「君の奏でる音楽」
窓の外に佇んで聴いてる、ピアノの音。
水の流れを思わせる…雨の響きを思わせるそれを、
恩寵のように大切に聴いている。
君の奏でる音楽は、私には痛くて…ひとりの時じゃないと聴けない。……泣いてしまうから。
こんなに心の奥深くに切り込んでくる音を、私も出せたらいいのに…。
悲しいし悔しいけれど、君の音楽を知らないで生きるよりはいい。
こんなに痛い幸せをもたらしてくれる神さまに、苦し紛れに感謝している。今日も密かに。
君の音楽を聴いてから私は、苦しみと優しさと、よろこびと悲しみを、ふたつに切り離せなくなった。
幸せに宿る悲しみ、悲しみに宿る幸せ。
複雑でシンプルな(だってふたつがひとつになるんなら、その分シンプルじゃない?そして混ざってしまうなら、やはり複雑。)悲しみに満ちて、まるきり恋をするように君の音を聴く。
窓の外、たったひとり、世界中の誰にも氣づかれない、日だまりの死角に……今日の日も私は、君の音楽を聴く。
「麦わら帽子」👒
幼稚園のとき持ってた麦わら帽子が、大好きだった。
一生かぶるんだって思ってた。( ー`дー´)キリッ。
当然、しばらくしたらかぶれなくなった。(;_;)。
でも、質感を覚えてる。
麦わらのざらざら、リボンのさらさら…
くるんとしたフォルム。後づけのアップリケ…
あれ、また欲しいなぁ~
かぶれなくても大事にするんだけど。
「神さま、私の麦わら帽子、どこ行っちゃたんだろう?」
…とある映画の一場面のように、呟くのだった。
…そして何だか主題歌まで、歌い出すのであった🎶
✾映画では神さまじゃなくて、母さんですが🐾
「終点」
ここが終点。帰る所。
私が、終点。私自身が終点。
それは場所じゃない。
私のいる場所じゃなく、私がいる場所ならどこでも終点になる。
帰る家はここ。
ほかのどこでもない、ここだけ。
「上手くいかなくたっていい」とは思わないんだけど…
っていうか、そこいらへんは神さまのエリアだからなぁ~。
ジタバタしたって無駄。疲れるだけ。お腹空くだけ😹
「人事を尽くして天命を待つ」それ以外のことが出来るんならいいんだけど、まぁ、サッパリそんな方法も思いつきませんし、
人事を尽くした後に、「まぁ、何とかなるでしょ〜🐱」って、天命待つのも忘れちゃう勢いで、
「やるだけやったからまぁ、いいか〜」
って、別のことに取り組んだりするだけですね〜。
脱力しつつ脱力しすぎず、
「何とかなるなる♫」って鼻歌を、ときに冷や汗かきながらも歌ってみるわけですけど、もしかしたら…
その根拠ない鼻歌こそが、欲しかった宝物だったんじゃないかなー…。
どんなときもそんなふうに鼻歌歌って、
どんなことがあっても「何とかなる♫」って思っていられるって、最高!な事なんじゃなかろうか?
最高は、最高しか引き連れてこない、って誰か言ってた氣もするし。
最初はやせ我慢でもいいから、そっちの方へ歩いて行ってみようかな〜♬って思ってます🐈️
「蝶よ花よ」
たいやきよチョコレートよ。駄目だ、お腹空いてる。
蝶々にはすごく世界が綺麗に見えるらしいって、昔、何かで読んだような記憶がある。(うろ覚え)
そんな視覚があったら、良いなあ。
自分の今の視覚もキープして自由に切り換えられたら、もっと良い。
片方だけだと有難みがなくなっちゃうし…今の自分の見方も悪くないしね。
蝶々の視覚は光あふれる風景、なのかな〜
オーラが見える✨って感じかな? キラキラ〜✨️
花は、今だって綺麗なのにもっと綺麗に見えるのかな?
蝶自身、あんなに綺麗だから水に映った自分なんか見たら感動するのかな?でも案外、平常心かな。
蝶々には普通のことだから、ね。だけど、
この宇宙の生き物として、最高に美しい世界を見る担当者が、蝶々一族なのかも。
花も寄り添っているしね〜💐🦋