リアルに欲しいと思った物、等身大メラルバのぬいぐるみ。約1ヶ月の自宅療養の孤独も相まって、わりと本気で購入を迷ったが、手術や入院費用、病院に住むレベルで通い詰めた検査費用もろもろの出費がかさみ、幸か不幸か予約購入には至らなかった。
もし手術や入院がなかったら、夏のボーナスも入るし〜、と、ポチッとしていたであろう等身大メラルバ。ウルガモスにはないメラルバならではの魅力を語れば痛い人、間違いなし。そんなただでさえ怪しいゾーンにいる私の推しポケモン、メラルバでもウルガモスでもない、サンドパンだ。
本名に限って言うと、たいして親しくない人から下の名前で呼ばれることに強い抵抗や違和感を感じてしまうのは生まれ持った気質だろう。親しい仲にも何とやらで、名前に限らず、やたら距離感が近く馴れ馴れしい人と上手くいった試しがない。どこかで必ず何かしらの溝が生じるのだ。そんなときはけっして無理をせず、そっと距離を空けることが得策。年を重ねた今だからこそなせる業。
四十と数年、違和感なく、程よい距離感で付き合える方々の存在のありがたみを噛みしめる機会が増えた。「私」という人間を尊重してくれる人のために使う時間は、貴重であり、希少でもある。
受話器片手に、空いた方の手にペンを握る。手元に一冊のノートを広げ、受話器越しに聞き取った音声を言葉にしてそこに記す。赤、青、黒の三色を駆使して紙に滑らせ、つらつら綴る文字列や図形。時に見えない相手に相槌を打ち、確かにその瞬間は話の内容を理解できたつもりでいた。
通話を終え、不意に視線を落として手元のノートを読み返す。いざ、つい先刻の内容をおさらいしようと試みたときに気付くのだ。自分の書いた文面のお粗末さに。解読困難な文面を紐解く頃には終業時刻を迎えていた。
あー、もう明日でいいや。
明日、出勤早々から始まる己のメモの暗号解読。今から憂うつである。
私はひとりで過ごす時間がとても好きだ。
理由あって一人暮らしをしている今、人生いろいろすったもんだありはしたが充実して穏やかに暮らせている。好きな雑誌を読み、ゲームをし、ピアノを弾き、食べたいときに食べたいものを食べ、眠たくなったらグースカ寝る。何と幸せか!
ワンルームの小さな部屋にちょっとした仕切りで目隠しをし、その先にベッドを置けば、私だけの秘密基地が完成。だらけるも良し、物思いにふけるのもまた良きというもの。
4年という長い闘病の末に父が亡くなり、もうすぐ6年を迎えようとしている。69歳の若さで亡くなった父。手の施しようがない癌だった。
その父が大事にしていた腕時計を今、ベルトだけは手直しをし、私が愛用している。光に当てれば電池交換いらずの優れもの。だが、ここ数年は少しガタがきたのか、いくら針を調整しても、必ず2分遅れるようになった。こうして少しずつ、少しずつ、時計も私も老いていくんだろうなと思うとちょっと切ない。