[楽園]
昔から、暗くて閉鎖的な場所が好きだった。
机の下とか、布団をすっぽり被ったときにできる空間とか、少し小さな物置とか。
中でも一番のお気に入りは、祖父母の家にある押し入れだ。
木の香りがする優しい場所で、中に入れば少し歪んでるせいで閉め切っていても僅かに光が漏れる。
祖父母はよくその押し入れの中に美味しい菓子を置いてくれて、それを一人で食べるのが小さい頃の楽しみでもあった。
「これで、全部?」
横に積まれた荷物は、想像よりも少ない。
幼い頃は未知が詰まった広大な世界に見えたというのに、時の流れとはつくづく恐ろしいものだ。
今暮らすにはすっかり窮屈になってしまった楽園が、なんだかとても寂しく見えた。
アダムとイブのように追放された訳では無いけれど、二度と戻ってくることもできない。
主も住人も居ない廃れた楽園は、消えるだけ。
[刹那]
"私、引っ越すんだ"
そう言って彼女が遠い異郷の地に旅立っていったのは、もう何年前になるのだろうか。
当時別れが辛くて顔をくしゃくしゃにしたまま泣いていた幼子はもう、高校を卒業するような年になってしまった。
正直、彼女との記憶はほとんど覚えてない。
彼女の名前も顔も声も全て、ずいぶん前にすっかり忘れてしまった。
彼女もきっと、忘れているだろう。
それでも何故か、桜が春を告げる頃。
ぼんやりとした思い出の世界に、彼女は現れる。
もう切り倒されてしまった大きな桜の木の下で、柔らかく微笑んでいる彼女が。
そんな忘れることのできない刹那を抱きしめて、春を生きている。
[生きる意味]
軽快な音と共に、画面上部に現れた一つの通知。
あ、もうそんな時間か。
濡れた髪を適当に縛り上げ、布団が少し湿るのも構わずに身を任せる。
お気に入りのクッションを引き寄せて、良い感じに体の位置を整えれば準備万端。
片手で通知を押せば、すぐに画面が切り替わる。
『やっほ〜みんな〜、元気〜?』
途端に耳に飛び込む柔らかい声。
にこりと微笑むその顔につられて、自然と笑顔になる。
日付が変わる一歩手前。
それが、貴方に会える時間。