東京タワーみたいな、バカでかい塔に登る夢を見た。
なぜかハシゴで登らされて、戻るときも同じなのかとビクビクしていると
エレベーターを利用できることが判明し、
安堵したのだがそれに乗った途端
高度300mの絶景は、重力に従順に崩れ去った。
起きた。
スマホを開くと、マッチングアプリで親しくなったはずの相手のアカウントが削除されていた。
別に恋人として付き合いたかったわけではない、
プロフィール欄のアプリ使用動機にも「友達作り」と書いていたはずだ。
にも関わらず私の心は夢の中のエレベーター以上の落下を感じ取り
30分ほどは動けなくなり、抱え続けていた枕は湿り切っていた。
人の気持ちを察せられない母が母なりの優しさで過干渉を始めた。
その干渉が、私を覆う自由落下の精神的苦痛を上回った頃を見計らい
相手を黙らせるために食卓に赴く。
表情筋ってここまで力を抜かすことが出来るものなのかと内心思いながら、有機物とあの人にまつわる経験とを飲み込んでいく。
そうだ、あの人はアカウントこそ消したものの
自分のSNSアカウントは閲覧するかもしれない。
ひとしきり咀嚼が終わり、SNSを開く。
今気持ちがひどく沈んでいること、そして自分なりに落ち度の分析、懺悔を書き連ね
「回復までにはしばらくかかりそうやな…」
と俗っぽい語調で締めくくる。
相手がそのポストを覗く、限りなくゼロに近い可能性を残しておくことは今回の顛末をしめくくるにふさわしい行為であるように感じられた。
しかし、この先どうすればいい。
今回の心の傷は数日もすれば癒えるだろう。
だがその先は。
こんな貧しい経験しかしていない自分は来春自立したとき、ちゃんと社会的に安定できるのだろうか。
リビングからは罵り合いが聞こえてくる。
昨日の買い物代数十円の誤りで口論をする、
自分と同じように友達など作れない
そんな社会から隔絶された夫婦を見て
私はひとつ溜め息をついた。
米津玄師も全く同じことを言っていたのだが、
自分は生きることを許可されているのかそうじゃないのか、私はその狭間をずっと反復するように生き続けている。
もっといえば、普通の人生と同じように輝かしい未来を目指したりすることが可能なのか、それとも障がいを持っている者としてひっそりと生涯を終えるべきなのか。
これだけだと何も伝わらないだろうな、、、。
ようするにこれは本人のマインドの問題である。
確かにかつての米津が信じていた、可能性ある未来というものは得てして達成されたしそれは十分すぎるレベルのものだが、それでも過去は変えられない。
長年の蓄積の末膨らみ続けた社交不安は無視し難い。人との雑談に抵抗がある。
それだけで自分は根底から価値が否定されてしまう。
最近の米津玄師は、以前のような美しいポップミュージックを作ることが少なくなってしまった。
彼と同じ自閉症傾向がある人間として、もう金輪際息を潜めて生き続けるしかないと結論づけてしまうのは自然なことのように思う。
自分はかつて輝かしい未来を信じていた。アスペというラベリングを肩に書きつけたくなかった。
偏差値72の高校に合格したり、市の人権作文で表彰されたり、そういった物事は全て未来への伏線だと信じてやまなかった。
赤の他人でありながら、口下手なこんな自分でありながら、同じ未来を信じてくれた大切な人もいた。
、、、今日はもう文章がまとまらないな。
身も蓋も無い内容だけど、少し前にプチバズしたTwitterのつぶやきで自分を慰めて終わろうか。
受験、就活、婚活。。全部同じ。
輝かしい未来を信じて
必死に自分を仕立てて背伸びして、
「貴殿しか私には無いんです」って言っておきながら
いざ新生活が始まれば毎日愚痴ばかり言うのが生きがいみたいなことになってる。
人生なんてそんなもん。
些細な嘘から炎症が起きた…
ずっと微熱みたいに纏わりついて…
……米津さんの恋と病熱って曲の歌詞抜粋です。
米津玄師って言葉選びが繊細で美しいですよね。
今日は個人的にお気に入りな米津歌詞並べてみようかな。
純粋に、もっと認知されるべきだと思うので…
"ちゃんと話してよ大きな声で さぁ目を開いてわっはっはは
自分嫌いのあなたのことを愛する僕も嫌いなの?"(Wooden doll)
"30人いれば1人は居るマイノリティ
いつも、あなたがその1人
…僕で2人"(がらくた)
"あなたが見据えた未来に、私もいたいと思っていた
…最後くらい、また春めくような
綺麗なさよならしましょう"(pale blue: 離婚を題材にしたドラマへの提供歌)
※上記の内、一部改変あり※
本当に素晴らしい言葉ばかりですよね。
ただ、僕自身が彼と同じように自閉症的な経験があって、だからこそわかるんですが
楽曲「red out」を制作した今年春以降、曲作りへの熱が急激になくなりつつあると言うか。
どんなに素晴らしい曲を作ったところで天涯孤独なのであれば仕方がない、
といった気持ちが歌詞やらインタビュー記事やらに読み取れる気がするんですよね。
もちろん、その気持ちも全然変わる可能性はあるわけで。
今後彼がどのように生きていくのか、末永く見ていきたいなーと思う今日この頃です。
結婚に夢を抱いてはいけない。
受験やら就活やらと同じだ。
いくら大きな夢を抱いたところで、自分をいいように見せたところで、いつか来たる新生活は愚痴にまみれている。
人生は映画ではない。
私たち、特に若い者はハッピーエンドのその先を想像しなければならない。
毎日毎日毎日毎日、
同じようなことばかりを繰り返し繰り返さなければならないような生活は今も未来も同じようにある。
しかし、全てが同じわけではないのだ。
なにかは変わっていく。
そこに向けて
今、どうあるべきか。
ふと日常の刹那に考えるクセをつけておくといいのかもしれないし、
考えなくても
毎日毎日毎日毎日、
同じようなことばかり繰り返し繰り返されていく。