「心の健康」
誰かが言ってたなぁ…疲れは後から来る。
ああ~そうかぁ~と思った。
だからこう、こまめにぐったりしてしまうわけね…。夏バテもあるよね……。
しかたない…休息しよう。出来たら頭空っぽにして。(出来たことはない😹)
好きなことする元氣もない時は、3ページだけ本読んだりする。
ぼーっとしている時間が、息を吹き返させる。
すべての人々がゆっくり、ゆったり休めたらいい。
とりあえず最初のひとり(私)を休ませてあげよう。
ありがとうね、いろいろ。って言いながら…
ゴミ捨て、ちょっとお片付け、いろいろちょこちょこ、ありがとう。
夕方、ちょっと涼しくなって、灯りもつけずにゴロンと横になって、遠くを行くバスや飛行機の音を聞いている。
静かな休息時間です。
そろそろ起き上がって、冷たくしたわらび餅でも食べようかな。
あぁ、アイスがもうない…。…😺。
「君の奏でる音楽」
窓の外に佇んで聴いてる、ピアノの音。
水の流れを思わせる…雨の響きを思わせるそれを、
恩寵のように大切に聴いている。
君の奏でる音楽は、私には痛くて…ひとりの時じゃないと聴けない。……泣いてしまうから。
こんなに心の奥深くに切り込んでくる音を、私も出せたらいいのに…。
悲しいし悔しいけれど、君の音楽を知らないで生きるよりはいい。
こんなに痛い幸せをもたらしてくれる神さまに、苦し紛れに感謝している。今日も密かに。
君の音楽を聴いてから私は、苦しみと優しさと、よろこびと悲しみを、ふたつに切り離せなくなった。
幸せに宿る悲しみ、悲しみに宿る幸せ。
複雑でシンプルな(だってふたつがひとつになるんなら、その分シンプルじゃない?そして混ざってしまうなら、やはり複雑。)悲しみに満ちて、まるきり恋をするように君の音を聴く。
窓の外、たったひとり、世界中の誰にも氣づかれない、日だまりの死角に……今日の日も私は、君の音楽を聴く。
「麦わら帽子」👒
幼稚園のとき持ってた麦わら帽子が、大好きだった。
一生かぶるんだって思ってた。( ー`дー´)キリッ。
当然、しばらくしたらかぶれなくなった。(;_;)。
でも、質感を覚えてる。
麦わらのざらざら、リボンのさらさら…
くるんとしたフォルム。後づけのアップリケ…
あれ、また欲しいなぁ~
かぶれなくても大事にするんだけど。
「神さま、私の麦わら帽子、どこ行っちゃたんだろう?」
…とある映画の一場面のように、呟くのだった。
…そして何だか主題歌まで、歌い出すのであった🎶
✾映画では神さまじゃなくて、母さんですが🐾
「終点」
ここが終点。帰る所。
私が、終点。私自身が終点。
それは場所じゃない。
私のいる場所じゃなく、私がいる場所ならどこでも終点になる。
帰る家はここ。
ほかのどこでもない、ここだけ。
「上手くいかなくたっていい」とは思わないんだけど…
っていうか、そこいらへんは神さまのエリアだからなぁ~。
ジタバタしたって無駄。疲れるだけ。お腹空くだけ😹
「人事を尽くして天命を待つ」それ以外のことが出来るんならいいんだけど、まぁ、サッパリそんな方法も思いつきませんし、
人事を尽くした後に、「まぁ、何とかなるでしょ〜🐱」って、天命待つのも忘れちゃう勢いで、
「やるだけやったからまぁ、いいか〜」
って、別のことに取り組んだりするだけですね〜。
脱力しつつ脱力しすぎず、
「何とかなるなる♫」って鼻歌を、ときに冷や汗かきながらも歌ってみるわけですけど、もしかしたら…
その根拠ない鼻歌こそが、欲しかった宝物だったんじゃないかなー…。
どんなときもそんなふうに鼻歌歌って、
どんなことがあっても「何とかなる♫」って思っていられるって、最高!な事なんじゃなかろうか?
最高は、最高しか引き連れてこない、って誰か言ってた氣もするし。
最初はやせ我慢でもいいから、そっちの方へ歩いて行ってみようかな〜♬って思ってます🐈️