「別れ際」
別れ際に置いていった、あの手紙。
私宛ての手紙。
許せない。死ぬ時は一緒に、と約束したのに。
アメリカの生活に慣れた頃、友人から誘われたパーティーと出会った彼女。
いかにも、アメリカンギャルな顔立ちとは裏腹に、彼女はアルコールに溺れていた。
フェンタニエルや大麻、コカインなど日本と違って簡単に手に入るアメリカ。
そう考えると、アルコールの方がマシだと彼女は言っていた。まるで、アルコール依存症の自分を肯定する言い訳のように言っていた。
依存症は、一度ハマれば一生、自分との闘いが始まる。寛解なんてもんはない。死ぬまでアルコールの誘惑につきまとわれる。
彼女は大学では真面目なギャルとしてのペルソナがあり、私と一緒に暮らす家に戻れば途端に、アルコール依存症患者へと変貌する。
それでも、何度も何度も彼女は変わろうとした。
「サヨ!サケ、ゼンブステテ」
カタコトな日本語でサケを全て捨てるように言った。何で自分でしないのかと聞くと、捨てる時に飲んでしまうからと言い、私は彼女の要望通りにアルコールが含まれるチョコまでも捨てた。きっと彼女のことだから、禁断症状が出て、アルコール入りのチョコを食べてしまうだろうと考えたからだ。たとえ微量のアルコールでも、チョコをつくる過程でアルコールが飛んでいても、全て捨てた。しかし、彼女は夜になるとスーパーでビールやワイン、ウイスキーなどを大量に買ってきてしまう。
私はアルコールを断てない彼女を何度も抱きしめた。
「ゴメンネ、ツギ、シナイ、ノマナイ」
泣きながら謝る彼女を見る度、ずきんと心が痛む。
自分にできることはない、無力だと現実を突きつけられる気がするのだ。現に、私は彼女のカウンセラーでも精神科医でもない。ただの恋人だ。普段はお互い、彼女は大学で勉強に励み、私は会社で働いていた。彼女が言うには大学に居る時と、私と居る時は、なんとか耐えられると言っていた。
ただ、ふとした瞬間に襲う全て投げ出してやりたい、全てどうでもいいと自暴自棄になる時に、今までの断酒記録を破りたくなるそうだ。
彼女は真面目でよく人のことを見ている。自分が楽しんでいるかより、人が楽しめているかと常に考えている。誰かが浮かない顔をしていたら声を掛けるし、人の小さな変化にもよく気がつく。
誰よりも真面目で、優しくて、そして繊細な性格。
それが仇となったのかもしれない。彼女が唯一、素の自分でいられる手段として大量の酒を選び、酔いを楽しみ、気絶するように眠る。
依存症は厄介だ。
そう本で読んだことがあるが、厄介という言葉が軽く聞こえてしまうほど、厄介だった。
彼女がいない部屋に、ぽつんと置かれた手紙。
丁寧とは言い難い日本語で綴られた彼女の半生。
知らなかった。こんなにも彼女は多くの事を抱えて、でも、私の前ではどこにでもいる可愛らしい少女の笑顔を見せていた。
知られたら、私が離れていくと思っていたそうだ。
そんなわけない。私達はそんな程度の愛で結ばれていない。
ただ、そう思っていたのは私だけだった。
めいわくをかけてごめん。
しあわせになってね。
あいしてる。
手紙の最後には、そう書かれてあった。
私はふらふらしながら冷蔵庫へ向かった。
飲みきれなかった彼女の最後の晩酌があった。
どれも見覚えのあるメーカーのロゴが缶に貼り付いていた。
あと数時間後にはこの家を燃やそうと思う。
良いだろう、最後くらい好きにしても。私が買った家だ。
私はこの家と彼女との思い出の別れ際、大量の酒を飲み干した。
千鳥足のまま、事前買ったガソリンを部屋中に撒き散らし、ライターを床に触れさせた。
あっという間に火が燃え広がり、その様子を彼女がよく飲んでいたワインをボトルごと飲みながら見ていた。
遠くからサイレンが聞こえる。
私は私との別れ際、最後の一滴の赤ワインを飲み干した。
「通り雨」
傘を忘れた。
それに気づいた時は、すでに遅かった。
つまらない講義を受講している時に、一気に雨が窓を叩きつけ、教授が「急に降ってきたな。窓側の人、窓閉めてもらえるか?」と呑気に言った。
ぞろぞろと窓際に座る生徒が、窓を閉め始め、俺も例外なく窓を閉めた。鍵も閉めた方が良いのかと疑問に思ったが、どうせ窓を閉めるくらいなら、鍵を閉めても同じことだと思い、がちゃっと閉めた。
この大学じゃなきゃ嫌だと思わせるような大学に出会ったことはない。進路なんて中学生の頃ははっきり言って、適当に決めても、まだ十五年しか生きてないから分からない、家から通えたほうが母親は安心するだろうと理由を付け、割と適当に選んだ。偏差値も中の上くらいで、模試の結果と照らし合わせ、無難に決め、無難に合格した。大体の生徒は人生初の受験で焦りや不安に恐怖を覚えていた。俺もそのうちの一人だった。初めてプレッシャーというものを感じた。自分のシックスナインが母親の良い高校に進学してほしいという期待を感知した。それでも何とか乗り越えた。ただ、ゆっくりしていられるのも束の間で、二年生に進級すると、途端に教師たちが受験を意識しだす。当たり前っちゃ、当たり前だ。自分の高校の進学先を毎年公開しなければならないから、少しでも偏差値の高い大学や有名企業に就職してもらわないと、ただでさえ少子化が進む日本でどうにかして生徒数を確保するためには必要なことだ。
クラスメイトの矛先が自分に向かないように、息を潜めるように学生生活を過ごした。程よく空気を読んで、周りに合わせて、成績も自分で言うのも恥ずかしいが、毎回絶対八〇点を下回ることはなかった。お陰で母親は喜び、担任は鼻を膨らませながら職員室で自慢していた。
塩顔の父親に似た顔だったからかもしれないが、そこそこ異性からも視線を浴びていた。ただ、大多数の視線を浴びることは嫌いだから生徒会長などには一切立候補すらしなかった。代わりに内申書に書けるように程よく地域のボランティア活動に参加していた。
いつだってまるでタスクをこなすように生きてきた。
勉強も、元々ギフテッドみたいな能力を持ち合わせていないということに人より早く気づいたから、その分自分なりの努力で補っていただけだ。勉強法や暗記法、参考書の選び方。膨大な量を誇るネットの世界で探し回り、違う記事でも別の記事と同じ事を書いている部分を読み取り、それを実践しただけだ。テスト期間の勉強の予定の組み方が分からなければ、またネットの世界で探し回って、自分がこなさなければいけない課題を逆算し、一番効率よく課題を提出でき、点数が取りやすい方法を編み出しただけだ。
たまに赤点を取り、嘆いているクラスメイトを見るが、あんなのは努力をしていないからだ。自分の努力が足りなかったから、自分に合う勉強法を実践しなかったから、ああなったんだと心の中で鼻で笑う自分がいた。自業自得じゃないかと思うくらいだ。
そんな学生生活を送る俺にも赤点を取るクラスメイトと同じように、進路を決める時期が迫ってくる。三者面談の数が明らかに増え、模試の数も増えた。担任のアドバイス通りに俺は二年生の頃に複数の大学のオープンキャンパスに足を運んでいた。正直毎回毎回大学までの電車を調べたり、暑い中足を運ぶのは面倒だった。さぼってやろう、と何度も思ったが、おそらく同じ行き先であろう人を見てしまうと、その人に負けた気がして渋々行っていた。しかし、悪いことばかりではない。オープンキャンパスに参加しているのは大体二年生が多かったが、意外にもぎりぎりになって来ましたという人もいて、大学生スタッフから、すごいねもう進路について考えてるの?と褒められた。行きたくはないし、せっかくの休日だから家でゴロゴロしたかったが、褒められて悪い気はしなかった。毎回って言っていいほど、褒められていた。勿論、何も考えずに来てるわけじゃない。毎回メモ帳には大学の特徴、卒業後の進路、模擬授業の感想など細かく書いていた。行くからには納得した所に行きたいし、高校と違って学費などの額が違うから中途半端な気持ちでは選びたくなかった。
ただ、猛烈にこの大学が良いという大学はなかった。
一人暮らしができる余裕もあったので、都内近郊の大学にも行ってみたが、何だか違う、もしくは前回よりはこっちの方が良いかもなとふんわりした感想しか出てこなかった。思い切って、九州に行こうかと考えたこともあった。東京生まれ東京育ちの俺からすれば、九州なんて海外のようなものだ。方言も独特でテレビで見たのをよく覚えている。ただそこまでする必要があるのかと踏みとどまった。別に魅力的な大学は都内近郊にも都内にもいくつかあるし、そこから選べばいいじゃないか。
仮に九州の大学に行くとして、家族にはなんて説明する?思い切って海外気分を味わいたい、自分を変えたいと口が裂けても言えない。そんなの、俺らしくない。
結局、担任との進路相談で今の偏差値と去年のオープンキャンパスの感想を吟味して、都内の大学を第一志望にした。名を言えば大抵の人は褒めてくれるような大学だ。三者面談の際、担任からそのことについて聞いた母は、平穏を装いつつ、帰り道にはやっぱりあなたは天才ね!って自慢げに語っていた。母は自分の息子が努力して有名大学の進学の道筋が見えていることに感動しているわけじゃない。ただ、有名大学の大学生になれる息子を育てた母親像に感動しているだけに見えた。これで義理の姉や義理の両親に自分の教育方針が正しかったと、客観的に認めてもらえるからだ。だが、実際義理の姉らは、そこまで俺の進路について興味はないし、母から所謂教育虐待を受けた記憶すらない。義理の姉ら、特に父方の親戚や両親は、みな有名大学や海外大学を卒業している人ばかりで、大手企業の役員だったり、海外で働く人が割合的には多い。俺の知る限りの親戚は大体そうだ。だが、高卒の母からすればそれは羨ましく、同時に妬ましい存在だっただろう。自分は片親で高校卒業後は進学の選択肢すらなかったのだから。当たり前のように大学に進学することは、どれだけ恵まれていることなのか。きっと、彼らは知らない。大学に進学するのが当たり前という環境で育ち、奨学金も借りたこともなく、今まで育ってきたのだから。母なりにコンプレックスがあるのだと思う。自分は大学に行きたくても行けなかった。もしくは、行くことが許されない環境だった。だから今の会社で死ぬほど努力をし、肩書きを常に求めていた。しかし、高卒と大卒の壁は厚く、これ以上は大卒以上の人間がなる役職だと打ちのめされたのだろう。昇進の話が打ち切られたのかもしれない。
幼い頃から「大学には絶対行ってね」と口ずっぱく言われていた。しかし幸い、教育虐待のような仕打ちを受けたことはなかった。自分の足りないところは補うのは当たり前だと考えていたから、苦手な国語や社会は、小学生の頃から意識していた。
分からないところは、教科書や参考書、youtubeで調べノートに書き写した。
満点のテストを見せる度、母は褒めてくれた。最初の頃は、褒められたくて頑張っていたのかもしれない。
しかし、段々とやらなければいけないからやる、高得点を取らなければいけないから勉強するというように、考えるようになった。
自分のやりたいことなんて考えたことすらなく、勉強ばかりしていた。周りのクラスメイトからは、何で勉強していないのにテストで高得点を取るのか不思議がられたこともあった。授業中は他の生徒と同じように板書し、休み時間は友人とふざけ合っていたからだと思う。テストで高得点取れるのはガリ勉だけと彼らは考えていたが、家に帰ったら、俺はガリ勉に変わっていた。ただ、彼らはその姿を見てないから、要領が良い生徒だと認識していた。
結果、第一志望の大学に合格し、今に至る。
我ながらつまらない人生だと思う。
やりたいことを思う存分にやる経験をしてこなかった俺は、世論も政治も何もかもが腐って見えた。
丁度、今降っている雨のように。
曇り空で雨を降らし、一時間もすれば晴れるだろう。
「通り雨だったね」と呑気に忘れられるような存在。
俺は多分、今後もそうやって生きていくのだと思う。
「秋」
秋は自分を卑下する。
夏のように堂々と振る舞うこともできず、冬のようにロマンチストでもなく、縮こまって小さな声で「秋です」と言うだけで、何も出来ずに冬がショーを独占する。
こんな癖の強い二人に挟まれたことは不憫でならない。
もし、私が秋だったらこんな癖の強い二人に挟まれたからこそ、自分を魅せてみせると躍起になることだろうが、秋はそんな発想には至らないようだ。
秋は自分に自信がない。コンプレックスだって、彼が話し始めたら軽く二時間は潰せるだろう。顔のパーツのここが嫌だとか、こういう性格を直したいだとか。酒を飲めばもっと出てくるだろう。そして終いには、自分なんて死ねば良いんだと地雷系女のようなことをグラス片手に叫びだす。キーキー叫ぶので、大抵この話題について話すときは、どちらかの家で飲むようにしている。他のお客さんがびっくりするだろうし、彼も赤の他人に嫌な思いをさせたくないという常識は持ち合わせているようだ。叫んでいるとは言っても、子猫が威嚇しているくらいなので、私からしてみれば可愛いものだ。
しかし、人は二面性があるという言葉がある通り、彼は時々人が変わったかのように暴走する。
自分なんてどうでもいい、誰も見てくれやしないなら好きにさせてもらうと言いたげな顔をして、あえてショーを欠席する。ただの欠席ではない。リハーサルも終えて、時間になっても現れない秋のことを不安に思ったスタッフが「秋さん、出番です」と彼の楽屋に迎えに行くが、そこはもぬけの殻になっていたこともしばしばある。つまり、究極のドタキャンだ。一番タチの悪いやり方だと私は思う。賢い彼はきっとどれだけの人に迷惑をかけるのか分かっているはずなのに。いや、賢い彼だからこそ、あえてドタキャンをするのだ。どれだけの人が迷惑だと思うのか、困るのか、その基準で彼は暴走するのか決めると思う。そして、迷惑をかける人の規模が大きいければ大きいほど、彼はあえてドタキャンをする。一歩間違えたら、契約だって切られるのに、なぜか有名ブランドやスポンサーは彼を切らない。
風の噂では秋が仕事があるのは、企業の上層部と接待をしているからだと聞いたことがある。それも濃密な。
まぁ、妬みや嫉みが入り交じったものだろう。私は真剣に取り合わなかった。
自分は努力しているのに、なぜドタキャンする彼には仕事があるのかと恨まれても仕方がない。
現にそうなのだから。
私は元々、秋が今座っている席に座っていた元モデル。
嵐のように訪れた彼に呆気なく席を取られ、今では彼のお世話係に任命されている。
「無理をしていないか」と同僚や私の教育係から何度か心配されたが、私は大丈夫だという旨を毎回伝えていた。
勿論、最初はなんであんな奴に奪われたんだ、すぐに取り返してやると燃えていたが、彼のショーを見ればすぐに分かる。
あぁ、これが天から与えられた者なんだと。
惹きつけられる眼力。どんなコーディネートも着こなせるモデルとして最高の肉体。訓練されたモデルウォーク。何もかもが完璧だった。
圧巻だった。
それから自分は凡人で、かつて自分が座っていた席も結局は前は誰かが座っていて、自分が蹴り落として出来た席なんだと。自分が蹴り落とすのは何とも思わなく、むしろ爽快感すらあったのに、自分がいざ蹴り落とされる側になると被害者面をするのは、厚かましいにも程があると悟るまでに至った。
今では満足してるくらいだ。
モデルとして使い物にならなくても、仕事を与えてくれる事務所に感謝している。
不満などない。そう思っていた。
いつも通りの朝だった。
彼を迎えに行く為、車を走らせ、家に向かった。
昨日の夜に迎えの時間を一時間早めるとメッセージを送ったが、既読すらつかなかった。
いつものことだ。どうせ通知バナーから確認しているだろう。そう思っていた。
目的地に着き、インターホンを鳴らす。
高級住宅街にそびえ立つ一つのマンションは、他の家より際立っていた。世界的デザイナーが手掛けたマンションだからかもしれない。家賃も笑えないくらいの値段だろう。過去の自分でさえも払えない額だと思う。そんな自嘲をぐるぐると頭の中で考えていると、うっすらと声が聞こえた。
「田山?」
少し掠れた彼の声が聞こえ、「迎えに来ました」と伝えると、「一時間、間違えてない?今日は一〇時迎えでしょ?」と秋が言った。
あぁ、そっちのパターンか。
てっきり、通知バナーで確認してるから既読がつかなかったと思っていたが、本当に連絡を見てないパターンだった。
「昨日の夜に迎えは一時間早めると連絡しましたよ」と私はモニターを見つめながら言った。彼は「田山、悪いけど一〇分だけで良いからそこで待っててくれない?急いで準備するから」と彼にしては珍しく謝罪をした。私は彼が謝罪したことに気を取られ、つい、了承してしまった。最後に彼のありがとうという声と共に聞き覚えのある声がモニターから聞こえたのは気の所為にした。
一〇分が経った。
私は悩んでいた。
一〇分前の最後の声についてだ。勿論、彼が時間になってもロビーに現れないのもそうだが、彼のありがとうという言葉に被さったあの声について頭を抱えていた。聞き覚えのある声で、どちらかというと男性のような声がした。私の腕時計は九時十五分を指していた。職業柄もあるが、私は割と時間に厳しい性格だ。仕事でもプライベートでも。その性格のせいで何人もの恋人に振られたか。まぁ、そんなことはどうでも良い。私はとりあえず時間になってもロビーに現れないからという理由で、彼の住む部屋に向かった。本来であれば、マンションの入口にあるモニターで呼び、鍵を開けてもらうのが通常のシステムだが、何かあった時の為にと、社長から合鍵を持たされているので、それを使えば開けられる。私はエレベーターへ向かった。
彼の部屋のインターフォンを鳴らす。しかし、出て来ない。約束の時間より十五分も遅れてんだぞ、スタッフが現場で待っているのにと私は少々苛つきを覚えた。
ここ最近は彼は、真面目に仕事をしていたせいか、久しぶりの遅刻に動揺してるのかもしれない。
何かあってからは遅いと言い訳をし、私は無断で合鍵を鍵口に差し込んだ。
「秋さん、時間ですよ」
私はなるべく穏やかに言った。
「秋さん、入りますよ」
いくらお世話係と言えど、他人の家に入るのだ。念の為、靴を脱ぎながら言う。
リビングには大量のビール缶や飲みかけのワインが残されていた。やけ酒でもしたのだろうか、それとも単なるストレス発散か。
とりあえず彼を探すか。そう思ったが、部屋の数が多く、何度も寝室だと思った部屋が空き部屋だったり、洗面所だったり、とにかく金持ちの威厳を見せつけられた。
残り一つの部屋だ。
おそらく彼はここにいる。
ノックをして、入った。
しかし、私は後悔した。
ベッドで女のように喘いでいる彼がいた。そして、彼を女にさせていたのは、社長だった。
呆然とした。
あの噂は本当だったのか?
社長の女だから、いくらドタキャンしてもスポンサーが離れなかったのか?
いくつも聞きたいことがあったが、行為中の彼らは、自分の存在にすら気づかなかった。
社長と目があった。
社長はにやりと笑い、彼に言った。
「ほら、君がいつまでもこうしてるからお世話係が来たじゃないか」
そうして自分の女だと見せつけるように、正常位から体位を変え、社長の肉棒と彼の穴が行き来きする様子を何度も見えるように体位を変えた。所謂、背面座位だ。
虚ろな目で涎を垂らしながら彼は私を見て喘いでいた。
しばらくすると彼は私の存在に気づき、今どれだけ羞恥な姿を見せているのか分かったそうで、はっとした表情を見せ、社長に止めるように懇願した。
しかし社長は、それすらも、冗談だ、嫌も嫌も好きのうちと解釈し、行為を続けた。
私は納得した。
なぜ彼の合鍵を渡された時、社長の手から受け取ったのか。社長は日常的に彼の家に訪問していたから合鍵を持っていたし、無くしたら困るからと余分に作ったのか、他の企業の上層部に彼との行為を見せつけるため多めに作っていたのか。どちらが本当なのか分からないが、少なくとも、社長が個人のモデルの部屋の鍵を持っている事実は不自然極まりない。
私は彼を社長から、離し、自分のジャケットを被せた。
気づいた時には、裸の社長に怒鳴りつけ、社長も裸のまま私を怒鳴りつけた。
「秋も君もクビだ!!」
社長はそう捨て台詞を吐き、慌てて下着やらスーツを着て、出て行った。
きっと、私の、このことを芸能倫理会に報告するといった言葉が効いたのだろう。芸能倫理会とは、圧倒的に立場が下になりやすいタレントや俳優らを芸能事務所社長やスポンサーから守る為に作られた組織だ。近年になり、枕営業や違法な契約書、給料の未払いなどが浮き彫りになり、国会議事堂で成立された。
今後のことは分からない。報告するとは言ったが、秋の意思を最優先にする為、彼の意向をまず聞かなければならない。
他にも聞きたいことが山ほどあるが、部屋の隅っこで私のジャケットを抱きしめながら泣きじゃくる少年を安心させることが最初にやるべき事だろう。
薄々気づいてはいた。
彼がドタキャンする兆候が決まっていて、それはエゴサの時間が普段よりも長い時にドタキャンする。おそらく、酷く罵られた文字が目に映っていた。
そして何もかもが嫌になり、ドタキャンをする。
しかしそれだと自分の仕事がなくなる。不器用な彼はそれを逆手に取られ、社長の言いなりになった。
「秋さん、大丈夫ですよ。私は何もしません」
胸の中で泣きじゃくる少年を私は泣き止むまで抱きしめた。