子どもの頃は親の事情もあり、
夏は毎年泊まりで駆り出されることがあった。
遠方の地で初対面の人と集団生活をさせられて、
毎日早朝に起こされて外へ出向いたり、
見知らぬ人々に冷たい麦茶をついだり、
好きでもないレクリエーションに参加させられたりした。
汗だくの炎天下。
漂う土臭さ。
鳴り響く蝉の声。
飛び散る冷たい水しぶき。
涼しい部屋で浸る空調。
まっすぐに照りつける太陽を浴びると、
懐かしさと共に夏を感じる。
行事はあまり好きではなかったが、
むせ返るような灼熱の季節は、
私にあの頃の気持ちを思い出させてくれる。
どこまでも自由に、穏やかに生きたい。
~日差し~
はめ殺しの窓
採光だけを目的とした窓
換気機能を捨てた窓
虫すら入って来れない窓
ただ眺めることしかできない窓
絶対に開くことのない窓
決して外へは繋がらない窓
カーテンを取り付けて
二度と開くことのない窓
~窓越しに見えるのは~
私には赤い糸が見える。
赤い糸とは、よくある設定の赤い糸のことだ。
他の人には見えないらしい。
一列に並んで登校する子どもたち。
エナメルバッグの女子校生。
ベンチに座る老夫婦。
仕事帰りのサラリーマン。
年齢に関係なく赤い糸は繋がっている。
当然、赤い糸がない者や、
赤い糸はあっても一人でいる者もいる。
しかし意外なことに、
繋がり合っているペアは極めて稀だ。
例えばそこで仲睦まじくしている男女も、
繋がる糸は双方とも明後日の方向へ飛んでいる。
片方には赤い糸がないコンビや、
赤い糸がない者同士も日常的に見かける。
先日やっていたテレビで、
国際結婚をしたカップルが繋がり合っているのを見て、
柄にもなく声が出てしまったのを覚えている。
彼ら彼女らが幸せかどうかはわからない。
しかしこの能力によって、
人を遠ざけてきた私よりもよほど幸せそうに見える。
私の指に繋がった赤い糸。
相手は確実に私にとって素敵な人なのだろう。
そしてそれは相手にとっても同じこと。
私は赤い糸を切った。
こんな糸があっても出会えなきゃ意味がない。
でもなんだか少しだけ、吹っ切れた気がした。
~赤い糸~
つい最近、
毎日やっていた唯一のゲームがサービスを終了してしまった。
発表がされてから終了するまでの期間、
不安で生きた心地がしなかった。
しかし、きっと次の場所へ発つ時なのだろう。
たとえその先で入道雲に突っ込むような困難があっても、
学んできたことを胸に強く進み続けなくてはならない。
それが私のするべき弔いなのだと思う。
※お題と関係なくてすみません
夏と冬だったら、断然夏の方が好きだ。
“寒いのは厚着すればいいけど、暑いのは脱いでも暑い”
なんて言い分をよく聞くが、
厚着をするというのは荷物を増やすことに等しいし、
「暑い」よりも「寒い」方が体に気を遣う必要がある。
それに私は「暖かい」よりも「涼しい」方が心地が良い。
極めつけは、夏は夜が寒くない。
夜空の下で散歩をするのが好きな私にとって、
冬場の夜は体にこたえる。
軽装でフラっと歩くのが開放的でリラックスできるのだ。
これ以上は長くなるので割愛するが最後に一言。
私は夏よりも秋の方が好きだ。
~夏~