「楽園」
(こんなこと、叶ったら嬉しいなぁ…と遠くを見つめるのも、いいね。
そしてそれをすぐ、忘れてしまうのもいいね。)
「フランケンシュタイン」の怪物は、人間の愛情を求めても決して得られなかった。
あきらめなければならなくて、どんなに悲しかっただろう、と思う。
だけど物語の外側で、たくさんの人間が、
彼の悲しみに触れて…ああ、君の悲しみはまるで私の悲しみのようだと、その心を寄りそわせていったのだ。
君の預かり知らぬ遠い場所で、君の夢が確かに叶う。
君の望んだかたちじゃないけれど、
君が思ったよりも、ずっと深く叶う…
…こんなふうにして、時間も世界も超えて、叶う夢もあるのかもしれない。
誰かの悲しみが届き、誰かの幸福が芽吹く。
もしかしたら、もう、叶っているかもしれないと、思ってみるのもおもしろいかもしれない。
心を粒子みたいに彷徨わせて、固定された夢から抜け出して、小さく、小さく、叶えてゆくんだ…
言ってみれば楽園って、持ち運び可能で、
そう…だから…君の言葉や歌ですらなく、君そのものなんだと思うから…
…君という楽園の見る夢なら、
どんなに不思議な、微細で切なく、切実な叶い方をするんだろうね……?
君が、その夢が本当は叶っていたって知ったら、何て言うかはわからないけれど、(だって、誰だってわかりやすく報われたいものね…。)
誰かの孤独を雪ぐことが出来たってことは、知ってほしいなと思う。
「風に乗って」
風に乗って、
追い風に背中おされて、
向かい風に顔をしかめて、そして笑っちゃって…
君を振り返っておんなじ風に…
この、めちゃくちゃな風に吹かれて…
風に乗って…
どこまでも一緒に…
デタラメな歌歌って…ああ楽しいねって笑いあえたら、それだけでもう…
生まれて来たもとはとったぜって、
冗談みたいにだけど、
…心の底から思うよ。
「刹那」
この刹那、を、ほんとうに、感じとれるか?
この刹那がこの刹那でしかなく、次の刹那なんか存在しないんだってことを……わかっているか?
この刹那しか存在しないのに、この刹那を蔑ろにする私には、何もない…
昨日と明日という暴力的な概念、でしかないものに
いちばん大事な、「刹那」を掠め取られ怒りもせず、薄笑いしかもらせない。
刹那なくして、生きていかれぬこの生の、
刹那を狙い定めて殺す、愚かな仕組みの上で、
刹那を手にする方法を、刹那を犠牲にして「考える」
刹那が私と、君の胸に在れば、
それが私たちの胸を満たしてゆけば、それでいいのに、それ以上を求める心が、
何もかもズタズタにする。
もうここにあるものを、探すのは止めるんだ…
探すのは止めて、それを生きるんだ。
どうやって…?
語って。踊って。間違えて。後悔して。キリキリ舞いして。ほほえんで。気付いて。ただ気付き続けて。
今と何が違う?
違わないかもしれない…けれど、きっとわかっているだけでいいと思うんだ。
この「刹那」が、宝物だということが。
生きる意味
人によって違うとしか言えないけど、重たいものは背負えないし、背負わせたくもないな。
しあわせであってよ、それが私への義務だよと、ある人々には言うが、
それもあなた達が決めることで私には触れられない。
その人の生きる意味が、その人の今を物語り次へ導いて行くだろう。
私に出来ることはそれを邪魔しないことだね。
でも、助けが必要なら呼んでね?
…私も呼ぶからさ。
「善悪」
善悪の彼岸。宙ぶらりん全肯定(*‘ω‘ *)
私には良い言葉。
甘やかしてくれてるじゃん…と受け取るゾ。
敵ではない。味方ではない。
敵としてじゃなく、味方としてでもなく、
ひとである。
ひとでなしって、人を自分の視線に巻き込むことで作られてしまうのかもなー。
ひとはその人。私の味方や敵というパーツではない。
私もパーツじゃない。