ハッピーエンド
きっと誰もが望むもの。
自分以外の人やものに対しても望むもの。
上手くいかなくて諦めざるを得ないことも
もっとこれから楽しくなっていくだろうという時に志半ばで突然終わってしまうことだってある。
一度紡がれた展開は変えることができない。
けれど、物語には何かしらの事件が不可欠だ。
平坦で何も起こらない物語ほどつまらないものはない。
何も起こらない人というのはいないだろう。
暗い展開のその先で思ってもみなかったような大切なものを得ることができるかもしれない。
そう信じる権利は誰もが持っている。
辛いことがあった後すぐに立ち直るのは難しい。
泣きたくなくなるまで泣いていていいのだと思う。
けれどせめてその先は、どうか明るいハッピーエンドでありますようにと願っていたい。
見つめられると
嬉しい。
私は数年前から金魚を飼っている。
2年前の春に産卵した雌はその年の冬に体調を崩して亡くなってしまったけれど、雄は今ものんびり暮らしている。
小さな頃から仲が良かった雌がいなくなってしばらくはあまり動かず寂しそうにしていたので、元気になってきて良かった。
水槽は玄関にあって、餌が欲しくなるとこちらを見ながら水面に口を出してぱくぱくすることでアピールしてくる。
最近その応用で水面で音を出す技術を身につけた。
よく出勤前の父親にねだって餌をもらっている。
金魚はいつでも餌を欲しがっているように思えるかもしれないけれど、意外とそうでもない。
空腹ではなくてもこちらを見てヒレを振ってかまってくれる時もあれば、
指をちらちらさせても素っ気なくふいっとそっぽを向かれてしまう時もある。
金魚にも気分があるので常にかまって欲しいとは思わないけれど雌はもう少しかまってくれた記憶があるので、この子は少しドライなのかもしれない。
そしてその雄の他に亡くなった雌との子どもが1匹いる。
兄弟はもっとたくさんいたけれど、病気などでその子だけになってしまった。
その子は父親よりもツンデレで、滅多にこちらを見ない。
餌を与えても、暫く経ってから野生の生き物のような素早い動きで水面に上がってきてぱくっとするとまたすぐに下に潜るを繰り返す。
なのでその分、数ヶ月振りにこちらを見て、寄ってきてくれた時には言葉にできないほどの感動と喜びを感じることができる。
和金は10年以上生きるので、できるだけ長生きしてもらえるように大事に育てようと思う。
ないものねだり
小さい頃、私の家の近くにはスーパーがあった。
歩いて5分もない場所で、入口にあるガチャガチャがやりたくて母親によくねだっていた。
レジではパートのおばちゃんがいちごみるく味の飴をくれるのがいつも楽しみだった。
大きくなったら一人で買い物に行きたいと思っていたのに、小学校にあがる前に無くなってしまった。
そのスーパーの次に近い場所にあったコンビニも
数年前に無くなってしまい、今では家から一番近いコンビニまで歩いて20分かかる。
唯一、家の向かいにある3台の自動販売機も
今月で撤去されてしまうらしい。
ふってふってゼリーをたまに買って飲むのが好きだった。
今日見ると1台だけ残されていたので、なんとなく
最後にグリーンダカラちゃんを1本買った。
ないものねだりをするならば、
せめて自販機は家の近くに1台欲しい。
泣かないよ
その日になるまでは
夜中に起きて忍び泣くこともなくなって
もうこんなに時間が経ってしまったのだと実感する
毎日読んでいた大好きな物語すら読めなくなっていたけれど、また楽しめるようになってきた
ずっと胸の中にあった暗くて重い何かが薄れていく
その度、自分は薄情なのかもしれないと思う
辛い気持ちが薄れるのは、受け入れているだけでなく、忘れているからなのではないかと
けれど、そうしなければ生きていけない気がした
それに、薄れていると思っていてもどこかに収納されていて掘り返したらまた出てくるのかもしれない
だから今は、今あるものを大切にして
その日までは仕舞っておきたい
その日にたくさん想えるように
星が溢れる
夜空に浮かぶ星達の中で私の目に映るのは
ほとんどが名前を持つ者達かもしれない。
今見ている星にも名前があるのだと思うと
何だか敬意を表して名前を呼びたくなる。
その名前をつけた人はどんな気持ちだったのだろう
どんな意味をその名前に込めたのだろう
名前を知っている星は少ないけれど
探してみたら運命を感じる名前があるかもしれない。