一緒に家を出て、第一志望の国公立大へ行った。
家族みんなの自慢だよ、アイツは言った。
アイツはずっとスポーツマンで、休日はずっと父親と過ごしていた。ずっと、ずっと、ずっと……
アイツは怖がりだった。そして、優しかった。
誰の期待も裏切れなかった。バカ臆病だったのだ。
雲の隙間から差す日が眩しい。
目を細めた隙に、カゴの中の牡丹餅がガタンと揺れる。
なあ、お前は幸せだったか?
アイツには絶対に聞けないことを、でも聞いてやらねばいけなかったことを、今更呟く。
それにしても眩しい日差しだ。雲に邪魔されて隙間からしか見えないくせに。嫌になるほど、涙が出るほど…
…なあ、一番の怖がりはどっちだったんだろうなぁ
アスファルトの道はまだ続いている。どこかで雀が、チュンと鳴いた。