陳腐でありふれていて、
面倒な奴だと思われるのが怖くて、
ごまかし笑いながらが精一杯だった。
冗談ではないのに、
その一片も表に出せないのがつらかった。
ずっと誰かに知って欲しかった。
××××。
~どこにも書けないこと~
10年後
私が元気に暮らしていますように
100年後
私が生きた痕跡が残っていますように
1000年後
私が好きなこの文化が残っていますように
1年後
私が未来を諦めていませんように
~1000年先も~
優しい。
幼い頃、私はそのようにカテゴライズされていた。
少なくとも“良い評価”と認識して生きてきたが、これまでの人生で、その評価が役に立ったことはあっただろうか。
外に出れば優しくない人間は存外少なく、社会に出ようものなら“優しい”と持て囃される機会は限りなくゼロになる。
価値があるものとは「皆が欲しがっていて、数が少ないもの」だ。
早い話が、優しさに価値はない。
無意識に性善説を刷り込まれた人間にとっては、当たり前に持っているべきレッテルでしかない。
故に、常に劣勢を強いられる。
つけ込まれ、時に騙され、搾取、蹂躙される。
正しい倫理観を持つよう喚起する社会ですら、時として性質を利用し、私腹を肥やそうとする。
「正直者が馬鹿を見る」を痛感する。
優しくあることは愚かだろうか?
「それでも優しさは大事だ」と唱えることを、奴隷の鎖自慢と揶揄するか?
「はい」でも私は構わない。
価値のない優しさだけでは残念ながら理想は追えない。
そこには事情があると信じるしかない。
「いいえ」と答える理由。
性善説や社会通念上の反射反応か、強い信念によるものか。
なんだっていい。
これからも不当な損をし続けるだろう。
優しい人間が報われる社会も、まず来ないだろう。
愚かでもいい。
価値がなくてもいい。
だから、私は優しさを大事にする人にだけ優しい人間でいたい。
どうか相応の幸せが訪れますように。
~優しさ~
夢を見ていた
内容は――忘れてしまった
ただなんとなく怖かった気がする
少し汗ばんでいる額が
思い出したかのように空気で冷えていく
もっと見ていたかった
目が覚めなくてもよかった
少し鼓動が高なっていた心が
思い出したかのように現実に染まり直っていく
なんとなく怖かった夢
でもそこで生きる私はたしかに自由だった
――あ
早くしないと遅刻しちゃう
~夢を見てたい~
大晦日、それから元日も然り
あくまで一年の内の一日でしかない
その考えは今でも変わらずにいる
とはいえ
年末という一時は嫌いではない
しんとした空気がそうさせるのか
独特の雰囲気に酔わされているのか
つい物思いに耽る時間が増える
世情には無関心であっても
蕎麦は食べてしまうし
年が明ければ慣習に従う
この一年が良いものだったかどうか
結論が出るのはもっとずっと先ではあるが
一年の計が元旦にあるのなら
「まずまずだった」とあえて総括しよう
最後に、慣習に従うといったが
それは仕方なく乗じた方弁ではない
いや、これは蛇足だったかもしれない
とにもかくにも
来年もよろしくお願い致します。
~良いお年を~