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優しい。
幼い頃、私はそのようにカテゴライズされていた。
少なくとも“良い評価”と認識して生きてきたが、これまでの人生で、その評価が役に立ったことはあっただろうか。
外に出れば優しくない人間は存外少なく、社会に出ようものなら“優しい”と持て囃される機会は限りなくゼロになる。
価値があるものとは「皆が欲しがっていて、数が少ないもの」だ。

早い話が、優しさに価値はない。
無意識に性善説を刷り込まれた人間にとっては、当たり前に持っているべきレッテルでしかない。
故に、常に劣勢を強いられる。
つけ込まれ、時に騙され、搾取、蹂躙される。
正しい倫理観を持つよう喚起する社会ですら、時として性質を利用し、私腹を肥やそうとする。
「正直者が馬鹿を見る」を痛感する。

優しくあることは愚かだろうか?
「それでも優しさは大事だ」と唱えることを、奴隷の鎖自慢と揶揄するか?

「はい」でも私は構わない。
価値のない優しさだけでは残念ながら理想は追えない。
そこには事情があると信じるしかない。

「いいえ」と答える理由。
性善説や社会通念上の反射反応か、強い信念によるものか。
なんだっていい。
これからも不当な損をし続けるだろう。
優しい人間が報われる社会も、まず来ないだろう。
愚かでもいい。
価値がなくてもいい。
だから、私は優しさを大事にする人にだけ優しい人間でいたい。
どうか相応の幸せが訪れますように。


~優しさ~

1/28/2024, 9:57:49 AM