とおる人魚は海の底で、陸に上がってしまった彼女の事を思い出していました。
よく笑う子でした。人間の捨てたゴミを誤って食べてしまった魚たちを助け、海藻のかくれんぼではいつも真っ先に見つけ出してくれました。
そんなあの子は何処ぞの人間に誑かされて、遠くに行ってしまった。
何も言わないまま。
どうして。
彼女の輝く鱗が懐かしく思える程、遠くだった。
とある人魚は自嘲気味に笑いながら海の魔女の下へ向かう。どうやら魔女は、代償を払う代わりにこの美しい尾鰭を醜い人間の足に変えてくれるらしい。
何でも良かった。たとえ声が出せなくても泡になっても後悔はない。彼女を見つけ出せるなら、それだけで十分有り難かった。
ねぇ、何処に居るのかな。
はやく、そこは暗いよ。
みにくいものしかない、汚い世界。
わたしとかえろう。
あのころの、きれいなままの海の底に。
君に会いたい
そう思って電話をかけた時のあなたの声色がとても眠そうだったから、寝起き?と言ったらうんと返ってきた。
寝起きなら申し訳ないな。少しだけ遠慮して
「声が聞きたかっただけ」
と言ったら、あなたはまだ眠気がとれていない様子で笑って、
「なら寝落ちするまで通話してよっか」
と言った。
そういうところが好きなんだなぁ、なんて、明日君に伝えたらなんて言うかな。そんな想像をするだけで私は何だか幸せな気分になって、「うん」と答えた。
いつからか、ペンを持つ事すら億劫になっていった。
最初はただ面倒だと思っただけ。次の日は書く事が無かった。その次の日も書く事が無かった。
その次もその次もその次もその次もその次もその次も、何も無かった。書き留めるべき大切なことも、取り止めのない下らない話も、なかったのです。
だから書くのをやめた。日々を送るのが億劫だった。
インクがなくなった。買うのが面倒だった。
ペンが折れた。書かないから買う気も起きなかった。
ページが破れた。どうせ燃やそうと思っていた。
日記をなくした。もうどうでも良かった。
毎日生きる事は雪崩のようで忙しなくて、振り返る暇なんてありはしない。振り返ってもどうせ良いことなんてなかった。人に迷惑ばかりかけていた。嫌な顔をされるのが怖くて何も言えなかった。
日記を書けていた日々から動けない自分が嫌い。
なくしたと思っていた日記は、ずっと手元にあったのに。
#閉ざされた日記
『今年一年を振り返ってみてどのように感じましたか』
そんな課題が大概冬休みに配られたりするのだけれど、意外とそれを書くのは難しい。だって書く事なんて行事のことくらいしかないし。
でも確かに行事楽しかったな、修学旅行とか。
ビンゴで友達と同時にリーチした時とかなんかめっちゃ笑っちゃったし、四人で遊園地回ってたら雨降ってきたけど屋根の下で友達と話すのは楽しかった。夜中は恋バナっていうかクラスの推しの話して盛り上がって、消灯時間後にゲームしてたら先生にバレて怒られて。でも笑えてきて。
体育祭、文化祭、定期テストと実力テストが重なった週。色んな印象のある出来事が思い浮かんで口角が上がる。
除夜の鐘が鳴る。年始の花火が打ち上がる。
あーあ、年越しちゃうのかぁ。
空虚とか寂寥とかそんな言葉で表される感情に、今現在絶賛陥っている最中である。
飲み会が終わって皆が散り散りに帰って行った後、俺は一人近くの公園で水を買って飲んでいた。先程まで騒がしかったから余計に寂しさが増す。
夜はまだ長い。これからどんどん長くなる。一人が増える。それが酷く恐ろしく、だがいっそ諦観している自分もいた。それもまた怖い。
空を見上げたら星が瞬いていた。ここら辺は街灯が少ないから良く見えるのだろう。確かあの、砂時計みたいな形の星座。何だったっけ。冬に見える星座だ。どうでも良い事なのに気になってスマホで調べる。
「あぁそう、オリオン座」
ぽつんと呟いた言葉は闇に溶けていく。子供の頃、塾の帰りに友達と探した記憶がある。懐かしい。そう思うと胸の中にすとんと嵌る何かがあった。何かは知らない。
でも、いつのまにか自分は寂しさを我慢できる子供になっていたんだなぁ、なんてぼんやり思った。
#寂しさ