〈永遠に〉
「死ぬまで愛してね」って言っていたよね。
なのに、俺に近づくなと酒瓶片手に言うんだ。
朝になったら決まって泣きながら謝ってくる。
「お願いだから見捨てないで。こんなこと二度としないから」
最初は勿論、彼女は何かの病気ではないかと思っていたし、献身的に支えていた。
「大丈夫だよ、見捨てないよ」
ただ、俺も人間だ。彼女が泣きながら謝る姿に飽き飽きしてきて、滑稽だなと思うまでに至った。
でも、何度も同じことを繰り返しているうちに気づいてしまった。
滑稽だなと思うのであれば、それほど飽き飽きしているのであればなぜ彼女から、俺は離れようとしないのだ?
呆れてるのだろう?滑稽だなと馬鹿にしているじゃないか?
俺は、心の中で自分を必要とする人間がいることに胡座をかいて、彼女の謝る姿を酒のツマミにしていた。
今まで彼女の方が俺に依存していると思っていた。自分の友達に彼女のことを相談しても、友達は口を揃えて同じことを言っていたし、彼女自身も俺の許しを得た時に「優君に依存しちゃってるかも」と赤い目で茶目っ気で笑っていた。
だが、実際は俺の方が依存していた。
そう気づいた時は全てが遅かった。
俺は彼女を見くびっていた。彼女の手の中で胡座をかき、優越感に浸っていた俺を、彼女は知っていたのだ。
今日は3月14日。俺たちの付き合いが始まった日だ。
永遠に離れられないようにと彼女から渡されたのは、アイビーが連なったブレスレットだった。
「私も同じの買ったの!優君とお揃い!」
俺の目の前で笑う彼女は天使の顔をした悪魔だったのかもしれない。
アイビーの花言葉は、死んでも離さない。
〈理想郷〉
楽になりたい。その一心でここに辿り着いた。
確かに楽になった。仕事も家事も人付き合いもしなくて良い所だ。それなのに、なぜかまた、楽になりたいと思ってしまう。なぜだ?これ以上の理想郷はないはずなのに。
人間の欲望は果てしないことに気づく人間はどのくらいいるだろうか。
〈懐かしく思うこと〉
「ご無沙汰してます」
「久しぶりですね」
大学合格の報告に私はとある高校に来ていた。
勘の良い人は気づくだろうが、ただの高校じゃない。
退学した高校に挨拶に来ていた。
目の前にいるのは元担任の佐山だ。
今は通信制に通っているので、制服がないためスーツで出向いた。服装はスーツじゃなくても良いとはネットには書いてあったが、先生は私の大学の入学式には来れない。だからこそ見せたくて、スーツを着た。着心地良く着れるほど日は経っていないため、パンプスも慣れていないが、先生の部下になった気分でとても嬉しかった。
同じスーツで、二人でこうやって喋るのは時間が必要だったと、今では思う。
この高校を辞めた当初は自分は逃げた、世間一般のルートから外れた者なんだと認識していた。それを恥に思い、自分で自分の首を絞めていた。
そんな私の行動を予想していたかのように、ある日突然電話がかかってきた。本人は間違い電話だと釈明していたが、私の本音を引き出そうと連絡したのではないかと今では思う。
いつも相談にも乗ってくれたが、私の気持ちは晴れなかった。むしろ気を遣わせているのではないかと不安が増すばかりだった。
体調も徐々に悪くなり、ベッドから起き上がれない日が続いた。それでも先生とのやり取りはやめなかった。唯一の延命措置のような、命綱のように感じた。
時には電話口で口論になることだってあった。
私が勝手に一方的な言いがかりをつけて、自分は駄目な人間だとヒステリックになった。しかし先生は私の電話番号を着信拒否設定にすることもなく、冷静に私を落ち着かせ、諭した。
ここに来るまで、本当に長く感じた。
たったの2年だったが、されど2年。
こうやって報告できることに、私は誇らしく感じてた。
そして、ここまで来ることを懐かしむように二人で話せることを嬉しく思う。
〈もう一つの物語〉
〈暗がりの中で〉
私は閉所恐怖症だ。特にエレベーターが怖い。どのエレベーターが怖いかと聞かれると、私は必ず上る時や下る時に照明が消えるエレベーターだと答える。
あの上っていると分からせる重力に加えて、暗闇で見えない状態になると、動悸がする。
最近のエレベーターはそんな仕様はない。少なくとも、今まで見たことはない。ただ、幼い頃、テーマパークへ遊びに行き、泊まるホテルのエレベーターがその仕様だったのだ。幼い私は「怖い」という感情を上手く伝えることができず、泣きながら過呼吸になった。それ以来、エレベーターを使う度に緊張するようになった。
「じゃあ、上村頼んだぞ」
上司からそう言われ、大手の芸能事務所へ足を運んだ。
私はぺこりと頭を下げ、会社の外で待っているタクシー運転手に行き先を伝え、流れる景色を窓から見ていた。
契約を結ぶというのは、子どもの頃の指切りげんまんのような軽いものでは決してないことに気づいた。そんなのは、当たり前だが、今まで順風満帆な生活を送ってきた私は、社会人として少し世の中を舐めていたのかもしれない。エレベーターを除いて。
「着きましたよ」
運転手の声ではっと気が付き、経費で払い、目の前にそびえ立つ事務所に圧倒された。今や世界を握る事務所との契約を任されたという自覚が、今になって引きずる。
事務所に入り、カウンターで受付を済ませ、待っていた担当者と挨拶を交わした。
40代、いや50代くらいだろうか。白髪交じりの高身長な男性は、年齢が娘でもおかしくない私でも物腰の柔らかい対応をしてくれた。
「では会議室は12階にあるので」
その一声で背筋が凍る。
大丈夫だ、今まで数々のエレベーターを乗ってきたが、照明が暗くなるエレベーターとはあったことがない。
大丈夫、大丈夫。
私は心の中で言い聞かせ、担当者と一緒にエレベーターに乗った。
案の定、暗くならない仕様のエレベーターだったようで、安心する。
これなら大丈夫だと私の脳も認識したようで、私から担当者に、最近勢いのあるアーティストについて話しかけた。お互い同じことを考えていたようで、意外にも盛り上がり、担当者と束の間の談笑を楽しんでいる中で、急にエレベーターが止まった。
照明が落ち、真っ暗になった。
「あっ、止まっちゃったかな?」
担当者は冷静にスマホを取り出し、ライトを付け、エレベーターの緊急事態ボタンを押した。
しかし、そんな冷静な担当者とは、反対に私は息苦しくなった。何とか耐えてたつもりだったが、私の乱れた吐息に気づいたのか、担当者が私の顔をのぞき込む。
「もしかして閉所恐怖症ですか?」
図星を突かれ、どうすることもできない私はこくこくと頷くことしかできなかった。
「大丈夫ですよ、私の妹も閉所恐怖症なんで。対処法は知ってるつもりです」
そう言い、ゆっくり呼吸するように促された。
この3ヶ月半、このプロジェクトのプレッシャーに押しつぶされそうになっていた。
だが、やると決めたからには必ず結果を残さなければならない。
学生気分でいたら恥ずかしい。と自分で喝を入れ、何度もリサーチやマーケティングに励んだ。
今日初めて会った人とは思えないが、担当者の柔らかい声に意識が遠のいていった。