楽しい夏休み
「お坊ちゃま、帽子を忘れてはいけません」
金属と強化シリコンの腕が俺の頭に麦わら帽子を被せる。
「お夕飯はハンバーグです。暗くなる前にお帰りを」
「うん」
俺はこくんと頷いた。
『復元は無理か……』
俺が子供の頃は養育係、今もプライベートで世話係として使っていたアンドロイドが突然、不具合を起こした。俺の十歳の頃から今までの記憶を全て失ってしまったのだ。
『お坊ちゃま、今何時だと思っているのですか! 就寝時間はとっくに過ぎましたよ!』
玄関で仁王立ちで叱られたときは、流石に唖然としたが。
『博物館に展示されていてもおかしくない骨董品ですので……』
廃棄処分するしかないらしい。ならば……と俺は彼を連れて別荘で早めの夏の休暇を取ることにした。
携帯端末が鳴る。
「社長……」
重役の声に「処分日まで三日も待てんのか」と返す。
彼がおかしくなって俺は気付いた。両親、教師、学友、社員、皆の期待の中、ひたすらそれを叶えてきた俺を唯一庇護してくれたのが彼だったと。
駆けてくる足音に通話を切る。
「坊ちゃま! 水筒をお忘れです!」
「ありがとう」
だから、せめて、最後の三日間は彼に下で。明日の天気くらいしか気にすることのなかった子供のままで。
子供のままで
500字
愛を叫ぶ
点滴の液が白いカーテン越しの陽の光を柔らかく映しながら落ちていく。
酸素吸入の管を鼻に着けて、君はただ手を握ることしか出来ない私を見上げた。
「身体に気をつけて。ちゃんと、ご飯食べてね」
私といられて幸せだったと言って笑う。君の瞼が閉じ、か細い呼吸の音が消えるまで、私はただ何も言えず、君を見詰めていた。
夜の国道線。
『口下手なのは初めから知っていたから』
態度でその眼でいつも告げて貰っていた……と、いつの日かの君が脳裏で笑む。
空が淡く光始め、寄せて返す波が煌めく。
でも、もう君は隣にいないから、それでは伝わらないだろう?
君の命日に君と初めて出会った海を訪れる。
彼岸の君に届くよう声を張り上げて愛を叫ぶ。
298字