忘れたくても忘れられない
元彼は、親に喜んで紹介するようなタイプの男ではなかった。どこか、サブカルチャーの匂いとアンダーグラウンドさがあった。いわゆる資本社会の、メインストリートを歩んでいない雰囲気を醸し出しながら、人並み以上の知識と教養の深さが余計に魅力を引き立てていた。そして作家志望ということで、いつも創作活動を嬉々としていた。かなり良い言い方をすれば、リリーフランキーから才能を幾分か抜いて、それっぽいリリーフランキーを作り出したような人だった。私はかなり彼に惚れていた。かなり。だって、リリーフランキーを例えに出してる時点であまりにもいい男だと言っているようなものだ。
当時の私としては、とにかくせっかちで自己中心的な女であった。金に対して興味関心が高く、せこせことどうでもいいことを忙しく予定を立てていた。そして色々と残念な女でもあった。例えば、デート中の食事で食べたいものの意見が割れれば、「じゃあ、それぞれ各自好きなもの食べて、30分後集合ね」で解決するじゃん、といつも考えていた。そこまではっきりと言うことはなかったものの、実際元彼とのデートで食事の意見が割れたとき「じゃあ各自で…」と言いかけたところで、今まで見たことがない形相で驚かれたので、二度とそのようなことを言うのはやめた。
私が彼のどこを好きだったのか、当時は誰に聞かれても答えられなかった。その場の答えとしては、「いやー、あのタレ目の顔にやられたわぁ」と言っていた。正直なところ、金も払わなければ社会性のかけらもない部分に腹が立っていたし喧嘩もそれなりにしていた。だが、私は彼と同じような人はもう現れないだろうなと今でも思うのである。彼にとって私のような女はいくらでもいるし、彼以上の「いい彼氏」になってくれる人はたくさんいると思うけど。
別れて数年経った今更、彼の魅力に気付かされるばかりである。冒頭もその一部である。
また、教えてもらったこともたくさんあった。
SF映画でしか言わなそうなセリフだが、彼は情緒的な楽しみや、無駄なことの大切さを教えてくれた。また、女性として生まれてきたことの喜びも気づかせてくれたなと思う。本心であるが、かなりセリフ感が強く書いていてあまりにも恥ずかしい限りである。
正直、かなり悔しい。別れてから元恋人のことを振り返ったことも後悔したこともなかったが、人生で初めてこんなに執着を重ねている。情けない女だと自覚しながら、なかなかに空虚なのである。
5.6年付き合った中で思い出はたくさんある。
もちろん、彼自身の魅力はある。
けど、なんとなくいつも彼と別れたことを後悔するのは、B'zのイチブトゼンブを聞いたときなのだ。なぜここでB'zなのか。いや、B'zは最高なんだけど。ラブファントムのイントロで収まるぐらいの長さで説明すると、下記の通りである。
私が小言を言って小さな喧嘩が続いていた時、いきなりLINEでB'zのイチブトゼンブの冒頭の歌詞を送ってきた。「俺の気持ち」とだけ添えてあり、その時の私はブチギレていたが、爆笑した記憶がある。
確かに私は、彼の全てを知りたがって、それでいて私の全てを知って欲しがった。
どうして恋愛の文章って少し書くだけでこんなにポエミー感が強くなるのか。
正直、この思い出が強烈でそれだけで別れたくなかった。こんなこと?って感じだけど、案外離れたくない理由ってそんなもんかもね。
世界一かっこいいと思ってたけど、
まぁ今冷静に思い返してみれば、NHKの深夜番組で見たトビハゼみたいな顔している。23時55分に放送してたやつ。いやでも、私はその番組のトビハゼが結構すきだった。映画の話とかするし。
私がかつて愛したトビハゼは、あるところにいつもブログを書いていた。
未練がましいわたしは一読者としてたまに読んでいる。
一向に更新がないのは、今いる生活に満足しているからなんだろうか。
心のコップから溢れ出すような気持ちに収拾がついたのだろうか。文章を書かずとも生きていけるようになったんだろうか。人を満たし、人から満たされたのだろうか。
一方、私は抱えきれない思いを毎日文にしている。
SNSや誰も見ないノートに不安で仕方がない気持ちを書き殴っている。いろんな感情が溢れて仕方ないのに、心は常に枯渇している。
私はまだ、ヤドカリのように殻の中に隠れながら、ひとり燻っている。
きっと私の殻の色はあまり綺麗じゃないだろう。
まだ、忘れたくても忘れられない気持ちがぐるぐると戸愚呂を巻いて、柄になっているはずだから。
高く高く (執筆途中)
どうして、こんなところで燻ってんだ。
私は胸より出た腹と、尻の肉、二の腕の重厚感を感じる自分の体を見ながらため息をついた。
私はまだ24歳なのに。
後ろから見たら中年、いや、前から見ても中年だ。
日頃の怠惰な精神が贅肉となって現実化しているのには頭を抱える。が、今の私にはこれを脱却するほどの日常もない。ストレスもなければ、アドレナリンもない。
久々のイベントといえば、たった今姉の結婚の顔合わせが終わった。
姉の結婚相手は由緒正しき良家の息子らしかった。
妹として姉の恥にならぬようにと、ドレスを新調しいざ鏡の前に立ったものの、付け焼き刃の取り繕いは決して許さないといわれているような肉肉しい自身の体に打ちひしがれた。新品のドレスが可哀想だとさえ思った。
いざ会場にいけば、学歴の話やら、御家柄の話やらと息が詰まるようなマウント合戦が続いた。その後同い年の新郎の妹が今度医者と結婚しますと発表したことで、私の心は白旗をあげた。首とられたり。そして、顔合わせの時に勝つか負けるかなんて考えてる自分に自己嫌悪した。劣等感は人一倍だった。
三時間にわたる顔合わせが終わって解散した後、
私は駅の化粧室の鏡の前にたった。
自分の体を見て、ため息をつく。
そして、冒頭の一言が思わず出た。
「どうして、こんなとこで燻ってんだ」
放課後 (執筆途中)
私が死んで、妖怪になるとしたら、おそらく放課後女とか放課後ばばあになるだろう。
そのくらい私の「放課後」に対する執着心は凄まじい。
「放課後」とは、すべての学生が手に入れられるものではない。この3文字には、あらゆる物事が詰まっている。大人がギラギラと煩悩とよだれをむき出しに欲している「青春」とは、言い換えれば「放課後」そのものではないのかと思ったりする。
放課後には、色んなことができる。
部活やら、文化祭の準備やら、勉強もできれば恋愛もできる。放課後には無限の可能性と価値があるのだ。
私がなぜこの放課後に執着しているのか。
それは、私はこの放課後を手にすることができなかったからだ。
涙の理由
放課後、教室の片隅で僕の好きな子が泣いていた。
テニス部が着るウィンドブレーカーを着たまま、
机に突っ伏して泣いている。
それを周りに数人の女子が囲んで話を聞こうとしていた。
彼女は無言のまま顔を埋めている。
どうして泣いてるんだろう。
何があったんだろう。
僕は聞けない。
聞きたいけど、聞けない。
ただのクラスメイトという
たったそれだけの繋がりしかない。
テスト期間ゆえ解放された夜遅い教室に、
彼女を心配してもいい手がかりもなかった。
10.11 涙の理由
ココロオドル
私は愛を感じたとき、心が躍る
誰かに共感したとき、されたとき
涙が出るとき
感情に従うとき
損得をはかったり、
正誤をみきわめたり、
そういったことを、
自分や周りのために勇気を出して言わなきゃいけないとき、発言できる人はとてもかっこいい
それと同じく、
すごく孤独な人に、私も同じだよ、と言える人も、
私はとても勇気があって
とてもかっこいいとおもう
自分が腐りそうなとき、
身近にそういう人が現れると、
私はココロオドル